上野翔
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1985年、熊本県で生を受け、1歳の時には父の仕事の都合で北海道の日高に引っ越す。周囲に馬のいる生活をしていたが、小学6年生の頃に親の意向で熊本へ送られ、両親とは離れ離れの生活が始まる。しかし、頭の中から馬がいなくなることはなく、競馬学校を受験し合格する[2]。
本格的に馬に乗ったのは競馬学校に入ってからだったが、2004年に無事卒業し、栗東・飯田雄三厩舎からデビューした。同期に藤岡佑介・川田将雅・吉田隼人・津村明秀・丹内祐次らがいる。
2004年3月7日、中京第7競走で初騎乗を果たし、4着に入る。初勝利は5か月後の8月14日小倉第1競走でホーマンパキラに騎乗しての勝利で通算55戦目であった[3]。1年目は2勝に終わったが、2年目9勝、3年目と12勝と勝ち星を増やすが、減量特典が取れると勝ち数、騎乗数ともに減ることとなる。
2007年3月5日に飯田雄三厩舎を離れ、フリーになる。
2012年韓国に短期騎手免許で遠征し、3か月騎乗する[4]。帰国後は少しずつ美浦トレーニングセンターに拠点を移し、翌2013年3月には障害競走への騎乗も開始。2013年5月4日東京第4競走をマサデパンで制し、障害初勝利を挙げた[5]。
2014年1月、正式に美浦トレーニングセンターに移籍する[6]。
2014年秋、落馬し左手中指を脱臼骨折。約3か月の療養で実戦に復帰するが、徐々に患部に違和感を感じるようになり、病院での診察で医師から「軟骨がすり減っており、このまま乗り続けていたら一生(指が)曲がらなくなる」と宣告を受け、2016年5月に患部の左手中指を切断する手術に踏み切り、約1か月半後に復帰した[7]。
2021年2月13日、障害では珍しい1日2勝を挙げる[8]。
2022年6月25日、東京ジャンプステークスをケイティクレバーに騎乗して重賞初勝利を果たした[9]。
2024年は騎乗機会三連勝を飾るなど、年始より好調を維持。2月10日の障害未勝利戦で落馬負傷したものの、約2ヶ月で復帰し、4月20日に復帰後初勝利を挙げている[10][11]。5月11日にはサンデイビスで京都ハイジャンプを勝利、重賞2勝目を挙げた。その後もペースを落とすことなく勝ち星を重ね、小牧加矢太との障害リーディング争いを繰り広げる。最終的には両者ともに1着18回で並んだが、2着数の多かった小牧が障害リーディングを獲得。上野は初の障害リーディングを逃すも、キャリアハイの1年となった。
2025年12月27日、中山大障害でフェーレンベルクに騎乗し、史上21人目、現役8人目となる障害通算1000回騎乗を達成した[12]。
2026年2月14日、小倉ジャンプステークスでサンデイビスに騎乗し1着となり、現役91人目のJRA通算100勝を2358戦目で達成した[13]。
騎乗成績
| 日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 平地 | 初騎乗 | 2004年3月7日 | 1回中京2日7R | 4歳以上500万下 | カリスマサンロード | 16頭 | 6 | 4着 |
| 初勝利 | 2004年8月14日 | 3回小倉1日2R | 3歳未勝利 | ホーマンパキラ | 15頭 | 5 | 1着 | |
| 重賞初騎乗 | 2008年11月1日 | 4回京都7日11R | スワンステークス | トーセンザオー | 16頭 | 16 | 14着 | |
| 障害 | 初騎乗 | 2013年3月30日 | 3回中山3日4R | 障害4歳以上未勝利 | ブリッサ | 14頭 | 11 | 10着 |
| 初勝利 | 2013年5月4日 | 2回東京5日4R | 障害4歳以上未勝利 | マサデパン | 13頭 | 5 | 1着 | |
| 重賞初騎乗 | 2013年6月22日 | 3回東京7日8R | 東京ジャンプステークス | カピターノ | 14頭 | 11 | 11着 | |
| 重賞初勝利 | 2022年6月25日 | 3回東京7日8R | 東京ジャンプステークス | ケイティクレバー | 12頭 | 8 | 1着 | |
| JGI初騎乗 | 2014年4月19日 | 3回中山7日11R | 中山グランドジャンプ | ボストンプラチナ | 10頭 | 10 | 9着 | |
主な騎乗馬
- シャインレッド(2018年新潟ジャンプステークス2着)
- ケイティクレバー(2022年東京ジャンプステークス)
- セブンデイズ(2024年中山新春ジャンプステークス)
- サンデイビス(2024年京都ハイジャンプ、2026年小倉ジャンプステークス)