ヤーン・ポプルハール
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| 名前 | ||||||
| 愛称 | Bimbo(女) | |||||
| ラテン文字 | Ján Popluhár | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1935年8月12日 | |||||
| 出身地 |
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| 没年月日 | 2011年3月6日(75歳没) | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1954-1955 |
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| 1955-1958 |
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| 1958-1969 |
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| 1969-1970 |
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| 1970-1972 |
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| 1972-1979 |
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| 代表歴 | ||||||
| 1957-1969 |
| 62 | (1) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 1972-1979 |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ヤーン・ポプルハール(Ján Popluhár、1935年8月12日 - 2011年3月6日)は、スロバキア(旧チェコスロバキア)の元サッカー選手。ポジションはDF。1960年代を代表するディフェンダーの一人である。
ポプルハールは、ユース時代をディナモ・ベルノラーコヴォで過ごした後、1954年にŠKスロヴァン・ブラチスラヴァで選手経歴を開始した。2年間の兵役のため、ルダー・フヴェズダ・ブルノで過ごした後は、再びブラチスラヴァへ復帰し10数年間に渡ってプレーを続け、リーグ優勝2回(1962年、1963年)に貢献した。1963年にはアルフレッド・ディ・ステファノやフェレンツ・プスカシュ、エウゼビオらと共に世界選抜に選出され、FA創立100周年記念試合に出場した。1965年にはチェコスロバキア年間最優秀選手賞を受賞した。
1971年に長年過ごしたブラチスラヴァを離れ、フランスのオリンピック・リヨンへ移籍したが、1シーズン限りでチェコスロバキアへ帰国しズブロヨフカ・ブルノへ移籍。2年後の1972年からはオーストリアのスロヴァン・ウィーンへ移籍し、選手兼任監督を務めた。そして1979年に37歳で現役を引退した。
チェコスロバキア代表ではスヴァトプルク・プルスカルと共に強力な守備陣を形成し、1958年のFIFAワールドカップ・スウェーデン大会、1960年の1960 欧州ネイションズカップ3位、1962年のFIFAワールドカップ・チリ大会準優勝に貢献した。ポプルハールは1957年から1967年の間に国際Aマッチ62試合に出場した。代表で唯一となった得点は1966年6月に敵地のエスタジオ・ド・マラカナンで行われたブラジルとの親善試合において、フリーキックから記録した(試合は2-1でチェコスロバキアの勝利)。
引退後の1997年にポプルハールは世界フェアプレー賞を受賞した。また2003年には欧州サッカー連盟創立50周年を祝うUEFAジュビリーアウォーズの式典に際して、スロバキアの過去50年間の最優秀選手に選出された[2]。
エピソード
スロヴァン・ブラチスラヴァ時代の監督Leopold Šťastnýは選手にあだ名を付けることで知られていたが、ポプルハールは温厚な性格からBimbo(サーカスや動物園の象によくつける名前、英俗語で”うすのろ”の意)の愛称で呼ばれた。この逸話はチェコスロバキアのサッカー界で広く知られていた[5]。