Wikiwand AI

メルド (競走馬)

From Wikipedia, the free encyclopedia

メルド
品種 サラブレッド
性別 牝
毛色 鹿毛
生誕 1952年
死没 1983年
父 Alycidon
母 Daily Doouble
母の父 Fair Trial
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 Someries Stud
馬主 Lady Zia Wernher
調教師 Cecil Boyd-Rochfort
競走成績
生涯成績 6戦5勝
獲得賞金 43051 1/5ポンド
テンプレートを表示

メルド (Meld) は、イギリス産の競走馬、繁殖牝馬。]イギリスクラシック牝馬三冠馬の一頭。

競走馬時代

メルドは1954年9月末に競走馬としてデビューした[1]。デビュー戦は2着に終わり、2戦目で初勝利を挙げたメルドはこの年のシーズンを終えた。

翌1955年4月末、メルドは前哨戦に出走することなく]イギリスクラシック牝馬三冠第1戦の1000ギニーに出走[2]。メルドはまだ目立つ活躍をしていなかったにもかかわらずブックメーカーによって本命視され、11:4というオッズが提示された。レースではスタートで出遅れたもののレース半ばで先頭を進んでいたエバーレディに並びかけ、そのまま同馬とのマッチレースを制し優勝した。続いて翌5月末にオークスに出走(ブックメーカーが提示したオッズは7:4で本命)。2着に6馬身の着差をつけて優勝した。レース後、記念撮影に臨んだメルドの息はまったく乱れていなかったといわれる。7月半ばに出走したコロネーションステークスで優勝したメルドは8月に入って当時イギリスで流行した咳の発作に苦しめられた。そのためイギリスクラシック牝馬三冠達成をかけたセントレジャーステークスには療養によるブランクを経て出走することになったが、ブックメーカーによるオッズは11:10と最も高いものであった。レースでは最後方から徐々に前方へ進出し、直線でヌクレウスとの競り合いを3/4馬身差で制して優勝。イギリスクラシック牝馬三冠を達成した[3]。なお三冠達成の数日後、メルドは再び咳の発作を起こし、競走馬を引退した。この年にジョッキークラブが発表した3歳フリーハンデでは牡馬のアクロポリスを抑え、133ポンドと最も高い評価を得た。

繁殖牝馬時代

初期に産んだ4頭は競走馬として成功しなかったが、5番仔のチャーロットタウンがダービーステークスを優勝した。その後で産んだ2頭は競走馬として目立つ成績を残すことができなかった。3番仔インタグリオは繁殖牝馬として輸入され、孫に愛知杯、金杯(西)優勝のホワイトアローを出した。4番仔メレー(Mellay、父Never Say Die)はニュージーランドで種牡馬として成功し、1972/73年と1976/77年の2度ニュージーランドリーディングサイアーとなった[4]。

血統表

メルドの血統(ドナテッロ系(ブレニム系)/Blandford 4×4=12.50%、Swynford 4×5×5=12.50%、Chaucer 5×5=6.25%)(血統表の出典)
父

Alycidon
1945 栗毛
父の父
Donatello
1934 栗毛
Blenheim Blandford
Malva
Delleana Clarissimus
Duccia Di Buoninsegna
父の母
Aurora
1936 栗毛
Hyperion Gainsborough
Selene
Rose Red Swynford
Marchetta
母

Daily Double
1943 鹿毛
Fair Trial
1925 黒鹿毛
Fairway Phalaris
Scapa Flow
Lady Juror Son-in-Law
Lady Josephine
母の母
Doubleton
1938 鹿毛
Bahram Blandford
Friar's Daughter
Double Life Bachelor's Double
Saint Joan F-No.2-i

脚注

参考文献

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks