メンデレーエフ戦車

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原開発国 帝政ロシア
開発者 ヴァシリー・D・メンデレーエフ
開発期間 1911年-1915年
メンデレーエフ戦車
メンデレーエフ戦車のスケッチ図
種類 超重戦車
原開発国 帝政ロシア
開発史
開発者 ヴァシリー・D・メンデレーエフ
開発期間 1911年-1915年
製造業者 製造に至らず
諸元
重量 約176t
全長 13m(砲身含む)
10m(車体長さ)
全高 4.45m(銃塔上げ)
3.5m(銃塔下げ)
要員数 8名

装甲 前面:150mm
側後面:100mm
主兵装 120mmカネー砲、(携行弾数51発)
副兵装 軽機関銃、1挺
エンジン ガソリンエンジン、潜水艦から転用
出力重量比 1.42 hp/t
懸架・駆動 気圧ピストン緩衝装置
速度 最大24km/h
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メンデレーエフ戦車(メンデレーエフせんしゃ)は、ロシア海軍技師であったヴァシリー・メンデレーエフロシア語版によって提案された最初期の戦車設計案である。

この車両は近代の元素周期表を作りだしたロシア人科学者ドミトリ・メンデレーエフの息子ヴァシリー・メンデレーエフによって構想された。当時、彼はロシアのサンクトペテルブルクに置かれていたクロンシュタット海軍技術学校にて、1911年から1915年にかけて時給制で働いていた。本車の目的は、全ての敵の砲火を受け付けず、広大な戦場を横断でき、120mm砲を用いて味方部隊に強い火力支援を与えられる「陸上艦」とする事であったと言われる。提案された戦車は全ての時代を通じて最重量級の設計案のひとつである。約176t(メートルトン)という重量は第二次世界大戦時のドイツが製造した超重戦車マウスとおおよそ同重量である[1]

兵装

経緯

参考文献・脚注

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