マッチ (競走馬)
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| マッチ | |
|---|---|
| 欧字表記 | Match |
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 黒鹿毛 |
| 生誕 | 1958年 |
| 死没 | 1965年 |
| 父 | Tantieme |
| 母 | Relance |
| 母の父 | Relic |
| 生国 |
|
| 生産者 | Francois Dupre |
| 馬主 | Haras d'Ouilly |
| 調教師 | Francois Mathet |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 14戦7勝 |
| 獲得賞金 | 1,746,836フラン |
マッチ(Match、1958年 - 1965年)は、フランスのサラブレッドの競走馬、および種牡馬。フランス・イギリスの競馬で活躍したほか、アメリカ合衆国でワシントンDCインターナショナルにも優勝した。
かつて同名の馬がイギリスに存在したため、いくつかの資料ではマッチII (Match II) と表記されている。さらにアメリカでは同年生まれの競走馬に同名のものがいたため、こちらではマッチIII (Match III) と呼ばれた[1]。
フランス・カルヴァドス県にあった、ウィイー牧場 (Haras d'Ouilly) で生産された牡馬である。生産者名義は牧場主のフランソワ・デュプレ、馬主名義はウィイー牧場が宛がわれて競走馬として登録された。
デビューは3歳からで、ノアイユ賞に勝った後にフランスのクラシック路線に挑戦、リュパン賞やジョッケクルブ賞ではライトロイヤルの2着に敗れるが、9月のロワイヤルオーク賞で優勝、クラシック勝ち馬の称号を手にした。10月には凱旋門賞にも挑戦、5着に入った。
翌年は7月に出走したサンクルー大賞で優勝すると、続いてイギリス・アスコット競馬場のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに遠征を敢行、2着馬に3/4馬身差をつけて勝利を手にした。この後同年も凱旋門賞に挑戦したが、再び5着に敗れている。
1962年11月、マッチはアメリカ・ローレル競馬場からの招待を受けて、当時のアメリカで唯一の国際競走であったワシントンDCインターナショナルに、鞍上イヴ・サンマルタンを伴って出走した。同年の競走には、アメリカ勢として当時の3強であったケルソ・キャリーバック・ボーパープルが出走しており、またアメリカ国外からはマッチ以外にも日本のタカマガハラ、ソビエト連邦のザベッグ、イギリスのパーダオなどが登録されていた[2]。
オッズにおいてはケルソらアメリカ勢が人気を集めていたため、ほとんどの招待馬は単勝109倍の超大穴であった[2]。しかしボーパープルの調教師であったアレン・ジャーキンが「あのフランスの馬、あいつはケダモノだよ」と漏らすなど、マッチは招待馬の中でも高く評価を受け、単勝7倍とそこそこの人気に支持された[2]。
スタートからボーパープルが先手を打ったが、そこにキャリーバックとケルソが襲いかかり、その2頭で先頭を争う展開が続いていった。そして最終コーナー前でキャリーバックが力尽き、最後の直線に入ったところでケルソが完全に先頭に立つと、スタンドからはケルソの勝ちを確信したファンらのケルソコールが響きわたった。しかしその内側ラチ沿いからマッチは猛烈に追いこみ、ケルソを交わし、最終的に2着のケルソに1馬身半差をつけての優勝を飾った[2]。後にケルソの鞍上であったイスマエル・ヴァレンズエラは、この競走について「あいつが来たのは見えた。だけど自分にはあれをどうすることもできなかった。」と語っている[2]。
この競走をもって同年を終了、そして競走馬を引退した。
引退後
引退後はイギリスで種牡馬となったが、わずか3シーズン後の1965年に急死した。
産駒は非常に少なかったものの、遺児の一頭ワールドカップ(World Cup 1965年生、牡馬)がクイーンエリザベス2世ステークスに優勝し、ほかに8頭が重賞を制覇した。
日本に輸入された産駒にマッチウォン(2戦1勝)やトウケイニセイの祖母ヴェスタルファイアがいる。
評価
主な勝鞍
※当時はグループ制・グレード制未導入
- 1961年(3歳) 7戦3勝
- ノアイユ賞、ロワイヤルオーク賞
- 2着 - リュパン賞、ジョッケクルブ賞、パリ大賞
- 1962年(4歳) 7戦4勝
- サンクルー大賞、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、ワシントンDCインターナショナル
年度代表馬
- 1962年 - イギリス年度代表馬、最優秀古牡馬
- 1962年 - フランス最優秀古牡馬
血統表
| マッチの血統(テディ系 / 5代内アウトブリード) | (血統表の出典) | |||
父 Tantieme 1947 鹿毛 フランス |
父の父 Deux-Pour-Cent1941 鹿毛 フランス |
Deiri | Aethelstan | |
| Desra | ||||
| Dix Pour Cent | Feridoon | |||
| La Chansonnerie | ||||
父の母 Terka1942 青鹿毛 フランス |
Indus | Alcantara | ||
| Himalaya | ||||
| La Furka | Blandford | |||
| Brenta | ||||
母 Relance 1952 栗毛 フランス |
Relic 1945 黒鹿毛 アメリカ |
War Relic | Man o' War | |
| Friars Carse | ||||
| Bridal Colors | Black Toney | |||
| Vaila | ||||
母の母 Polaire1947 鹿毛 フランス |
Le Volcan | Tourbillon | ||
| Eroica | ||||
| Stella Polaris | Papyrus | |||
| Crepuscule F-No.16-h | ||||
母Relanceはフランス出身の馬で、マッチ以外にもダービーステークス勝ち馬のレルコ(Relko 1960年生、牡馬・父タネルコ)、ジョッケクルブ賞勝ち馬のリライアンス(Reliance 1962年生、牡馬・父タンティエーム)などを出した名繁殖牝馬であった。