白石兵次郎の三男として福岡県遠賀郡に生まれ、のち田中正夫の養子となる。1926年(大正15年)九大土木科卒[1]。鉄道省に奉職し、長野保線事務所長、札鉄局工事課長、新橋保線部長、1943年(昭和18年)門鉄施設部長、1945年(昭和20年)鉄道総局施設局計画課長、1948年(昭和23年)施設局長、1949年(昭和24年)国鉄理事施設局長をへて理事・初代技師長となり、1952年(昭和27年)退職[1]。同年極東鋼弦コンクリート振興、1955年(昭和30年)興和化成、1958年(昭和33年)興和コンクリート各社の社長を務めた[1]。1959年(昭和34年)土木学会会長、1966年(昭和41年)プレストレストコンクリート工業協会会長を歴任した[1]。墓所は多磨霊園[3]。