レルコ
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レルコ(Relko、1960年 - 1982年?)は、フランスの競走馬である。主な勝ち鞍はプール・デッセ・デ・プーラン(1963年)、ダービーステークス(1963年)、ロワイヤルオーク賞(1963年)、ガネー賞(1964年)、サンクルー大賞(1964年)、コロネーションカップ(1964年)。
来歴
競走馬時代
2歳(1962年)
ル・トランブレー競馬場の1100メートル戦であるグラディアトゥール賞でデビューして勝利すると、続くメゾンラフィット競馬場のイザール賞にも勝利。
クリテリウムドメゾンラフィットでは有力馬と目されていたものの牝馬ネプチューンズドールに敗れて2着となり、続くグランクリテリウムでもフラダンサーの4着。更に出走したトーマスブリョン賞では2着に入った[4]。
3歳(1963年)
3歳初戦はロンシャン競馬場のギシュ賞に出走して勝利した後、プール・デッセ・デ・プーランを制した。
イギリスに遠征し、5月29日のエプソム競馬場で行われたダービーステークスに出走すると、26頭立てで単勝6.0倍の1番人気に支持された。21歳のイヴ・サンマルタンを鞍上に、序盤は先頭集団を追走し、直線に入ると早めに3番手まで進出。残り3ハロンでタルコガンを交わして先頭に立つと[5]、そのまま後続を突き放し、マーチャントベンチャラーやラグーザに6馬身差付けて快勝した。雨で馬場が緩んでいたためか、勝ち時計は2分39秒4と遅めであった[6]。
しかし、英国競馬において競走馬のドーピング問題が話題となる中で[7]、デイリー・エクスプレスがレルコの薬物検査で陽性反応が出たと報じたため[8]、論議を呼んだ。6月末にはアイリッシュダービーに単勝2.375倍の1番人気に支持されて出走予定であったが、直前に跛行のため取消となり、これが更に論争を過熱させた[9][10]。最終的に10月、検出された物質を特定できずレース結果への影響も証明し得ないため、レルコをダービーステークスの勝ち馬と確定させる旨がジョッキークラブより発表された[11]。
その後フランスで1走して敗れたともされるが、更に9月15日のロワイヤルオーク賞に出走すると、こちらではジョッケクルブ賞とパリ大賞典の勝ち馬であるサンクタスらを破って快勝した。
4歳(1964年)
ロンシャン競馬場のガネー賞を制した後、6月にはエプソム競馬場において重馬場の中で行われたコロネーションカップを制し、更には7月のサンクルー大賞も制した[4]。
同年はここまで3戦無敗であったが、9月に球節を負傷したため引退した[13]。
ジョン・ランドールとトニー・モリスは著書"A Century of Champions"において、レルコを20世紀のフランス馬としては15位、1960年代のダービーステークス勝ち馬としては2位に格付けした[14]。タイムフォームは、レルコに136ポンドのレーティングを与えている[15]。
種牡馬時代
1965年からイギリスのラヴィントンスタッドで種牡馬入りした。
レルキノ、ギブサンクス、オルウィン、ランフランコといった中長距離馬や障害競走馬のフロイドを輩出して種牡馬として活躍したが、その産駒は種牡馬としてあまり成功しなかった[16]。
また、産駒の1頭であるマイシエラレオーネは繁殖牝馬として、北米レコードタイムで第1回ブリーダーズカップ・マイルを制したエクリプス賞最優秀芝牝馬であるロイヤルヒロインを輩出した。
1982年3月30日に死亡し、バークシャー州のモルトハウススタッドに埋葬されたとされている[17]。
主な産駒
※主要競走の勝ち馬及び日本の重賞馬のみ
- 1967年産
- 1969年産
- Tierceron - 1972年ジョッキークラブ大賞、1972年イタリア大賞、1972年セントレジャーイタリアーノ
- 1973年産
- Relkino - 1977年ベンソン&ヘッジズゴールドカップ、1977年ロッキンジステークス、1976年アスコット2000ギニートライアルステークス
- 1974年産
- Olwyn - 1977年アイリッシュオークス
- 1977年産
- Deauville - 1980年イタリア共和国大統領賞
- 1978年産
- Karkour - 1983年カドラン賞、1982年ヴィシー大賞
- 1980年産
- Give Thanks - 1983年アイリッシュオークス、1983年ランカシャーオークス、1983年ミュージドラステークス、1983年オークストライアルステークス
- 1982年産
- Lanfranco - 1984年フューチュリティステークス、1985年キングエドワード7世ステークス
母の父としての産駒
※G1馬及び日本の重賞馬のみ
- 1973年産
- Sarah Siddons - 1976年アイリッシュ1000ギニー、1976年ヨークシャーオークス
- 1977年産
- Light Cavalry - 1980年セントレジャーステークス、1980年キングエドワード7世ステークス、1981年プリンセスオブウェールズステークス
- 1978年産
- Fairy Footsteps - 1981年1000ギニーステークス、1981年ネルグウィンステークス
- 1979年産
- Devon Air - 1984年ロスマンズジュライハンデキャップ、1984年ジョッキーブランドゴールドカップ、1984年リパブリックデイハンデキャップ
- Swiftfoot - 1982年アイリッシュオークス、1982年パークヒルステークス、1982年チェシャーオークス
- 1980年産
- Royal Heroine - 1983年ハリウッドダービー、1984年ブリーダーズカップ・マイル、1984年メートリアークステークス、1983年オペラ賞、1984年ビバリーヒルズハンデキャップ、1983年チャイルドステークス、1984年イングルウッドハンデキャップ
- 1992年産
- Cubata(クバター) - 1995年ポトランカス大賞
血統表
| 父系 | テディ系 [§ 2] | |||
|---|---|---|---|---|
父 Tanerko1953 黒鹿毛 |
父の父 Tantieme1947 鹿毛 |
Deux-Pour-Cent | Deiri | |
| Dix Pour Cent | ||||
| Terka | Indus | |||
| La Furka | ||||
父の母 La Divine 1943 黒鹿毛 |
Fair Copy | Fairway | ||
| Composure | ||||
| La Diva | Blue Skies | |||
| La Traviata | ||||
母 Relance1952 栗毛 |
Relic 1945 青毛 |
War Relic | Man o' War | |
| Friar's Carse | ||||
| Bridal Colors | Black Toney | |||
| Vaila | ||||
母の母 Polaire1947 黒鹿毛 |
Le Volcan | Tourbillon | ||
| Eroica | ||||
| Stella Polaris | Papyrus | |||
| Crepuscule | ||||
| 母系 (F-No.) | (FN: 16-h) [§ 3] | |||
| 5代内の近親交配 | Alcantara 5×5、Blandford 5×5 [§ 4] | |||
| 出典 | ||||