七尾市歌

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作詞 七尾市
七尾市シンボル等策定市民会議
採用時期 2026年3月17日[1]
言語 日本語
七尾市歌(3代目)

市歌の対象
七尾市

作詞 七尾市
七尾市シンボル等策定市民会議
作曲 松本俊明
採用時期 2026年3月17日[1]
言語 日本語
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七尾市歌」(ななおしか)は、日本石川県七尾市が制定した市歌である。以下の3代が存在する。

  1. 1941年(昭和16年)制定[2]。作詞は西川好次郎、作曲は今井松雄。
  2. 1968年(昭和43年)制定[3]。作詞は河西新太郎、作曲は供田武嘉津
  3. 2026年(令和8年)制定[1]。作詞は七尾市・七尾市シンボル等策定市民会議、作曲は松本俊明

現在の市歌は3.である。

映像外部リンク
七尾市歌 - YouTube(七尾市公式YouTubeチャンネルNanao_city)

現行の3代目「七尾市歌」は、2026年(令和8年)3月17日付で制定された[1]

1968年(昭和43年)に作られた2代目「七尾市歌」の制定主体であった(旧)七尾市は平成の大合併において鹿島郡北部の田鶴浜町中島町および能登島町新設合併し、2004年(平成16年)10月1日を以て(新)七尾市が発足した。地方自治法上は合併前の旧市の名称を引き継いでいても別個の地方公共団体として取り扱われるため、合併協議会において個別に取り決めを行わない場合は同名旧市の制度は自動的に失効したものとみなされる。(旧)七尾市以外の3町では中島町のみイメージソングとして「ふるさとよいつまでも」「イヤサカなかじま」の2曲を作成していたが[4]、七尾・鹿北合併協議会では「新市の市章、市民憲章、市の花木等及び市歌については、新市において新たに定めるものとする」と取り決められた[3]。これに伴い、旧市が制定した2代目「七尾市歌」および中島町の2曲はいずれも合併当日に失効・廃止となり公的な地位を喪失したものと解される。

しかしながら、合併10周年を機に設置された七尾市シンボル等策定市民会議では以下の通り結論が先送りされることとなり、公的には廃止された扱いの2代目「七尾市歌」が2010年代以降も新市の行事で慣例的に演奏され続けていた[5]

歌については、今回はシンボルとしないが、菜の花などの4つがシンボルとして親しまれ、十分に機運が盛り上がった時 期に制定することが望ましいと考え、将来的に市民会議を設置して検討されることを期待する七尾市シンボル等策定市民会議(2013)[6]

2025年(令和7年)4月、合併20周年を機に10年ぶりの市民会議が設置された際に前回は先送りとなった3代目(合併後の新市としては初代)市歌の制定準備が年度内を目処に進められることになった。制定に当たっては合併20周年と併せて、前年の能登半島地震からの復興も作成動機に挙げられている[7]

3代目市歌では2006年(平成18年)に採択された2代目市民憲章「市民のねがい」の理念を1番に反映した憲章歌を兼ねており、2番は市民会議の合議により能登島和倉温泉を地域の情景として取り上げている[8]。作曲は石川県文化観光大使の松本俊明に依頼されたもので、同年4月1日より防災無線を通じた演奏が行われる。

旧市歌

七尾市歌(初代)

市歌の対象
七尾市

作詞 西川好次郎
作曲 今井松雄
採用時期 1941年4月1日
採用終了 1968年6月16日(2代目市歌制定、演奏実態は1940年代後半に消失)
言語 日本語
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初代

初代の「七尾市歌」は1941年(昭和16年)に北國毎日新聞が市制施行を記念して懸賞募集を実施し[9]、市に寄贈したものである。日本国内だけでなく満洲上海からも応募があり、1108篇にのぼる応募作から和歌山県在住で戦後に地元の県民歌で入選した西川好次郎の作品が一等入選として採用された[9]。作曲者の今井松雄は石川県女子師範学校教諭で、戦後に「金沢市民の歌」を作曲している。

この初代市歌は日中戦争が激化した時期に制定された世相もあり「皇国(みくに)の明日を負う」「興亜の道ひとつ」と大時代的な語句が含まれていたため、太平洋戦争の終結を境に演奏されなくなった。

2代目

七尾市歌(2代目)

市歌の対象
七尾市

作詞 河西新太郎
作曲 供田武嘉津
採用時期 1968年6月17日[3]
採用終了 2004年9月30日(翌日に新設合併のため、ただし3代目市歌制定までは慣例的に演奏が継続されていた)
言語 日本語
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市制30年開港70年記念制定
七尾市歌」
前田おさむシングル
A面 七尾市歌
B面 七尾市歌(メロディー
リリース
規格 シングル盤
録音 1968年
ジャンル 市歌
レーベル 日本マーキュリー(DM-3331)
作詞・作曲 作詞:河西新太郎
作曲:供田武嘉津
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2代目の「七尾市歌」は1969年(昭和44年)の市制30周年・七尾港開港70周年を迎えるに当たり、前年に市民憲章・市花(ツツジ)および推奨花(春:スミレ、秋:サルビア)と合わせて新市歌の懸賞募集を実施したものである[10]。懸賞募集に入選した河西新太郎は香川県在住の詩人で、初代に続き石川県外からの応募作が採用された。制定時に日本マーキュリーシングル盤規格品番:DM-3331)を製造している。

曲の完成後に七尾市議会へ初代「七尾市民憲章」および市花・推奨花と合わせて市歌制定議案が上程され、1968年(昭和43年)6月17日に全会一致で可決、成立ののち7月18日に発表演奏が行われた[11]。前述の通り新設合併後も3代目市歌の制定までに20年余りを要した経緯から、旧市域では2代目市歌が公的に失効・廃止となった後も行事における演奏が新市歌の制定まで継続されていた。

また、1980年(昭和55年)12月17日には初代市民憲章の理念普及を目的とした憲章歌「願いさやかに」(作詞:中村孝一、作曲:橋本道彦)が市歌とは別に制定されていた[12]

参考文献

  • 石川県教育委員会文化課 編『石川の文化'80』(石川県教育委員会、1981年) NCID BA33275438
  • 七尾市議会史編さん委員会・専門委員会 編『七尾市議会史』(1982年) NCID BN15579352

出典

関連項目

外部リンク

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