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(秘)劇画 浮世絵千一夜

1969年に公開された日本のアニメ映画 From Wikipedia, the free encyclopedia

『㊙劇画 浮世絵千一夜』(マルヒげきが うきよえせんいちや)は、1969年(昭和44年)10月29日に東映系で公開されたレオTV映画プロダクション(現スタジオエル)製作の劇場用オリジナル長編アニメーション映画[1][2][3][4][5]。世界初の時代劇浮世絵アニメーション映画[1]。R18+(旧成人映画)指定[1][6][7]。併映『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(石井輝男監督、吉田輝雄主演)。

脚本レオ・ニシムラ
概要 ㊙劇画 浮世絵千一夜, ジャンル ...
㊙劇画 浮世絵千一夜
ジャンル アダルトアニメ
映画:㊙劇画 浮世絵千一夜
監督 レオ・ニシムラ
脚本 レオ・ニシムラ
制作 レオ・プロダクション
配給 東映
封切日 1969年10月29日
上映時間 70分[1]
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あらすじ

江戸深川で長屋暮らしの浮世絵師・春斉は、呉服屋の江戸屋勘助から密かに枕屏風に浮世絵の春画を描くように頼まれていた。そこで春斉は隣に住む駆け落ち夫婦の仁吉とおとよの情事をモデルに春画を描き上げ、絵の男女を「春信」「おたま」と名付けた。すると、春信とおたまは仁吉とおとよのあえぎ声に誘われて屏風の中から抜け出し、仁吉とおとよを殺してしまう。この知らせを聞いた幻術使いの女同心・幻お流が事件に乗り出すが…[1]。

キャスト

※全員ベテラン声優と新劇女優の変名[4][5]

  • 幻お流 - 滝かおる
  • 福助 - 大久保伸
  • 梅の幻斎 - 妻木一平
  • 浮世絵師春斎 - 山田卓司
  • 重藤左次馬 - 野坂竜太
  • 春信 - 若山昌夫
  • おたま - 三浦由紀子
  • 江戸屋ゆき - 原みちよ
  • おなみ - 藤原けい子
  • おとよ - 牟永君代
  • 仁吉 - 町田日出男
  • 江戸屋勘助 - 桂太郎
  • 頓兵衛 - 秋山連作

スタッフ

  • 脚本・演出(監督と同義) - レオ・ニシムラ
  • 原画監修 - 上野春楽
  • 原動画 - 熊沢年男、小松原宏、村田秀男、金沢幸男
  • 美術 - 勝又穣治
  • 背景 - 赤保谷愛花
  • 撮影 - 荒牧国繁、佐藤るみ子
  • 編集 - 中島照雄
  • 音楽 - カナリ良則とファイブサンズ
  • 録音 - 東音スタジオ
  • 配給 - 東映
  • 製作 - レオ・プロダクション

製作

企画

本作品は虫プロダクションが製作した大人向けアニメ『千夜一夜物語』(配給・日本ヘラルド映画)に便乗して製作されたのではなく、それ以前から製作に取り掛かっていたもので[2][3][8]、当初予定されていたタイトルも「幻お流捕物控 女妖浮世絵秘帖」というものだった[2][3][9]。ピンク映画の当時の製作費は1本200万円前後だったが[2]、本作の製作費はその10倍、2000万円を投入[2]。最初はピンク映画館で上映を予定していたが[2]、それではどんなにヒットしても製作費を回収できないことから[2]、製作会社・レオTV映画プロダクション(現スタジオエル)側から大手の東映に配給を依頼し[2]、『千夜一夜物語』のヒットに便乗して東映が買い上げた[4][10][11]。上映時間は75分[2][3]、70分[5]と報道されていた。うち20分が男女の喘ぎ声[5]。公開当時の複数の文献では同作を「ピンク動画」[2]、「ピンクアニメーション」[8]と紹介している。レオTV映画プロダクションがマスメディアに配布したスチール写真は、そのものズバリの場面ばかりで紙面には載せられず[5]、個人のコレクションに回された[5]。

上記、虫プロの『千夜一夜物語』は成人映画指定を受けておらず、結果的に本作が世界初の成人指定アダルトアニメとなった[12](なお、2011年公開のアダルトアニメ『STAR☆jewel』が単館系劇場で先行公開された際「18禁アニメ世界初の劇場公開」と紹介されたが[13]、これは完全な事実誤認である)。

監督

脚本と演出はレオTV映画プロダクション(現スタジオエル)社長のレオ・ニシムラ(西村徳衛)[注 1]が手掛け[3]、製作には1年余りの歳月を要した[8][14]。完成後、このフィルムを東映が2000万円で買いつけ、石井輝男監督のカルト映画『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』との同時上映で1969年10月29日に東映系全国53館の劇場で公開した[15]。ニシムラは「虫プロさんの『千夜一夜物語』がヒットしたので、よくあれをマネて作ったんじゃないかと言われるんですが、あの作品よりずっと前から製作にかかっていたんです。なにしろ、こっちは手がないもんで長いことかかってしまいました。日本人の伝統的芸術ともいえる浮世絵を一人でも多くの人に興味を持ってもらうと同時に映画では描写できないおいろけシーンをアニメーションでお見せしたかったわけです」[8]「西ドイツ、アメリカ、東南アジアなどからも買い手がついて契約を済ませた。続編製作の準備も進めている」と述べた[3]。大手映画会社が18禁アダルトアニメを配給したのは後にも先にも例がなく、東映が本作を配給するに至った背景として「東映ポルノ」と称されるエログロ色の強い過激な成人映画シリーズを当時の東映が打ち出していたことなどが理由として挙げられる[2]。『週刊朝日』1969年7月11日号に「どぎついセックス路線といえば東映の売物。一方、春と夏の年二回、子供向けの良心的な動画(東映まんがまつり)を公開して成功しているが、東映幹部の中では、このピンク動画が成功したら、もっと大掛かりなものを自社製作(東映動画)したらどうかという声が早くも出てるとか。動画なら逆さ吊りしても、ムチで打っても、女優が逃げ出す心配もない(『徳川いれずみ師 責め地獄』)ということか」などと書かれている[2]。原画監修は浮世絵画家・上野春楽があたった[8]。東映の組合側からは「動画(アニメ)の名門が、「ノレンにドロを塗るようなもの」[11]、「なぜピンク動画(アダルトアニメ)を配給せねばならないのか」との公開反対の声が挙がっていた[9]。

警視庁からのカット命令

映倫の審査を通過していたにも関わらず、一般公開後、「ワイセツなのでないか」と110番が殺到したため[4]、警視庁保安一課から猥褻な場面を削除するようにとの警告を受けた[4][11][16][17][18]。警視庁が指摘した"わいせつ個所"なる部分は、春画のアルバムをフラッシュバック的に見せるプロローグ部分と、性交渉の体位を見せる中盤部分の計6カ所(2分間)で[10][11][17][18][19]、「刑法に触れる疑いがあり、カットしない場合は断固取り締まる」ときつい警告があった[18]。公開直後に観た人たちからは「格別目くじらを立てるタチのものでもない」という意見が多かった[17]。しかし映倫ならびに東映は警視庁に出頭を命じられ[11]、「性交を描いた浮世絵」「行為中の女性のうめき声」「絶頂時に男根をちょん切る“忍法くの一締め”」「セックスポーズのシーン」ほか計6ヶ所のシーンが都内37館のフィルムからカットされた[9][11][20][21]。東映宣伝部は「映倫カットは、女を〇した後、男のマツタケがポロリと落ちるシーンだけです」と公表した[5]。映倫もアニメに甘いとなると同種の作品が流行するのではという声も上がった[5]。「映連をパスした映画でも処罰する」という警察庁が低俗映画の「自主規制強化策」を打ち出す形になったが[22]、この背景には東京高裁で『黒い雪』が「ワイセツだが無罪」という判決が出たこと[22]、当時の映画界は低俗映画が幅を利かせて、婦人団体や青少年団体などから取締り強化を求める声が全国各地で高まっていたことがあった[22]。

映画界にとっては「黒い雪事件」に次ぐありがたくない事件となり[18][21]、大手の東映がわざわざ独立プロの危険な映画を買って、むざむざアミに引っ掛かるという失態を演じ[18]、官憲の直接介入による作品のカットという悪い前例を残し、映画界にとって大きなマイナスとなった[18]。事実上の検閲復活の前触れを感じさせた[21]。動画の名門東映が、三流の外部作品を買ってミソをつけたお粗末は業界の笑いものになった[10][19]。大川博東映社長は勲二等瑞宝章を受章し、教育映画祭で功労章を受けたばかりで、映画製作を岡田茂に丸投げしていたことが悪い方に出た[11]。岡田茂東映企画本部長は「私も映倫維持委員の一人でもある。映倫は自主機関ではあるが、立派に通用している映倫を無視した行為でもあるので早急に対処し、製作者側としても、統一見解を出し、我々の考えを発表しようと考えている」などと述べた[22]。大手5社配給の映画で一般公開のあと警視庁がわいせつの疑いで警告や削除の要請を行ったのは、これが初めてのケース[16][17]。ニシムラは「ナンセンスの一語に尽きます。こんなものは成人映画ならいくらでもあるじゃないですか。浮世絵だって成人映画でしょう。たかが漫画なんですからね、ばかばかしくて。たいいち、これでは映倫の存在理由がなくなるんではありませんか」[17]「東映に売った以上、もう何も言うことはない。みせしめの警告にひかかったらしい」[10]などと述べた。映倫がパスさせた映画が、上映した途端、警視庁の横ヤリが入るという映倫不在の事態が生じた[19]。阪田英一映倫事務局長は「たとえ私どもの審査を通ったものでも、世評が芳しくないというのなら、これは仕方ありませんね」などと[17]、有賀健東映動画企画部次長は「困ったことになりました。ウチは春、夏と年二回子供向けの動画を製作してきており、こういう作品を上映しては誤解されてマイナス面が生まれることは分かっていた。山梨稔社長を通して東映と交渉してきたけど、ダメでした。試写を観ましたが、内容、技術面では問題外の作品です。これなら一般の人たちもウチの作品ではないことが分かってくれると思います」などと[4]、『黒い雪』の監督・武智鉄二は「警視庁の負け犬の遠吠え。この際何とかしないという一種のおどしです。性描写の大幅な解放は世界の風潮。そうした視野を見ないで、理論もなしに、一部の母の会や青少年団体の声だけ聞いて取り締まるのはおかしい」などと[22]、若松孝二監督は「明らかに表現の自由が侵される。映画は個々の感情によって違うものだし、人間の感情を抱く自由さえも奪ってしまうのか」などと[22]、新藤兼人監督は「映画は想像物であり、国家権力が介入するのは間違っている。昔、内務省が検閲制度を敷き、映画そのものを歪めた。自主規制である映倫を守ることは映画人の一つの義務」などと[22]、篠田正浩監督は「芸術作品を揚げれば、反対運動が起こる。それで文句の来そうもない拙劣なピンク動画を選んだんでしょう。警察の策略ですよ」[10]、映画評論家・小川徹は「権力が介入すれば、すぐにカットするという業者側の態度もいけない。黒い雪では、芸術性、思想性とセックスが問題になったが、『浮世絵ー』は、娯楽性とセックスが問題。芸術・思想性で闘う人はあっても、娯楽性とセックスで闘う人は一人もいないのか」などと述べた[4]。東映は「カットしたといっても1時間10分のうちわずか2分ですから。封切りも終了間際だったんですから、興行成績の勝負はもうついていました」などと述べた[17]。結局、本作は捨て週間での公開で興行成績も全く振るわず10日間で上映が打ち切られた。併映作『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』が興行不振のため、わずか10日で公開が打ち切られたという記録が残っている。

宣伝

キャッチコピー

「世界で初めて!浮世絵が動く声を出す、艶笑〈エロチシズム〉大人のまんが!」[7]「あッ見えた、動いた、声が出た!オールカラーアニメーションでねっとり描く世界初の時代劇浮世絵巨篇」[5]。

作品の評価

本作はアニメ映画史上において最も出来の悪い作品の一つとして評価されており、本作を紹介したごく一部のアニメ評論家からも「内容は実にお粗末の一語につきる動画だった」[4][9]と酷評され、現在も半ば黙殺された存在となっている。

劇場で本作を視聴した映画評論家の森卓也は映画雑誌『キネマ旬報』に以下の批評文を寄稿している。

製作したレオ・プロダクションなるものを私はしらない。いずれにしても虫プロの『千夜一夜物語』のヒットにあやかろうという魂胆は誰の目にも明らかだろう。いやはや、下には下があるものだ。失望の超大作『千夜一夜物語』も、これに比べたら「不朽の名作」である。なんのかんのといっても、虫プロの『千夜一夜物語』には、白蛇の精の抽象的なセックスシーンのように、1つ2つは印象に残るものが無いではなかった。が、『浮世絵千一夜』には、それがない。なんにもない。歯医者の待合室に転がっているマンガ週刊誌のエロ劇画の方がまだしもプロポーションがちゃんとしているし、第一、ヘタに動かないだけでも良い。とにかくこれほど退屈かつ不快なものが娯楽としてまかり通るのだということが、金五百円也と一時間十分を費やして私が得た貴重な教訓なのである。 — キネマ旬報社『キネマ旬報』No.511 1969年12月上旬号「日本映画批評」p.62-64

結局本作は興行的にも作品的にも全く評価されることなく、これを最後にレオ・プロダクションは活動を停止した(その後、同社はスタジオエルと改組・改称して現在も事業継続中である)。

その後、日本テレビ系平日夕方放送の帯アニメを手がけた東京テレビ動画がレオ・プロダクションと同じく虫プロの「アニメラマ」に便乗し、1971年に日本ヘラルド映画の企画で、過激な性描写が売りの劇場用ポルノアニメ『ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!』(原作・谷岡ヤスジ)を制作・公開するが興行は大失敗に終わり、本作を最後に東京テレビ動画は解散を余儀なくされた。

1960年代後半から1970年代前半にかけて登場した劇場用アダルトアニメはこの2作と虫プロのアニメロマネスク『哀しみのベラドンナ』(1973年公開)の興行的惨敗によって、わずか数年で完全消滅する[23]。その後、史上初の成人向けOVA『ロリータアニメ』(原作・中島史雄)が1984年に発売されるまで新作のアダルトアニメは10年以上にわたり市場から姿を消すことになった[15]。

映像ソフト化

1970年にオープンリール式のビデオテープ(収録時間70分の上映版)が発売されたのち、一般家庭にビデオデッキが普及する前後の1970年代後半から1980年代前半にかけて東映芸能ビデオから収録時間60分の短縮版VHSソフトが5万5000円(のちに4万4500円に価格改定)で発売されていた[15]。以後は再発売もDVD化も行われていない。また、フィルムの現存状況も不明である[15]。

脚注

参考文献

外部リンク

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