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オーモンド (競走馬)

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欧字表記 Ormonde
性別 牡
オーモンド
エミール・アダム画、1901年頃
欧字表記 Ormonde
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 1883年3月18日
死没 1904年
父 ベンドア
母 リリーアグネス
母の父 マカロニ
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 初代ウェストミンスター公爵
馬主 初代ウェストミンスター公爵
調教師 ジョン・ポーター(イギリス)
競走成績
生涯成績 16戦16勝
獲得賞金 £10,615
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オーモンド (Ormonde) は、イギリスの競走馬・種牡馬である。19世紀末に史上4頭目のイギリスクラシック三冠を達成し、16戦不敗の成績を残した名馬である。不遇の晩年を送り、種牡馬としても成功することはできなかった。代表産駒はオーム。

3歳時

3代母ミスアグネスが産んだ2代母ポリーアグネスを生産者のサイク氏は気に入らず、牧夫に向かって 「こんな神経質で小柄なヤツはどうせ使い物にならないから、生かそうと殺そうと構わない。さっさと牧場から追い出してしまえ」 と命じた。牧夫は殺すのを惜しみ、息子の所に預ける事とした[1]。

ポリーアグネスは2シーズン出走して3勝した後に、マカロニ(英語版)を配合して産まれたのが母リリーアグネスである。 リリーアグネスは、肉付きが悪く、後軀がみすぼらしかったものの、2-5歳時にイギリスで走り32戦してドンカスターカップなど長距離レースを含めて合計21勝した[2]。

繁殖入り後、ドンカスターを付けるため、ウエストミンスター公爵の牧場にリリーアグネスを連れて行った所、リッチモンドという牧夫が惚れ込んで公爵に買うよう頼み、公爵は言葉を聞き入れたが、譲渡条件は現金2500ポンドと公爵所有馬のベンドアの種付け2頭分だった[2]。 それが功を奏し、オーモンドのほかに1000ギニーに勝ったフェアウェルや、プリンスオブウェールズステークスのオソリー(英語版)、1戦未勝利馬ながらセプターの母となったオナーメントがいる。

父ベンドアは初代ウェストミンスター公のもとエプソムダービーに勝った馬で、オーモンドはこの2頭の間に、母から見れば第3仔として生まれた。生まれた頃は馬格が小さく、膝が曲がっていた。その後も成長が遅れぎみであったが、2歳の春にかけて成長目覚しく、10月にニューマーケットでデビューするころにはすばらしい馬体に成長していた。また、父譲りで気性も穏やかで、花が好きだった。

初戦は1馬身差で勝ちデビュー戦を飾る。2戦目のクリテリオンステークス(英語版)も楽勝。さらに2日後に行われたデューハーストステークスも獲得し2歳戦を終えた。

翌シーズンの初戦は2000ギニーとなった。11対10という圧倒的一番人気に押されたミンティング(英語版)が逃げたが、オーモンドはこれを並ぶまもなくかわすと2馬身差で1冠を獲得した。エプソムダービーはザバード(英語版)が相手となったが1馬身半差で完勝した。ダービー後はロイヤルアスコット開催のセントジェームズパレスステークスとハードウィックステークスに出走し、連勝した。

秋はセントレジャーステークスから始動。セントミリンに4馬身の差をつけ勝利し史上4頭目のイギリスクラシック三冠を達成した。さらに2ヶ月の間にチャンピオンステークスを含む5戦全て勝利し、デビュー以来の連勝を13に伸ばしたところで休養に入った。

4歳時

このころオーモンドには異変が起きていた。既にセントレジャーの前には母のリリーアグネスが患っていた喘鳴症の兆候が現れていた。もっともこの時点では動きそのものに大きな問題は無く、ポーターは現役を続行させることを決めた。ロイヤルアスコットのルースメモリアルステークス(英語版)に出走させ、25ポンドも斤量の軽いキルウォーリン(英語版)に6馬身の差をつけて優勝した。この時ゴールしてから半時間も拍手が止まらなかったと伝えられている。

しかし喘鳴症は確実に悪化していた。ハードウィックステークスはミンティングとの再戦になりオーモンド生涯唯一の苦戦を経験する。2000ギニーでは破ったものの元々ミンティングはかなり強い馬で、オーモンドを避けて出走したパリ大賞を5馬身差で圧勝する実力の持ち主だった。レースはかなり激しいものになり、何とか首差で勝ったものの既に限界に達していた。インペリアルゴールドカップという短距離戦を引退レースとして16戦のうち一度も負けることなく引退した。

引退後

引退後のオーモンドは歴史的名馬にもかかわらず不遇の余生を送った。馬主の初代ウェストミンスター公爵ヒュー・グローヴナーはオーモンドに大きな愛着を持っていたものの、イギリスに喘鳴症を持ったオーモンドの遺伝子が広まることを危惧し、数年間供用した後アルゼンチンに12000ポンドで輸出した。アルゼンチンでは成功することができず、続いてアメリカ合衆国へ31250ポンドで転売された。アメリカではオーモンデイルを出したが病気のため産駒数が少なく(10年以上供用されたが産駒数は16頭)、1904年、ついに呼吸困難に陥り殺処分された。遺体は一度埋葬されたがその後掘り出され、骨格がロンドン自然史博物館に展示されている。生涯を通じて産駒数が少なかったため、その血を現在に伝えているのは、イギリスに残した少数の産駒のうちの1頭、オームの子孫に限られている。

成績

血統表

脚注

参考文献

外部リンク

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