ケイティクレバー

From Wikipedia, the free encyclopedia

欧字表記 K T Clever[1]
性別 [1]
ケイティクレバー
第24回東京ジャンプSパドック(2022年6月24日)
欧字表記 K T Clever[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 2015年4月20日(11歳)[1]
抹消日 2024年11月6日
ハービンジャー[1]
モルトフェリーチェ[1]
母の父 ディープインパクト[1]
生国 日本の旗 日本北海道千歳市[1]
生産者 社台ファーム[1]
馬主 瀧本和義[1]
調教師 目野哲也栗東
安田翔伍(栗東)
杉山晴紀(栗東)
清水英克美浦[1]
競走成績
生涯成績 39戦8勝[1]
平地:23戦3勝
障害:16戦5勝
獲得賞金 1億9324万8000円[1]
勝ち鞍
J・GIII東京ジャンプS2022年
テンプレートを表示

ケイティクレバー(欧字名:K T Clever2015年4月20日 - )は、日本競走馬[1]。主な勝ち鞍に2022年東京ジャンプステークス

2歳(2017年)

9月10日の2歳新馬阪神芝2000m)でデビュー。初戦は逃げて3着に入る。その後は4戦連続2000mを使われ、2戦目の2歳未勝利は4着、続く2歳未勝利を2着以下に4馬身差をつけて逃げ切り初勝利を挙げる。次走、黄菊賞はブービー人気での出走だったが、2番手につけるとそのまま2着に入った。中1週で挑んだ京都2歳ステークスも3着と好走。その後は朝日杯フューチュリティステークスに進み、果敢に逃げるも11着に終わった。

3歳(2018年)

3歳初戦、若駒ステークスは2着に3馬身差をつける鮮やかな逃げ切りで2勝目を挙げた。続くすみれステークスでも先手を取るとキタノコマンドールに3/4馬身差されたが2着に粘る[2]。2月末、目野哲也厩舎が定年解散となるため、同じく栗東安田翔伍厩舎に転厩となる。転厩初戦、皐月賞はデビューから9戦連続でタッグを組んだ小林徹弥から浜中俊に乗り替わる。レースは好位につけたが11着に敗れた。その後は京都新聞杯に進み9着に終わる。その後、安田厩舎から杉山晴紀厩舎に転厩となる。ラジオNIKKEI賞は2戦ぶりに小林が騎乗し、6着。古馬との対戦となった日本海ステークスは3/4馬身差の2着に入る。次走、セントライト記念は最下位の15着と大敗。3か月ぶりとなったサンタクロースステークスは3番手につけたがクリノヤマトノオーに差し切られ2着となった。

4歳(2019年)

4歳初戦、寿ステークスは6頭立てと少頭数のなか、半馬身差逃げ切り、3勝目を飾る。続く小倉大賞典は11着、大阪城ステークス12着と惨敗。続く福島民報杯は勝ち馬から3.1秒離された13着、目黒記念も離された11着と大敗が続いた。次走、小倉日経オープンを8着とした後に障害競走にに転向、転向初戦、障害3歳以上未勝利を3馬身差をつけていきなり勝ち星を挙げる。その後は平地のアンドロメダステークスに出走し9着に敗れた。

5歳(2020年)

5歳初戦、障害4歳以上オープンは1番人気に推されたが5着。次走、障害4歳以上オープンを3馬身差で制し障害2勝目となる。さらに、4か月ぶりとなった障害3歳以上オープンを5馬身差つけて連勝した。障害重賞初挑戦となった東京ジャンプステークスは好位につけたが馬群に沈み12着に終わる。次走、新潟ジャンプステークスは勝ち馬には離されたが3着に入った。

6歳(2021年)

5か月ぶりの実戦となった中山新春ジャンプステークスで3着に入ると、続く春麗ジャンプステークスでも3着に入り、3戦連続3着となる。次走、三木ホースランドパークジャンプステークスは1.7倍と人気を集めたが逃げたグローブシアターを捕えきれず2着に敗れた。その後は故障により、戦線を離脱する。その間、7月1日に杉山厩舎から美浦清水英克に転厩した[3]

7歳(2022年)

1年ぶりの復帰戦は平地を使われ名古屋城ステークス吾妻小富士ステークスと2戦続けて最下位に終わる。障害復帰となった東京ジャンプステークスはホッコーメヴィウスとのハナ争いを制して先手を奪うと、直線で二枚腰でもうひと伸びして2着のホッコーメヴィウスに6馬身差をつけて1着、重賞初制覇となった。鞍上の上野翔もデビュー19年目にして待望の重賞制覇となった[4]。7月30日の新潟ジャンプステークスでは2番人気に推されるも10着と大敗して長期の休養に入った。

8歳(2023年)- 9歳(2024年)

2023年11月4日の秋陽ジャンプステークスで復帰し4着。12月9日阪神の障害オープン4着を挟み、翌2024年1月27日の牛若丸ジャンプステークスでは2番手追走から4コーナーで先頭に立ち、そのまま押し切って久々の勝利を挙げる[5]。5月18日新潟の障害オープンで10着と大敗を喫し、10月13日の東京ハイジャンプでの5着を最後に、11月6日付けでJRAの競走馬登録を抹消した[6]。引退後はJRA宮崎育成牧場で乗馬となる[6]

競走成績

血統表

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI