セルゲイ・アレイニコフ
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Sergei Yevgenyevich Aleinikov
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|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 |
セルゲイ・イェヴゲニイェヴィチ・アレイニコフ Sergei Yevgenyevich Aleinikov | |||||
| ラテン文字 | Sergei Aleinikov | |||||
| ベラルーシ語 | Сяргей Алейнікаў | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1961年11月7日(64歳) | |||||
| 出身地 |
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| 身長 | 182cm | |||||
| 体重 | 75kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1981-1989 |
| 220 | (31) | |||
| 1989-1990 |
| 30 | (3) | |||
| 1990-1992 |
| 59 | (2) | |||
| 1993-1996 |
| 83 | (14) | |||
| 1996 |
| 5 | (0) | |||
| 1996-1997 |
| |||||
| 1997-1998 |
| |||||
| 通算 | 397 | (50) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1984-1991 |
| 73 | (6) | |||
| 1992 |
| 4 | (0) | |||
| 1992-1994 |
| 4 | (0) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 1998-1999 |
| |||||
| 2000-2001 |
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| 2003 |
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| 2003 |
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| 2003-2005 |
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| 2005-2007 |
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| 2007-2008 |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
セルゲイ・アレイニコフ(Sergei Yevgenyevich Aleinikov, 1961年11月7日 - )は、ベラルーシ・ミンスク出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。
選手経歴
1981年にディナモ・ミンスクでそのキャリアをスタートさせる。1982年にはクラブにとって唯一となるソビエト連邦サッカーリーグ優勝を果たした。
1988年UEFA欧州選手権での活躍により、1989-90シーズンに移籍金285万ドル、3年契約でイタリアの名門ユヴェントスFCに移籍。当初は同じソ連代表の同胞ザバロフのサポート役を期待されていたが、すぐにチームにフィットしてシーズン最高の選手の一人となった。リーグ戦は3位にとどまったが30試合3ゴールの成績を残した。UEFAカップとコッパ・イタリアを獲得した[3]。欧州カップ戦の全試合に出場し、両決勝にも出場。アレイニコフはディノ・ゾフ監督のチームにおける大黒柱となった[4]。
1990-91シーズン、監督がルイジ・マイフレディ(英語版)に交代し、外国人選手を刷新することとなりセリエAのUSレッチェに移籍した。この年のレッチェはズビグニェフ・ボニエクが監督となって初めてチームを率いる事で注目のチームであった[4]。若き日のアントニオ・コンテと共にプレーした[5]が、チームは15位にとどまりセリエBへ降格。1991-92シーズンはセリエBでプレーした[4]。
1993年7月20日、Jリーグ開幕に湧く日本のガンバ大阪へ移籍した。釜本邦茂監督の下、8月4日NICOSシリーズ第3節浦和レッズ戦でJリーグデビュー。ガンバ大阪の中盤の深い位置でプレーし、現役ブルガリア代表MFメトコフ、次世代の日本のエース候補だった礒貝洋光と共にゲームメイクを担当し、初年度はシーズン途中加入ながらリーグ戦15試合に出場した[6]。翌1994年5月4日のジュビロ磐田戦でJリーグ初ゴール[7]。ガンバ大阪では3シーズンプレーして年間順位は7位、10位、14位。個人としては通算83試合14ゴールの成績を残した[7]。(youtube動画検索キーワード: Sergei Aleinikov in Japan (1993-1995) )
1996年、スウェーデン・サッカーリーグ1部のIKオデヴォルド(英語版)移籍を経て、イタリアのセリエDのクラブでプレーして引退した。
代表経歴
ソビエト連邦代表としては、1984年3月28日に西ドイツ代表戦で国際Aマッチデビュー。以降、1991年にかけて通算73試合に出場し6得点[8]。
1986年のFIFAワールドカップでは、ハンガリー代表戦で大会のベストゴールのひとつと賞賛された鮮やかなミドルシュートを決めてベスト16入りに貢献した[3]。(yotube動画検索キーワード: Soviet Union 6-0 Hungary world cup 1986 )
1988年のUEFA欧州選手権では、グループリーグのイングランド代表戦でゴールを決め、決勝トーナメント進出に貢献、決勝では急遽センターバックに入り無難に務めた[5]ものの、オランダ代表に敗れ準優勝に終わった。この大会は全試合に出場して貢献した[3]。
1992年のUEFA欧州選手権にもCIS代表として出場した[3]。
ベラルーシ独立後は同国代表として4試合に出場。1994年のUEFA欧州選手権予選ルクセンブルク代表戦をもってベラルーシ代表を退いた。
プレースタイル
主に守備的ミッドフィールダーとしてプレーし、スタミナ、知性、確かな技術、戦術眼、パス能力で知られていた。(屈強に鍛え上げられた選手が多かったソ連代表の中にあっては)痩身に見えたが、スイーパーやセンターバックとしてもプレーできた[5]。
指導者経歴
主に育成年代や下位リーグのクラブを指導している。2003年にロシアのトルペド・メタルルグ・モスクワ監督に就任したが、8試合で解任された。
2024年12月、ブルガリア・PFCロコモティフ・プロヴディフのスポーツ・ダイレクターに就任した[9]。
個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| ソビエト連邦 | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1981 | ディナモ・ミンスク | 14 | 0 | ||||||||
| 1982 | 21 | 8 | |||||||||
| 1983 | 29 | 2 | |||||||||
| 1984 | 31 | 3 | |||||||||
| 1985 | 32 | 5 | |||||||||
| 1986 | 21 | 6 | |||||||||
| 1987 | 28 | 2 | |||||||||
| 1988 | 28 | 3 | |||||||||
| 1989 | 16 | 2 | |||||||||
| イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1989-90 | ユヴェントス | セリエA | 30 | 3 | |||||||
| 1990-91 | レッチェ | 29 | 0 | ||||||||
| 1991-92 | セリエB | 30 | 2 | ||||||||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1993 | G大阪 | - | J | 15 | 0 | 5 | 1 | 2 | 1 | 22 | 2 |
| 1994 | 32 | 6 | 3 | 1 | 0 | 0 | 35 | 7 | |||
| 1995 | 36 | 8 | - | 4 | 1 | 40 | 9 | ||||
| 1996 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||||
| スウェーデン | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1996 | オデヴォルド | スーパー | 5 | 0 | |||||||
| イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1996-97 | コリリャーノ | セリエD | 9 | 1 | |||||||
| 1997-98 | アナーニ | ||||||||||
| 通算 | ソ連 | 220 | 31 | ||||||||
| イタリア | セリエA | 59 | 3 | ||||||||
| イタリア | セリエB | 30 | 2 | ||||||||
| イタリア | セリエD | ||||||||||
| 日本 | J | 83 | 14 | 8 | 2 | 6 | 2 | 97 | 18 | ||
| スウェーデン | スーパー | 5 | 0 | ||||||||
| 総通算 | |||||||||||
代表歴
備考
- ロシア語表記名の綴りと読みは、Сергей Евгеньевич Алейников (セルゲイ=イェヴゲニイェヴィチ=アリェイニコフ)。ベラルーシ語表記名では、Сяргей Яўгенавіч Алейнікаў (シャルヘイ=ヤウへニイェヴィチ=アリェイニカウ)となる。なおベラルーシにおいて、ロシア語の普及率は高いため、ベラルーシ人が対外的にロシア語で名乗ることは一般的である。
- 2004年のUEFAジュビリーアウォーズにおいて、ベラルーシサッカー協会によって同国のゴールデンプレイヤー(過去50年間の最優秀選手)に選ばれた[3]。
- 現役時代3年を過ごした日本を「第2の故郷」と話しているように親日家である[11]。
- 2013年、ユヴェントス・レジェンズの一員としてベガルタ仙台の20周年記念試合に出場した[3]。
- 2023年、来日してガンバ大阪のパナソニックスタジアムを訪問している[12][13]。