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レルコ

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レルコ(Relko、1960年 - 1982年?)は、フランスの競走馬である。主な勝ち鞍はプール・デッセ・デ・プーラン(1963年)、ダービーステークス(1963年)、ロワイヤルオーク賞(1963年)、ガネー賞(1964年)、サンクルー大賞(1964年)、コロネーションカップ(1964年)。

欧字表記 Relko
性別 牡
概要 レルコ, 欧字表記 ...
レルコ
欧字表記 Relko
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 1960年
死没 1982年?
父 Tanerko
母 Relance
母の父 Relic
生国 フランスの旗 フランス
生産者 François Dupré
馬主 Haras d'Ouilly
調教師 François Mathet(フランスの旗 フランス)
競走成績
生涯成績 13戦9勝?
獲得賞金 £151,787[1]
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来歴

レルコは、狭い流星と3本の所謂靴下を持ち、体高が16ハンド1インチ強であり、力強くコンパクトで均整の取れた鹿毛の馬であった[2][3]。

オーナーブリーダーのフランソワ・デュプレ(英語版)がノルマンディー地方のポン=ドゥイリー(英語版)に所有するアラスデュイリー(英語版)で生産され、1955年のダービーステークス勝ち馬フィルドレークを手掛けた経験もあるシャンティイ競馬場のフランソワ・マテ(英語版)調教師の下に送られた。

競走馬時代

2歳(1962年)

ル・トランブレー競馬場の1100メートル戦であるグラディアトゥール賞でデビューして勝利すると、続くメゾンラフィット競馬場のイザール賞にも勝利。

クリテリウムドメゾンラフィット(英語版)では有力馬と目されていたものの牝馬ネプチューンズドールに敗れて2着となり、続くグランクリテリウムでもフラダンサー(英語版)の4着。更に出走したトーマスブリョン賞(英語版)では2着に入った[4]。

3歳(1963年)

3歳初戦はロンシャン競馬場のギシュ賞(英語版)に出走して勝利した後、プール・デッセ・デ・プーランを制した。

イギリスに遠征し、5月29日のエプソム競馬場で行われたダービーステークスに出走すると、26頭立てで単勝6.0倍の1番人気に支持された。21歳のイヴ・サンマルタンを鞍上に、序盤は先頭集団を追走し、直線に入ると早めに3番手まで進出。残り3ハロンでタルコガンを交わして先頭に立つと[5]、そのまま後続を突き放し、マーチャントベンチャラーやラグーザ(英語版)に6馬身差付けて快勝した。雨で馬場が緩んでいたためか、勝ち時計は2分39秒4と遅めであった[6]。

しかし、英国競馬において競走馬のドーピング問題が話題となる中で[7]、デイリー・エクスプレスがレルコの薬物検査で陽性反応が出たと報じたため[8]、論議を呼んだ。6月末にはアイリッシュダービーに単勝2.375倍の1番人気に支持されて出走予定であったが、直前に跛行のため取消となり、これが更に論争を過熱させた[9][10]。最終的に10月、検出された物質を特定できずレース結果への影響も証明し得ないため、レルコをダービーステークスの勝ち馬と確定させる旨がジョッキークラブより発表された[11]。

その後フランスで1走して敗れたともされるが、更に9月15日のロワイヤルオーク賞に出走すると、こちらではジョッケクルブ賞とパリ大賞典の勝ち馬であるサンクタスらを破って快勝した。

しかし、続く凱旋門賞においては発走前に激しく興奮し、レースでも精彩を欠き、エクスビュリの6着に終わった[12]。

4歳(1964年)

ロンシャン競馬場のガネー賞を制した後、6月にはエプソム競馬場において重馬場の中で行われたコロネーションカップを制し、更には7月のサンクルー大賞も制した[4]。

同年はここまで3戦無敗であったが、9月に球節を負傷したため引退した[13]。

ジョン・ランドールとトニー・モリスは著書"A Century of Champions"において、レルコを20世紀のフランス馬としては15位、1960年代のダービーステークス勝ち馬としては2位に格付けした[14]。タイムフォームは、レルコに136ポンドのレーティングを与えている[15]。

種牡馬時代

1965年からイギリスのラヴィントンスタッドで種牡馬入りした。

レルキノ(英語版)、ギブサンクス(英語版)、オルウィン(英語版)、ランフランコ(英語版)といった中長距離馬や障害競走馬のフロイド(英語版)を輩出して種牡馬として活躍したが、その産駒は種牡馬としてあまり成功しなかった[16]。

また、産駒の1頭であるマイシエラレオーネは繁殖牝馬として、北米レコードタイムで第1回ブリーダーズカップ・マイルを制したエクリプス賞最優秀芝牝馬であるロイヤルヒロイン(英語版)を輩出した。

1982年3月30日に死亡し、バークシャー州のモルトハウススタッドに埋葬されたとされている[17]。

主な産駒

※主要競走の勝ち馬及び日本の重賞馬のみ

母の父としての産駒

※G1馬及び日本の重賞馬のみ

血統表

さらに見る 父系, 母系 (F-No.) ...
レルコの血統(出典[§ 1])
父系 テディ系 [§ 2]
父
Tanerko
1953 黒鹿毛
父の父
Tantieme
1947 鹿毛
Deux-Pour-Cent Deiri
Dix Pour Cent
Terka Indus
La Furka
父の母
La Divine
1943 黒鹿毛
Fair Copy Fairway
Composure
La Diva Blue Skies
La Traviata
母
Relance
1952 栗毛
Relic
1945 青毛
War Relic Man o' War
Friar's Carse
Bridal Colors Black Toney
Vaila
母の母
Polaire
1947 黒鹿毛
Le Volcan Tourbillon
Eroica
Stella Polaris Papyrus
Crepuscule
母系 (F-No.)   (FN: 16-h) [§ 3]
5代内の近親交配 Alcantara 5×5、Blandford 5×5 [§ 4]
出典
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脚注

外部リンク

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