中原貞三郎
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中原宗作の三男として周防国玖珂郡岩国領(現・山口県岩国市)にて生まれ、1891年(明治24年)7月、家督を継ぐ[2][4]。1882年(明治15年)7月、旧東京大学理学部卒業[2][4]。翌月、陸軍省御用掛となり参謀本部測量課に配属される[1][2][3][4]。陸軍技師・陸軍部測量班長心得を経て、1886年(明治19年)陸軍5等技師に進み、1888年(明治21年)より帝国大学工科大学講師を兼任し、戦前の陸測地図の基礎を固めた[2][3][4]。
1891年(明治24年)熊本県4等技師を経て、土木監督署技師となり、1898年(明治31年)1月、内務省第7区(熊本、4月より福岡に移転)土木監督署長を発令される[2][3][4]。ついで、農商務省技師、内務技師を経て、1906年(明治39年)総監府技師兼同府鉄道管理局技師に転じ、朝鮮各地の道路整備に関与する[1][2][3][4]。のち、再び内務技師となり、大阪市技師、1911年(明治44年)大阪土木出張所所長を歴任し、欧米出張を経て、1913年(大正2年)東京第一土木出張所所長となり、利根川、渡良瀬川、荒川改修工事に尽力した[1][2][3][4]。1924年(大正13年)退官[3]。1915年(大正4年)工学博士[2]。
著作
- 『陸地測量部三角点利用法』中原貞三郎、1922年。
