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篠田正浩

日本の映画監督 (1931-2025) From Wikipedia, the free encyclopedia

篠田 正浩(しのだ まさひろ、1931年3月9日 - 2025年3月25日)は、日本の映画監督。株式会社表現社代表取締役、早稲田大学特命教授[1]、日本中国文化交流協会代表理事、城西国際大学メディア学部客員教授[2]。

生年月日 (1931-03-09) 1931年3月9日
没年月日 (2025-03-25) 2025年3月25日(94歳没)
職業 映画監督
株式会社表現社代表取締役
早稲田大学特命教授
日本中国文化交流協会代表理事
城西国際大学客員教授
概要 しのだ まさひろ 篠田 正浩, 生年月日 ...
しのだ まさひろ
篠田 正浩
篠田 正浩
『キネマ旬報』1962年4月上旬春の特別号より
生年月日 (1931-03-09) 1931年3月9日
没年月日 (2025-03-25) 2025年3月25日(94歳没)
出生地 日本の旗 日本 岐阜県岐阜市
職業 映画監督
株式会社表現社代表取締役
早稲田大学特命教授
日本中国文化交流協会代表理事
城西国際大学客員教授
ジャンル 映画
活動期間 1960年 - 2003年 (映画監督)
配偶者 白石かずこ
岩下志麻 (1967年 - )
著名な家族 篠田桃紅 (従姉)
主な作品
『乾いた花』
『心中天網島』
『はなれ瞽女おりん』
『夜叉ヶ池』
『鑓の権三』
『少年時代』
『写楽』
『スパイ・ゾルゲ』
受賞
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(芸術貢献賞)
1986年 『鑓の権三』
日本アカデミー賞
最優秀監督賞
1991年『少年時代』
最優秀編集賞
1996年『写楽』
ブルーリボン賞
その他の賞
キネマ旬報ベスト・テン
日本映画監督賞
1970年『心中天網島』
芸術選奨文部科学大臣賞
1970年『沈黙』
京都国際映画祭
2016年 牧野省三賞
備考
受賞・ノミネートも参照
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経歴

岐阜県岐阜市生まれ[1]。梅林小学校[3]、岐阜県立加納高等学校、早稲田大学第一文学部[1]卒業後、松竹に入社[1]。1960年代にかけて大島渚、吉田喜重とともに松竹ヌーヴェルバーグの旗手と呼ばれた[4]。

早々に会社と衝突して独立した二人と異なり、松竹にしばらく残った後、1966年にフリーになる。翌年に独立プロダクションの株式会社表現社を設立。前衛的作品も辞さない大島や吉田に比べ、篠田は平易なサービス精神も持ち合わせており、独立後の1960年代後半から1970年代前半は『心中天網島』(1969年)や『無頼漢』(1970年)などの先鋭的な作品を独立プロから連発したが、1970年代後半からは『はなれ瞽女おりん』(1977年)や『鑓の権三』(1986年)などの大手映画会社配給の大作が多く、『鑓の権三』ではベルリン国際映画祭の銀熊賞 (芸術貢献賞)を受賞した。1990年、『少年時代』で第14回日本アカデミー賞の作品賞・監督賞を受賞。カンヌ国際映画祭のコンペティション部門へは『写楽』(1995年)など3度の出品を果たした。作品には妻である岩下をはじめ、浜村純、大滝秀治、加藤治子、津村鷹志、永澤俊矢などを複数回起用していた。1986年から1987年のTBS系列番組『日本が知りたい』ではキャスターも務めた。

2003年、大作『スパイ・ゾルゲ』を最後に映画監督からの引退を発表した。2016年、京都国際映画祭2016で牧野省三賞を受賞[5]。

2025年3月25日、肺炎のため死去[6][7]。94歳没。

人物

父親の篠田敏司は兄とともに岐阜市で篠田電機工場を経営[8]。妻は女優の岩下志麻で、美術家の篠田桃紅は従姉、義兄に広瀬嘉吉(元岐阜商、長良高、中央大学野球部監督)。先妻に早稲田大学時代のクラスメートだった詩人の白石かずこがいる。広島カープのファンである。

高校時代は400m走の選手だったこともあり、大学入学時に早大競走部に入部。当時の早大競走部の長距離コーチで、後にオリンピックマラソン代表の瀬古利彦を育てた中村清に長距離転向を促され、1年生で1950年の「第26回東京箱根間往復大学駅伝競走」(箱根駅伝)に出場し、「花の2区」を走った。翌1951年に足の故障で陸上選手を断念した[9](ただし、当時は3区がエース区間で、2区は現在でいうエースクラスが集う区間ではなかった)。

大学駅伝に対しては強い思い入れを持っており、毎年シーズンになると熱心に観入っていたという。特に箱根駅伝については「箱根駅伝は一種の神事だと思うんだ。お正月から、若者たちが箱根の山に向かって走るわけだ。たすきは各校の御輿でね。」とインタビューで答えている[10]。

1965年にベ平連が発足した際の呼びかけ人になっている[11]。

助監督に就いた小栗康平は、岩下志麻に向って「篠田みたいな横暴な男には二度と就きません」と言ったという[12]。

監督作品

『乾いた花』(1964年)
『美しさと哀しみと』(1965年)
原作:近松門左衛門、脚本:富岡多恵子・武満徹・篠田正浩

著書

  • 『心中天網島 篠田正浩作品集』仮面社、1970
  • 『闇の中の安息 篠田正浩評論集』フィルムアート社、1979
  • 『駈けぬける風景』創隆社、1980。旺文社文庫、1984
  • 『エイゼンシュテイン 20世紀思想家文庫』岩波書店、1983
  • 『日本語の語法で撮りたい』日本放送出版協会〈NHKブックス〉、1995
  • 『映画で出会った人々』緑の笛豆本 1996。ブックレット
  • 『監督、撮らずに観る 映画館では見えてこない映画の話』ステレオサウンド、1997
  • 『私が生きたふたつの「日本」』五月書房、2003
  • 『河原者ノススメ 死穢と修羅の記憶』幻戯書房、2009、新版2021
  • 『路上の義経』幻戯書房、2013
  • 『篠田正浩 映画講義』城西大学出版会、2016
  • 『卑弥呼、衆を惑わす』幻戯書房、2019

共著編

没後出版

  • 『世界の映画作家 篠田正浩』キネマ旬報社、2026
  • 岩下志麻『同志として妻として -「運命の人」篠田正浩と歩いた道』講談社、2026

出演

テレビ

CM

受賞・ノミネート

関連人物

脚注

外部リンク

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