愛子内親王

日本の内親王 (2001-) From Wikipedia, the free encyclopedia

愛子内親王(あいこないしんのう、2001年平成13年〉12月1日[2] - )は、日本皇族愛子御称号敬宮(としのみや)[3]お印ゴヨウツツジ(五葉つつじ)。勲等宝冠大綬章身位内親王敬称殿下[4]日本赤十字社常勤嘱託職員[5]今上天皇皇后雅子の第1皇女上皇上皇后美智子皇孫にあたる。2000年代に誕生した初の皇族であり、現在、女性皇族11方かつ内廷皇族の最年少者。

全名 愛子(あいこ)
称号 敬宮(としのみや)
身位 内親王
概要 愛子内親王, 続柄 ...
愛子内親王
2022年
続柄 今上天皇第1皇女[1]

全名 愛子(あいこ)
称号 敬宮(としのみや)
身位 内親王
敬称 殿下
お印 ゴヨウツツジ
出生 (2001-12-01) 2001年12月1日(24歳)14時43分
日本の旗 日本東京都千代田区千代田皇居宮内庁病院
父親 徳仁今上天皇
母親 皇后雅子
栄典 宝冠大綬章
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概要 称号:敬宮, 敬称 ...
称号:敬宮
敬称 殿下
Her Imperial Highness the Princess
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概要

天皇徳仁の一人娘で唯一の皇女。第125代天皇明仁の孫4人(1男3女)の一人。

来歴

生後3か月の愛子内親王

2001年平成13年)12月1日14時43分、皇太子徳仁親王と同妃雅子の第1子(第1皇女子)として、東京都千代田区宮内庁病院で出生。誕生時の身長は49.6センチメートル体重は3,102グラム[6]

皇室では、清子内親王(黒田清子)以降9人連続の女子(内親王4方・女王5方)の誕生となった(詳細は「皇室#現行皇室典範下で誕生した皇室の子女」参照)。

同日、天皇明仁から守り刀(人間国宝である大隅俊平作)とが贈られる「賜剣の儀」が行われた[7][8]。刀身は約25センチで、全長約40センチ。

また、内閣総理大臣小泉純一郎が「内親王殿下の御誕生を迎えて」の内閣総理大臣謹話を発表した[9]

同年12月7日、「浴湯の儀」・「命名の儀」・「賢所皇霊殿神殿に誕生命名奉告の儀」が行われ、天皇から「愛子(あいこ)」と命名され、「敬宮(としのみや)」の称号を受けた。名と称号の由来は

人をする者は人恒に之を愛し、人をふ者は人恒に之を敬ふ。

—『孟子』離婁下

に拠る。皇太子・同妃、学者[10]が相談して内定し、天皇も皇太子同妃の意向を尊重して命名した[11][12]

浴湯の儀に行われる「読書鳴弦」の儀式では、元学習院大学児玉幸多により、『日本書紀』から8方10代存在した女性天皇のうち最初の女帝にあたる推古天皇に関する部分が読まれる[12]お印ゴヨウツツジ那須御用邸でも5月に咲く花で、両親の「この純白の花のような純真な心を持った子供に育ってほしい」という願いが込められている[13]

皇太子夫妻の待望の第一子誕生に対して、国民の祝賀の記帳は宮内庁関連で12万人、全国の自治体で65万人、合計77万人に達した。12月2日夕、皇居前広場で「新宮さまのご誕生をお祝いする国民の集い」が開かれ、奉祝国会議員連盟会長の麻生太郎をはじめ政治家や竹下景子西田ひかるなどの芸能人、毛利衛長嶋茂雄などの著名人が祝辞を述べ、2万5000人が集まり万歳して祝意を表した[14][15]

幼少時は両親から「愛ちゃん」と呼ばれた[16]

2005年(平成17年)春から週2回、東京都渋谷区に当時厚生省児童福祉法に基づいて建設等したこどもの城に通い、音楽遊びなどを通じて集団生活に親しんだ[17]

2006年(平成18年)4月11日学習院幼稚園に入園。同年8月、両親のオランダ旅行・静養に同行て、初めて海外訪問した[18]

同年11月11日、袿(うちき)と袴をつけ「着袴の儀」を実施。このとき着けた「濃色(こきいろ、濃い赤色)」の袴は、誕生時に天皇から下賜されたもの。この頃には自転車の練習も開始[19]

2008年(平成20年)3月、学習院幼稚園を卒園し、同年4月に学習院初等科に入学。2009年(平成21年)の初等科2年生時には、漢字の書き取りや習字を行う姿が報じられた。

2010年(平成22年)2月下旬、風邪に罹患するなど体調不良が原因となり学校を欠席しがちになる[20]が、3月5日野村一成東宮大夫が、「3月上旬に発生した初等科での児童同士のトラブルから体調不良となり、学校を欠席した」と発表した後、同日に学校法人学習院側も記者会見を開き、同様の発表がなされ、大きな波紋を呼んだ(詳細は「愛子内親王不登校騒動」)[21][22][23][24]

2011年(平成23年)秋より、初等科への通学は平常な状態に回復[25][26]

2012年(平成24年)には学習院初等科5年生となり、「管弦楽部(パートチェロ)、バスケットボール部などの部活動での練習にも励み、学習院女子大学で開催された英会話セミナーにも通い出した」と報じられる[27]

2014年(平成26年)3月に学習院初等科を卒業し、4月に学習院女子中等科に入学[28][29]。7月15日に曽祖父母にあたる昭和天皇武蔵野陵、香淳皇后武蔵野陵東陵を、[30]、7月30日に伊勢神宮をそれぞれ初めて参拝し初等科卒業と中等科入学を奉告[31]。8月3日、全国高等学校総合体育大会を両親と視察し、女子サッカーと男子バレーボールの試合を観戦[32]

12月1日に13歳の誕生日を迎え、天皇と皇后に挨拶をするため御所を初めて一人で訪問。春からはテニスソフトボールを開始。授業の科目数も増え、学業にスポーツにと忙しい日々を過ごす[33]

2015年(平成27年)7月26日、両親と東京都千代田区の昭和館を訪れ、第二次世界大戦の企画展示「戦後70年 昭和20年という年~空襲、終戦、そして復興へ~」を見学。戦争体験者からも直接、当時の話を聞く[34][35][36]

2016年(平成28年)8月、夏休みに皇太子同妃の地方公務に初めて同行し、長野県上高地を訪問[37][38]。同年9月26日から胃腸が弱りふらつきなどの症状のため学校を欠席したが[39]、休養に努め11月に復学した。

2017年(平成29年)3月、学習院女子中等科を卒業[40]。発表された卒業文集の作文「世界の平和を願って」[41]では、「『平和』は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから」などと、修学旅行で広島を訪れ原爆の悲劇を見て感じた平和を築いてゆく願いを綴った。4月、学習院女子高等科に入学[42]

2018年(平成30年)7月22日~8月9日、イギリスに短期留学(学習院女子高等科の海外研修プログラム)。ロンドン郊外バークシャー州イートン校英語教育、更にポーツマスオックスフォードで英国の文化を体験した[43]

2019年(平成31年/令和元年)4月30日に天皇明仁が退位し、5月1日、皇太子徳仁親王が第126代天皇に即位。天皇明仁は上皇に、皇后美智子は上皇后に、皇太子妃雅子は皇后に、愛子内親王は皇女にそれぞれ身位が変更となる。

2020年(令和2年)3月に学習院女子高等科を卒業。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、天皇と皇后は卒業式への出席を控えた。

4月より学習院大学文学部日本語日本文学科に入学[44]

2021年(令和3年)3月26日、令和3年度予算に同年12月1日に成人する愛子内親王のティアラ制作費が、宮内庁の予算には盛り込まれなかった。ティアラは成年女性皇族が新年祝賀の儀、宮中晩餐会などの公的な場で装用する髪飾りだが、11月16日、宮内庁は「新型コロナの感染拡大状況に鑑み新調しない」と発表し、愛子内親王は黒田清子のティアラを借用して成年行事に臨むこととなった[45]

12月1日成年(20歳)を迎え、これにより女性皇族10方全員が成人し、未成年皇族は悠仁親王のみとなった。12月5日、天皇より宝冠大綬章を授与される(受章日は誕生日となる12月1日付)[46][47][48]

2022年(令和4年)3月17日、成年の記者会見を行った[49]

両親にどのような言葉を伝えたいかという御質問でございますけれども、母の「生まれてきてくれてありがとう」という言葉に掛けて、私も「生んでくれてありがとう」と伝えたいと思います。また、これまで両親には様々な機会を与えていただいたり、私の成長を、愛情を持って温かく見守ってきていただいていて、そして、そういった両親の生活面で支えてくれているところなどにも深く感謝しておりますので、そのことについてお礼を伝えたいと思います。そして「これからもどうかお体を大切に。これからも長く一緒に時間を過ごせますように」という言葉も添えたいと思います。敬宮愛子内親王殿下、ご成年をお迎えになっての記者会見(令和4年3月17日)

同年夏、宮内庁は2023年度予算案にも愛子内親王が装用するティアラなどの装飾品の制作費を計上しないと明らかに。コロナ禍で依然、国民が苦しむ中、愛子内親王が天皇皇后の思いを忖度し、固辞したためとされる[50]

2024年(令和6年)1月22日日本赤十字社常勤嘱託職員としての就職が内定したと宮内庁が発表[51]

3月20日、学習院大学日本語日本文学科を卒業。卒業論文は「式子内親王とその和歌の研究[52]」。また、3月26日伊勢神宮[53]3月27日神武天皇畝傍山東北陵をそれぞれ単独参拝し、大学卒業を奉告[54]。これに伴い斎宮歴史博物館、いつきのみや歴史体験館も視察。初の単独地方訪問となった[55]4月1日、日本赤十字社に入社し、清家篤社長より辞令を受け、事業局パートナーシップ推進部ボランティア活動推進室青少年・ボランティア課に配属され、常勤嘱託職員として勤務開始[56][5][57]

4月23日赤坂御苑で開催された春の園遊会に初参加[58]

2025年(令和7年)11月17日22日、外交関係樹立70周年を記念し、ラオスを初の外国公式訪問。現地では国家元首に準ずる待遇を受けた。

  • 18日:ラオスの民族衣装であるシンとパービアンを着用しパトゥーサイや、黄金の仏塔タート・ルアンを視察、国家主席府でトーンルン国家主席を表敬訪問。パニー国家副主席主催が「クラウンプラザホテル・ヴィエンチャン」で催した、バーシーセレモニーや歓迎晩餐会に振袖で出席し、「コー・コープ・チャイ・ラーイ(どうもありがとう)」や「ニョック・チョーク(乾杯)」などのラーオ語を交えながら乾杯の挨拶。
  • 19日:ヴィエンチャンの中高一貫校(日本語パートナーズ受け入れ校)での日本語授業、ベトナム戦争で米軍が投下したクラスター爆弾不発弾被害を啓蒙するCOPEビジターセンター、日・ラオス武道センターで武道競技者の稽古などをそれぞれ視察。
  • 20日:ヴィエンチャンから高速鉄道(ラオス中国鉄道)で古都ルアンパバーンを日帰り視察。ルアンパバーン国立博物館(旧王宮)、 ワット・シェントーン、ラオ・フレンズ小児病院(LFHC)、クインシーの滝を視察し、ルアンパバーン県党書記主催の午餐会に出席。
  • 21日:ラオ・シルク・レジデンスで民族衣装や伝統織物を鑑賞し、機織り(ナーガ文様)を体験。「クラウンプラザホテル・ヴィエンチャン」でJICA海外協力隊員や日本語教師、日本にゆかりのあるラオス人らと懇談。21時ワットタイ国際空港発、ハノイ ・ノイバイ国際空港を経由し、22日7時ごろ成田国際空港着

内親王を巡って

2000年代を迎え、待望久しかった皇太子夫妻の第1子であったことから、誕生と同時に注目を集めた。出産翌日には皇居前広場で祝賀の「国民の集い」が行われ、約2万5000人もの市民が集った。皇居に記帳所が設置され、また赤坂では提灯行列が行われた。出産翌日に対面した父・皇太子徳仁親王は「非常に元気そうですね」という感想を述べた[59]。しかし、「発達の遅れがあるのではないか」等の誹謗中傷等が、一部の国内週刊誌に取り上げられた[60][61]。この状況を受け、同年6月の定例会見にて林田英樹東宮大夫は、ただちに「事実無根で不本意」と否定[62]宮内庁は同年9月にスナップ写真や父の皇太子徳仁親王が東宮御所内で撮影したビデオ映像を公開し、事態の収束につとめた。同映像の中には父親の皇太子を「パパ」と呼びながら絵本を読む姿などが映されていた。

学習院幼稚園に入園してからは、運動会の大玉転がし、オール学習院の集いでの合唱の様子などがテレビ報道で公開されている。その後は、こうしたメディアの定期的な取材を受けることにより、愛子内親王が心身とも健康であることが浸透した。2013年(平成25年)においては、「学習院初等科での成績は学年でのトップクラス」と伝えられている[63]

皇室では、清子内親王から愛子内親王に至るまで9人連続で女性皇族(内親王4名・女王5名)が誕生しており、1965年(昭和40年)の秋篠宮文仁親王以降男子は誕生しなかった。皇統に属する男系男子にのみ皇位継承権を認める現行の皇室典範見直しの機運が高まり、皇太子徳仁親王に第一子として女子が誕生したこともまたこれを後押しした。

そのため、2005年(平成17年)から2006年(平成18年)にかけて、当時の内閣総理大臣小泉純一郎の私的諮問機関として「皇室典範に関する有識者会議」において愛子内親王の即位を念頭においた女性天皇女系天皇の可能性が検討された(詳細は「皇位継承問題」も参照)。有識者会議は2005年11月24日に象徴天皇制の安定的な維持のため、皇位継承資格を女性や天皇・皇族の女系子孫に拡大することなどを求める最終報告書[64]をまとめ、小泉総理に提出。

しかし、2006年(平成18年)2月に秋篠宮妃の第3子懐妊が判明。9月6日に皇室で41年ぶりの男子である悠仁親王を出産したこと、総理大臣に皇室典範改正に慎重な安倍晋三が就いたことなどから改正の動きは止まった。

その後も2019年(平成31年)の退位特例法による天皇の退位を契機として将来の皇室制度の持続可能性について議論が再燃するなどの動きがあったが、現在に至るまで皇室典範改正には至っていない。

逸話

2013年(平成25年)11月、祖父・天皇明仁(当時)や皇族らと。
2019年(令和元年)8月19日那須御用邸にて両親と愛犬の由莉(ゆり)とともに夏の静養

スポーツ試合観戦

運動・スポーツ

日本文化と音楽

  • 書道 - 幼少よりたしなんでおり、宮内庁職員文化祭に力強い作品を出展している。
  • 百人一首 - 2015年(平成27年)2月に学習院女子中等科で行われた百人一首大会では、40枚ほどの札を取って圧勝するなど、日本の伝統文化にも親しんでいる[73]
  • チェロ - 学習院初等科の4年の時にクラブ活動として管弦楽部に入部。チェロを担当し熱心に練習している。
  • 和歌 - 2022年(令和4年)、初めて歌会始の儀に歌を寄せ、「英国の学び舎に立つ時迎へ 開かれそむる世界への窓」と、 高校2年の夏に参加したサマースクールで、イギリスの地に立ったときに今世界への窓が開かれようとしている、という心の高まりを詠んだ。

自然

  • 天体観測を好み、2018年(平成30年)1月には両親の皇太子夫妻(当時)と皆既月食を観察した。

ペット

自身が誕生した頃から自宅の東宮御所(当時 → 赤坂御所)で飼われているを可愛がっている[74][75]。誕生日会見などでも一緒に写ることがある[76][77]。迷い動物病院で保護された犬や猫を譲り受けている。

「ピッピ」と「マリ」
愛子内親王の誕生前より両親の皇太子夫妻(当時)が飼育していた犬。赤坂御用地に迷い込んだ雌犬が産んだ10匹の子犬のうちの2匹。2009年(平成21年)に2匹共、老衰他界した。
「由莉」(ゆり)
2009年(平成21年)4月から飼育している柴犬のMIX。まりに似た名前を付けた。写真撮影で一緒に写る時にしているバンダナは愛子内親王の手作り。静養先でも行動を共にすることがある。2025年6月23日、16歳4か月、老衰で他界した。
「にんげん」と「みー」
2010年(平成22年)、学習院初等科3年次に赤坂御用地に紛れ込んだ母猫の「にんげん」は、2016年(平成28年)5月に病気で逝去するまで飼っていたメス猫である(キジトラ白MIX)。「にんげん」は紛れ込んだ後すぐに4匹の子猫を産み、その内1匹を引き取って、「みー」と名付けて飼育している。
「セヴン」
2016年(平成28年)より飼育している猫。7月生まれ。キジトラ白MIXクラシックタビー。

内親王にちなむ花

プリンセスアイコ

誕生後、以下の3種類のバラが愛子内親王にちなんで名づけられた[78]

また、河野メリクロンのシンビジウム「シンビジウム愛子さま」も同様に名付けられた花である[79]

呼称

父・徳仁は、誕生後の会見から一貫して「愛子」と呼んでいる[80]2003年(平成15年)時点で皇太子は「愛子」、記者は「敬宮さま」としている。祖父母の明仁美智子(当時:天皇・皇后)は「敬宮」としていた[81]が、2006年(平成18年)以降は同様に「愛子」と呼んでいる[82]

マスメディアの皇室報道においても、当初は御称号から「敬宮さま」の呼称が用いられていた[要出典]が、のちに「愛子さま」へ転じ[要出典]、「愛子さま」という呼称が国民の間にも広く定着している。

宮内庁ウェブサイトでの呼称は、「敬宮殿下(としのみやでんか)」ないし「愛子内親王殿下(あいこないしんのうでんか)」となっている[83]

系譜

さらに見る 愛子内親王の系譜 ...
愛子内親王の系譜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
16. 123代天皇
大正天皇
 
 
 
 
 
 
 
8. 124代天皇
昭和天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
17. 九条節子
 
 
 
 
 
 
 
4. 125代天皇
明仁
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
18. 久邇宮邦彦王
 
 
 
 
 
 
 
9. 久邇宮良子女王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
19. 島津俔子
 
 
 
 
 
 
 
2. 126代天皇
徳仁
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
20. 正田貞一郎
 
 
 
 
 
 
 
10. 正田英三郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
21. 正田きぬ
 
 
 
 
 
 
 
5. 上皇后美智子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
22. 副島綱雄
 
 
 
 
 
 
 
11 正田富美子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
23. 副島アヤ
 
 
 
 
 
 
 
1. 敬宮愛子内親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
24. 小和田金吉
 
 
 
 
 
 
 
12. 小和田毅夫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6. 小和田恆
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
26. 田村又四郎
 
 
 
 
 
 
 
13. 小和田静
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3. 皇后雅子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
28. 江頭安太郎
 
 
 
 
 
 
 
14. 江頭豊
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
29. 江頭米子
 
 
 
 
 
 
 
7. 小和田優美子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
30. 山屋他人
 
 
 
 
 
 
 
15. 江頭寿々子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
31. 山屋貞子
 
 
 
 
 
 
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敬宮愛子内親王 父:
今上天皇
祖父:
上皇
曾祖父:
昭和天皇
曾祖母:
香淳皇后
祖母:
上皇后美智子
曾祖父:
正田英三郎
曾祖母:
正田富美子
母:
皇后雅子
祖父:
小和田恆
曾祖父:
小和田毅夫
曾祖母:
小和田静
祖母:
小和田優美子
曾祖父:
江頭豊
曾祖母:
江頭寿々子
 
 
 
 
 
 
 
 
歴代天皇
 
歴代皇后
 
親王
 
内親王女王
 
臣籍降下
 
 
 
 
大正天皇(明治天皇の子)
 
貞明皇后(大正天皇の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和天皇(大正天皇の子)
 
香淳皇后(昭和天皇の妻)
 
秩父宮雍仁親王(大正天皇の子)
 
雍仁親王妃
勢津子
(秩父宮雍仁親王の妻)
 
高松宮宣仁親王(大正天皇の子)
 
宣仁親王妃
喜久子
(高松宮宣仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三笠宮崇仁親王(大正天皇の子)
 
崇仁親王妃
百合子
(三笠宮崇仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東久邇成子
(照宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
久宮祐子内親王(昭和天皇の子)
 
鷹司和子
(孝宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
池田厚子
(順宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
上皇
明仁
(昭和天皇の子)
 
上皇后
美智子
(上皇明仁の妻)
 
常陸宮正仁親王(昭和天皇の子)
 
正仁親王妃
華子
(常陸宮正仁親王の妻)
 
島津貴子
(清宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
近衞甯子(三笠宮崇仁親王の子、臣籍降下)
 
寬仁親王(三笠宮崇仁親王の子)
 
寬仁親王妃
信子
(寬仁親王の妻)
 
桂宮
宜仁親王
(三笠宮崇仁親王の子)
 
千容子(三笠宮崇仁親王の子、臣籍降下)
 
高円宮憲仁親王(三笠宮崇仁親王の子)
 
憲仁親王妃
久子
(高円宮憲仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天皇
徳仁
(明仁の子)
 
皇后
雅子
 
皇嗣秋篠宮文仁親王(明仁の子)
 
皇嗣妃文仁親王妃紀子(秋篠宮文仁親王の妻)
 
黒田清子
(紀宮)
(明仁の子、臣籍降下)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彬子女王(寬仁親王の子)
 
瑶子女王(寬仁親王の子)
 
 
 
 
 
承子女王(高円宮憲仁親王の子)
 
千家典子(高円宮憲仁親王の子、臣籍降下)
 
守谷絢子(高円宮憲仁親王の子、臣籍降下)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
敬宮愛子内親王(徳仁の子)
 
 
 
小室眞子(秋篠宮文仁親王の子)
 
佳子内親王(秋篠宮文仁親王の子)
 
悠仁親王(秋篠宮文仁親王の子)

栄典

日本

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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