ミルカ・デュノー
From Wikipedia, the free encyclopedia
ミルカ・デュノー(Milka Duno, 1972年4月22日 - )は、ベネズエラのカラカス出身の女性レーシングドライバー。インディカー・シリーズやARCA レーシング・シリーズに参戦した。彼女はデイトナ24時間レースで最も上位に入賞した女性ドライバーとしてよく知られる[1]。
デュノーは元モデルであり、そのことで注目を集めた[2]。その経歴は遅咲きであり特異なものである。彼女がレースを始めたのは、ベネスエラで自動車クラブのクリニックに参加したことがきっかけであった[3]。レースを始めたときの年齢は24で[4]、レース前の経歴は主として学術的な物であった。彼女は修士号を持ち、船舶工学、海洋ビジネス、生物海洋学に通じ、造船技師として働いた経歴を持つ[5]。
初期
デュノーは1996年にレーシングドライバーとしてデビューし、ベネズエラのGTチャンピオンシップでランキング2位となる。1998年にはベネズエラ・ポルシェスーパーカップ選手権で4位となる。1999年にアメリカ合衆国に渡り、レーシングスクールに入校、2000年にはバーバー・ダッジ・プロ・シリーズに参戦した。デュノーはアメリカでのフェラーリ・チャレンジレースで優勝した初の女性ドライバーであり、また彼女にとって初のタイトルであるパノスGTシリーズのタイトルも獲得した[6]。
2000年後半にはアメリカン・ル・マン・シリーズにデビュー、初の女性レーシングドライバーとして表彰台に上り脚光を浴びた。2001年にはデイトナ24時間レースに参戦、また翌年にはル・マン24時間レースにデビューした。2001年と2003年にはワールドシリーズ・バイ・ニッサン - ヨーロッパのオープンホイールシリーズ - に参戦し、同シリーズで初めてポイントを挙げた女性ドライバーとなった。2001年にはまたアメリカン・ル・マンシリーズのLMP675クラスで4勝を挙げ副ドライバーとしてタイトルを獲得した。その4勝の中にはプチ・ル・マンも含まれた。2004年にもLMP675クラスでプチ・ル・マンに勝利している[6]。
2004年、デュノーはロレックス・グランダム・シリーズにフル参戦、ハワード・ボス・モータースポーツに加わってポンティアック・ライリーのデイトナ・プロトタイプをドライブした。2006年にはサマックス・モータースポーツに加入する。2007年のデイトナ24時間レースにはライアン・ディエル、ダレン・マニングおよびレギュラーパートナーのパトリック・カーペンティアと組んで参加し、2位に入賞した。デュノーは史上最高位の女性ドライバーおよびベネズエラ人ドライバーとなり、それは1982年にエルネスト・ソトが記録した5位を塗り替えるものであった[6]。ロレックス・シリーズでデュノーは歴史的かつ印象的な勝利を3度挙げた。2勝はホームステッド=マイアミ・スピードウェイで、1勝はモントランブランであった。マイアミでの初勝利は、デイトナ・プロトタイプをドライブしてファステストラップをたたき出した初の女性ドライバーとなった。デュノーはシリーズで3勝を挙げたほかに7度の表彰台を獲得、トップ5フィニッシュは10回、トップ10フィニッシュは18回であった。
インディ・レーシング・リーグ
2007
2006年12月14日、カーヒル・レーシングのオーナー、ラリー・カーヒルはチームがデュノーと契約し、IRLインディカー・シリーズの2007年シーズンに参戦させることを発表した。しかしながら、チームは結局参戦することができず、その結果2007年3月23日、デュノーと彼女が所属するグランダム・シリーズのチームであるサマックス・モータースポーツはシットゴー(ベネズエラ国営石油会社の傘下)のスポンサーを受け、インディカー・シリーズ10戦に参加するための機材を購入したと発表した。10戦の中にはインディ500も含まれた[7]。また、デュノーはグランダム・シリーズにフル参戦しないことも発表された。
2007年4月26日、デュノーはカンザス・スピードウェイでのルーキーテストを首尾良くパスした。2007年4月29日にカンザス・スピードウェイで開催されたカンザス・ロタリー・インディ300は、北米オープンホイールシリーズ史上初めて3名の女性ドライバー(デュノー、ダニカ・パトリック、サラ・フィッシャー)が同時に走行したレースとなった。デュノーはトラブルのため予選を21位で通過し、決勝は14位で終わった。
2007年5月6日、デュノーはインディ500のルーキーテストに合格した[8]。この年のインディ500は史上初めて3名の女性ドライバーが参戦したレースとなった。デュノーは5月19日に予選を通過し、バンプ・デイを含めて彼女の速度は2番目に遅かった。ダニカ・パトリックとサラ・フィッシャーは5月12日と13日にそれぞれ通過していた。デュノーは2名のルーキーの内の1人であった[9]。彼女は65週目にクラッシュし、31位でフィニッシュした。
2008
サマックスは2008年、インディカー・シリーズへの参戦を取りやめると決定した。デュノーはドレイヤー&レインボールド・レーシングと契約し、11戦に参加することが決定した。スポンサーはシットゴーが務めることとなった。チームメイトはインディ500で優勝経験を持つベテランのバディ・ライスで、シーズンを通じてデュノーは少しずつ進歩を見せ始めた。タウンゼント・ベルがドレイヤー&レインボールドの23番車を7戦で走らせる契約を結び、デュノーはその間参戦することができなかった。
2度目の挑戦となったインディ500では2週目の週末に予選通過した(予選2日目は雨天中止)。決勝は19となり、ダニカ・パトリックは22位、サラ・フィッシャーは24位だったため女性ドライバーとして最上位でのフィニッシュであった。女性ドライバー全員がレース中アクシデントに巻き込まれたが、デュノーはピットでの作業後レースに復帰し、完走した唯一の女性ドライバーとなった[10]。
2009
シーズン前はホームステッド=マイアミ・スピードウェイで行われたニューマン・ハース・レーシングのテストに参加したが、2009年もドレイヤー&レインボールドとパートタイムで契約した(9戦)。ドレイヤー&レインボールドはデュノーが参戦しないレースをダレン・マニング、トーマス・シェクター、ロジャー安川にドライブさせた。彼女は16位が最高位で、ランキングは24位であった。
2009年12月、ARCAのテストがデイトナ・インターナショナル・スピードウェイで行われ、デュノーは9名参加した女性ドライバーの内の1人であった。その中にはインディカーのライバルであるダニカ・パトリックもいた[11]。
2010 & Challenges
2010年3月4日、デイル・コイン・レーシングはデュノーと契約、彼女が2010年のインディカー・シリーズに参戦することが発表された。
インディ500でデュノーは予選通過することができなかった[12]。そして、7月に行われたホンダ・インディ・エドモントンで最小限の標準パフォーマンスを満たすことができなかったとして、IRLは彼女の参加を執行猶予とした[13]。デュノーのパフォーマンスに対する批判は、スピードが安全のためには遅すぎることと、ペースの速いレーサーが追い抜く際に自らの走行ラインに固執する点に集中した[14][15][16]。夏の間に行われたワトキンズ・グレンでのレースでは、トップ10フィニッシュの中で最も経験豊富なドライバーとなり、これはチームオーナーのデイル・コインの記録に次ぐ物となった[17]。
2010年8月28日(土)、デュノーを含む5名の女性ドライバーが予選を通過、決勝に進出し、これはインディカー史上初めてのことであった[18]。デュノーは26位で予選通過し、19位でフィニッシュした。