三笠宮彬子女王
日本の女性皇族 (1981-)
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三笠宮彬子女王(みかさのみや あきこじょおう、1981年〈昭和56年〉12月20日 - )は、日本の皇族。三笠宮家3代当主(2025年〈令和7年〉9月30日 - )。身位は女王。敬称は殿下[1]。お印は雪(ゆき)。勲等は勲二等。学位は DPhil(オックスフォード大学・2011年)[2]。
| 称号:女王 | |
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| 敬称 |
殿下 Her Imperial Highness the Princess |
第126代・今上天皇(徳仁)の再従妹にあたる。第123代大正天皇の曾孫。寬仁親王と同妃信子の第1王女。
2026年現在、存命中かつ皇籍離脱していない皇族14名のうちのひとりであり、天皇の血を直系で受け継ぐ男系皇族(親王・内親王・王・女王)8名のうちのひとりである[注釈 1][注釈 2]。
略歴
生い立ち


寬仁親王と同妃信子の第一子として誕生。1947年(昭和22年)10月に11宮家が皇籍離脱した後の現皇室典範下における女王誕生は初。2005年(平成17年)11月の清子内親王の皇籍離脱以降、未婚の女子皇族では最年長。
松濤幼稚園に1年間在籍後学習院幼稚園に移り、以降は学習院で教育を受ける。小学6年時に執筆した作文の中で喘息の持病があることを明かし、1996年に父・寬仁親王が『徹子の部屋』に出演した際、司会者の黒柳徹子が朗読する形公表された[4]。2004年(平成16年)3月に学習院大学文学部史学科を卒業した。
学術研究と公的活動
2004年9月より、イギリスのオックスフォード大学マートン・カレッジに留学し、日本美術史を専攻し海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行う[5]。留学に当たり、同大学に留学経験のある皇太子から、学内生活に関わる事柄のレクチャーを受ける。父・寬仁親王からは「公務をしない間に何をしていたのか国民に説明するように」との進言を受け、後述する留学記を学業と並行して執筆[6]。
2009年(平成21年)10月1日、立命館大学衣笠総合研究機構ポストドクトラルフェローに就任[7]。
2010年(平成22年)1月にオックスフォード大学大学院博士課程を修了し、博士号(D.Phil.)を取得[2]。博士号取得は博士(理学)(総合研究大学院大学)の秋篠宮文仁親王に続き、皇族2人目で女子皇族では初、海外の大学からの課程博士号取得は皇族として史上初となった。
2012年(平成24年)、ポストドクトラルフェローの任期が切れた4月より、2014年(平成26年)12月まで天皇の幼稚園時代の学友で慈照寺住職を務める臨済宗相国寺派管長の有馬頼底に依頼し、宗教法人慈照寺研修道場美術研究員に就任。
2012年(平成24年)4月、発起人代表として心游舎を設立し、翌2013年の一般社団法人化に伴い同法人の総裁に就任。
4月1日より2013年3月まで、立命館大学衣笠総合研究機構の特別招聘准教授を、2013年4月から2014年3月まで、同客員准教授を務める。同年5月1日からは法政大学国際日本学研究所客員所員も務め、文部科学省国際共同に基づく日本研究推進事業欧州の博物館等保管の日本仏教美術資料の悉皆調査と、それによる日本及び日本観の研究に従事し、ドレスデン美術館やポーランドに出張[8]。
2013年(平成25年)6月12日、寬仁親王の後任として日本・トルコ協会総裁に就任。
2014年(平成26年)4月、京都市立芸術大学芸術資源研究センター特別招聘研究員及び公益社団法人日本職業スキー教師協会総裁に就任。2015年(平成27年)4月、中近東文化センター総裁に就任。
2018年(平成30年)1月、2017年3月9日付でトルコ政府に認可されている三笠宮記念財団[9]総裁に就任することが発表される。
2019年(令和元年)5月10日、日本ラグビーフットボール協会名誉総裁に就任[10]。
2020年(令和2年)4月、千葉工業大学特別教授および千葉工業大学地球学研究センター主席研究員(非常勤)に就任[11]。
2022年(令和4年)3月1日、寛仁親王薨去で空席だった日英協会名誉総裁に就任[12][13][14]。
2024年(令和6年)4月3日、女王自身が英国留学時代の体験などを書いた『赤と青のガウン』(2015年出版)がPHP文庫から文庫化された。発行元のPHP研究所は5月17日、『赤と青のガウン』がメディアとSNSで話題になり累計10万部(6刷・5月20日出来)に達したと発表。彬子女王はフジテレビの情報番組『めざまし8』の取材で、次回作を書く予定があるかを尋ねられると「そのあと(帰国後)ということになりますと私の日常で起こった"すべらない話"をまとめるような形になってしまうような気もするので、そうしますとなかなか書くのが難しいこともあるかなと思ったりもいたします」と返答[15]。12月に第10回ミヤボン2024 大賞を受賞[16]、同月より『小説新潮』で池辺葵による漫画版の連載開始[17]。
9月16日、テレビ朝日のトーク番組『徹子の部屋』に出演。『赤と青のガウン』を書くきっかけとなったエピソードや皇族として生活する上での苦労話、日常の出来事などを語った[18][19]。また、現在は京都で生活をしており、心游舎の総裁として、次世代を担う子供たちを対象としたワークショップを行っていることも言及した[18][20]。
10月29日、千葉工業大学名誉博士を受贈[21]。
11月15日、祖母・崇仁親王妃百合子が薨去し、一連の葬儀では喪主を務めた。
2025年(令和7年)4月21日、ラジオパーソナリティとして特番『彬子女王のオールナイトニッポンPremium』(ニッポン放送)に出演。50年前に父・寬仁親王も『オールナイトニッポン』でパーソナリティを務めたことがある[22]。番組内ではアシスタントを務めた落語家の立川志の八やゲストで家族ぐるみの付き合いのある歌舞伎役者の中村勘九郎を交え、終盤では祖父・三笠宮崇仁親王が1966年放送の『レクリエーションABC』第1回に日本レクリエーション協会総裁として出演した際の音源や、1991年放送の特別番組『三笠宮寬仁親王殿下をお迎えして』での寛仁親王の音源も紹介された[23][24]。
2025年9月、トルコを訪問、イスタンブールで「日本・トルコ外交関係樹立100周年記念 出光美術館所蔵 日本陶磁展」のオープニング式典に出席、首都アンカラのアンカラ大学で、美術史分野の名誉博士号を受贈[25][26]。また首都アンカラの大統領公邸で、同国大統領夫人のエミネ・エルドアンと環境問題、文化遺産、そして食文化に関する意見交換を行った[27]。
2025年9月30日付けで三笠宮家の当主となったことが発表される[28]。三笠宮家は前年11月に崇仁親王妃百合子が薨去し当主不在となっていた。未婚の女性皇族が宮家の当主になったのは、第12代桂宮当主となった淑子内親王以来136年ぶり[29]。また、母・寛仁親王妃信子はこれを機に三笠宮家を離れ、新たな宮家「三笠宮寛仁親王妃家」を創設し、独立の生計を営むことになった。
2026年5月7日、赤坂御用地の三笠宮東邸(旧寛仁親王邸)から、同じ御用地内の三笠宮邸に転居した。同居していた瑶子女王は引き続き三笠宮東邸に居住。三笠宮・百合子妃の霊棚が三笠宮邸に、寬仁親王の霊棚が三笠宮東邸にあり、姉妹それぞれが祭祀を行い管理するというのが表向きの転居理由[30]。
寬仁親王の葬儀
「女性宮家」に関する発言
2012年(平成24年)1月7日の『毎日新聞』のインタビュー記事で皇位継承問題に絡む女性宮家創設問題について、日本国政府の議論が女性宮家を創設するかどうかのみとなっていることに違和感を覚えているとし、戦後に皇族の身分から離れた旧皇族の復帰案もあることを指摘している。また、結婚後に公務を続けることについては「結婚後も公務をすることに抵抗はありません」と語った。この記事の元になったインタビューでは、女性宮家創設は、結婚適齢期の女性皇族にとって今後の人生を左右する問題であることに触れ「決めるのであれば早く決めていただきたい」と答えた。
しかしその後の一部報道で、この言葉があたかも女性宮家創設を推進する発言であるかのように伝えられた[32]。
普段のマスコミとの会見は日本国憲法上の理由から伯父の政治家である麻生太郎の話を表立って話すことはないが、祖母にあたる崇仁親王妃百合子が高齢となり体調が憂慮された際には、その様子を本人の代わりにメディアによく伝えていた(崇仁親王妃百合子は2024年11月15日に薨去)。
スポーツ振興
2012年(平成24年)から、全日本学生スキー選手権大会のリレー競技では、男子の優勝校に寬仁親王牌が、女子の優勝校に彬子女王牌が下賜されている[33]。
2016年(平成28年)9月21日に東都大学野球の始球式を務め、その際に着用したユニフォームの背番号「38」(宮(ミヤ)家にちなむ)は國學院大學硬式野球部の永久欠番となった[34]。
競輪では、GI寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメントの表彰式で、優勝者に賜杯を授与する[35][36]。GI高松宮記念杯競輪でも2015年や2019年[37]、2024年に、優勝者にカップを授与した。優秀選手表彰式典にも出席する年もある[38]。自転車競技大会で「寛仁親王記念ワールドグランプリ」(NPO法人CSSシクロ)もある[39]。
2019年(令和元年)5月10日、公益財団法人日本ラグビーフットボール協会の名誉総裁に就任した[10]。日本国内での大きな試合などでは臨席し、試合前に選手たちを激励することがある[40][22]。父である寬仁親王は、1991年(平成3年)から2012年(平成24年)まで日本ラグビーフットボール協会の名誉総裁を務めた[41][42]。大学チーム日本一を競う「全国大学ラグビーフットボール選手権大会」の優勝校には、寬仁親王杯が贈られる。
2025年(令和7年)より、F1日本グランプリの大会最高名誉総裁に就任。その前年の2024年より決勝レースに訪問している。
研究活動
2004年(平成16年)の学習院大学卒業後、同年9月よりオックスフォード大学に留学した。2006年(平成18年)12月、東京大学(本郷キャンパス)で開催されたジャポニスム学会第四回例会で「標本から美術へ-19世紀の日本美術蒐集:シーボルト、アンダーソン、フェノロサ」と題した研究を発表した。
2007年(平成19年)7月、お茶の水女子大学で開かれた第9回国際日本学シンポジウムで「ウィリアム・アンダーソン・コレクション再考」と題した研究を発表した。論文は『比較日本学研究センター研究年報』第4号に掲載されており、大学のホームページから閲覧可能である。
2009年(平成21年)2月、日本美術誌『国華』1360号にも論文が掲載された。7月、論文「「風俗画」再考 -西洋における日本美術研究の視点から-」が、『風俗絵画の文化学―都市をうつすメディア』(思文閣出版)に掲載された。10月1日から立命館大学衣笠総合研究機構で研究員となり、日本の有形・無形文化財をデータベース化する作業などに携わる。
2010年(平成22年)1月19日、オックスフォード大学での学位口頭試問に合格、オックスフォード大学博士課程を修了して、博士号(D.Phil.)を取得した。論文テーマは“19〜20世紀に大英博物館が収集した日本の美術品とその展示の事例にみる、英国人の日本美術観の変化について”(全文英語、全320ページ)。研究発表リハーサルで、別の日本人院生が担当教授から論文全文書き直しだけを指示された(何が問題なのかは自分で考えなければならない)のを見て“自分はプリンセスだから評価に「下駄を履かされている」のではないだろうか、自分が対象だったら何をどうすべきかまで細かく指導を受けたのではないか”と落ち込んだこともあったという。
2010年1月31日付で留学を終了した。帰国後は立命館大学衣笠総合研究機構(グローバルCOEプログラム日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点日本文化研究班)ポストドクトラルフェロー(PD)に就任した。10月にハワイ大学での日本美術のシンポジウムを現地の研究者と共同で企画し、研究発表を行った。
2012年(平成24年)4月から2014年(平成26年)12月まで宗教法人慈照寺研修道場美術研究員として勤務した。また同月から2013年(平成25年)3月まで立命館大学衣笠総合研究機構で特別招聘准教授、2013年4月から2014年3月まで同機構客員准教授に就任。2014年5月より同機構客員協力研究員を務めている。
2012年5月より法政大学国際日本学研究所(文部科学省国際共同に基づく日本研究推進事業欧州の博物館等保管の日本仏教美術資料の悉皆調査とそれによる日本及び日本観の研究)の客員所員に就任。2014年4月、京都市立芸術大学芸術資源研究センター特別招聘研究員、併せて同センター客員教授に翌年4月から就任した。
2015年(平成27年)4月より京都産業大学にて特別教授(日本文化研究所研究員)として勤務している[43]。
研究職肩書一覧
著作
単著
- 『赤と青のガウン -オックスフォード留学記-』PHP研究所、2015年/PHP文庫、2024年
- 『日本美のこころ』小学館、2015年12月(雑誌「和楽」の連載をまとめたもの)/小学館文庫、2024年12月(『最後の職人ものがたり -日本美のこころ-』とともに1冊の文庫にまとめたもの[45])
- 『京都 ものがたりの道』毎日新聞出版、2016年10月(毎日新聞の連載をまとめたもの)/新装版 2024年7月(加筆補正の上新書化)
- 『最後の職人ものがたり -日本美のこころ-』小学館、2019年2月(「和楽」連載の該当号分抜粋)
- 『飼い犬に腹を噛まれる』PHP研究所、2025年9月
- 『日本文化 寄り道の旅〜彬子女王殿下特別講義〜』扶桑社、2025年11月
編著
- 『文化財の現在 過去・未来』宮帯出版社、2013年(シンポジウムをまとめた論文集)
学術論文
- 「書評 ウィリアム・アンダーソン『日本絵画芸術』および関連文献集成」『ジャポニスム研究』(通号 28) 、2008年
- 「ウィリアム・アンダーソン・コレクション再考 (第9回国際日本学シンポジウム) -- (ヨーロッパにおける日本美術史の成立と発展--フランス及びイギリスの主要な日本美術コレクションの果たした役割)」『お茶の水女子大学比較日本学研究センター研究年報』(4)、2008年3月
- 「標本から美術へ : 十九世紀の日本美術品蒐集、特にアンダーソン・コレクションの意義について」『國華』114(7) (通号 1360)、2009年2月
- 「解釈の創出 「風俗画」再考」『風俗絵画の文化学』思文閣出版、2009年7月
- 「風俗画と京都-京都商品陳列所の公式カタログに描かれた風俗画を中心に」「あとがき」松本郁代、出光佐千子、彬子女王編『風俗絵画の文化学II』思文閣出版、2012年3月
- 「大英博物館所蔵アンダーソン・コレクションの可能性」『豊饒の日本美術 小林忠先生古稀記念論集』藝華書院、2012年3月
- 「19世紀英国における円山四条派理解について-英国人蒐集家が京都の画師に寄せた思い-」『京都イメージ-文化資源と京都文化』ナカニシヤ出版、2012年3月
- 「英国における日本美術コレクション-特に大英博物館を中心として」『近世やまと絵再考─日・英・米それぞれの視点から』 ブリュッケ、2013年10月
- 「海を渡った法隆寺壁画─西洋における「うつし」の役割」」「あとがき」 島尾新 彬子女王 亀田和子編 『写しの力-想像と継承のマトリクス-』 思文閣出版、2013年12月
新聞・雑誌掲載記事(インタビュー)
- 「若き皇族の「生活」と「意見」」『文藝春秋』2009年12月
- 「女性皇族で初の博士号を英オックスフォード大でとった 彬子さま」『朝日新聞』朝刊「ひと」欄、2010年2月10日
- 「日々のお暮しとライフワーク 彬子女王殿下」『皇室』第48号、扶桑社、2010年秋
- 「急接近:彬子さま 典範改正に向けた女性皇族自身の思いとは?」『毎日新聞』朝刊、2012年1月7日
- 「寛仁親王殿下逝去90日:彬子さまが葬儀の秘話を語る」『毎日新聞』朝刊、2012年9月5日
- 彬子女王/瑶子女王「今だから語れる寛仁親王、父の素顔」『文藝春秋』2012年10月
雑誌寄稿記事
雑誌・Web連載
- 小学館 『和楽』 誌上連載 「日本美のこころ」
- 「伊勢神宮の御神宝」2011年1月号
- 「世界中が感嘆した幕末・明治の工芸」 2011年2月号
- 「外国人が遺してくれた日本の文化遺産・浮世絵」2011年3月号
- 「世界で唯一の芸術、日本の竹工芸」 2011年4月号
- 「文人趣味を色濃く残す煎茶」2011年5月号
- 「大英博物館の「日本」」2011年6月号
- 「彬子女王×千宗屋in真珠庵 原点で語る日本美の未来」2011年7月号
- 「時空を超えた贈り物」2011年8月号
- 「石清水八幡宮の「御花神饌」」2011年9月号
- 「中世の人々が歩いた道」「月の桂」 2011年10月号
- 「二人の日本人陶工がもたらした種」2011年11月号
- 「世界に誇る日本の珈琲文化」2011年12月号
- 「大道庭園の「生きる芸術」」2012年1月号
- 「粘り強くて美しい紙」2012年2月号
- 「彬子女王×中村勘太郎改め、中村勘九郎 歌舞伎次世代ここに始まる」2012年3月号
- 「京の水で育った食文化」2012年4月号
- 「ボンボニエールという伝統」2012年5月号
- 「日本神話の高千穂、霧島を巡る 天孫降臨の地へ」2012年6月号
- 「被災地・福島の祭を伝承する 相馬の野馬追」 2012年7月号
- 「芸術の都・ドレスデンの王侯貴族を魅了した日本磁器の魅力」2012年8・9月号
- PHP研究所 『Voice』 誌上連載 「オックスフォード留学記」(2012年4月号 - 2014年5月号)
- 「おわりとはじまり」 2012年4月号
- 「側衛に守られるということ」2012年5月号
- 「授業のこと」 2012年6月号
- 「マートン・コレッジの一日」 2012年7月号
- 「父・寬仁親王の思い出」2012年8月号
- 「現地の日本人事情」 2012年9月号
- 「JRの恐怖」2012年10月号
- 「アフタヌーンティーを女王陛下と」 2012年11月号
- 「英国の電車の思い出あれこれ」 2012年12月号
- 「パスポートは茶色」 2013年1月号
- 「再び英国へ」 2013年2月号
- 「ヴァレンタインの思い出」 2013年3月号
- 「宝探しin大英博物館」 2013年4月号
- 「英国の食あれこれ」 2013年5月号
- 「英国でおかあさんになる」 2013年6月号
- 「初めての展覧会で大騒ぎ」 2013年7月号
- 「プライスさんのパンケーキ」 2013年8月号
- 「オックスフォード某重大事件(?)」 2013年9月号
- 「お雑煮とスコーン」 2013年10月号
- 「スイスと私」 2013年11月号
- 「理解できない英国あれこれ」 2013年12月号
- 「修士課程から博士課程へ」 2014年1月号
- 「スーパーアドバイザー」 2014年2月号
- 「博士論文性胃炎」 2014年3月号
- 「博士論文への二つの壁」 2014年4月号
- 「人生でいちばん緊張した日」(終) 2014年5月号
- 「イノリノカタチ」全16回(2018年4月号 - 2020年12月・2021年1月合併号)
- 和樂webサイト「美の国ニッポンをもっと知る!」連載[46]
- 「彬子女王殿下が次世代に伝えたい日本文化」(2019年1月24日 - 2025年3月1日)
- 「彬子女王殿下が未来へ伝えたいにっぽんのことば」(2025年5月1日 - )
出演
名誉職
総裁
名誉総裁
- 日本ラグビーフットボール協会名誉総裁(2019年5月10日 - )[10]
- 古典の日文化基金賞顕彰委員会名誉総裁(2020年6月1日 - )[53]
- 日英協会名誉総裁(2022年3月1日 - )[12]
名誉学位
その他の名誉職
系譜
| 彬子女王 | 父: 寬仁親王 |
祖父: 崇仁親王(三笠宮) |
曾祖父: 大正天皇 |
| 曾祖母: 貞明皇后 | |||
| 祖母: 百合子 |
曾祖父: 高木正得 | ||
| 曾祖母: 高木邦子 | |||
| 母: 信子 |
祖父: 麻生太賀吉 |
曾祖父: 麻生太郎【先代】 | |
| 曾祖母: 麻生夏子 | |||
| 祖母: 麻生和子 |
曾祖父: 吉田茂 | ||
| 曾祖母: 吉田雪子 |
