吉田徳次郎

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吉田 徳次郎(よしだ とくじろう、1888年明治21年)10月15日[1][2][3] - 1960年昭和35年)9月1日[1][2][3])は、大正から昭和時代の土木工学者

兵庫県に生まれる[1][2]1912年(明治45年)東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業し、九州帝国大学工科大学講師となり、1914年(大正3年)助教授、1924年(大正13年)教授に進み、1938年(昭和13年)まで構造力学、鉄筋コンクリート工学を担当した[2]。同年、東京帝国大学教授に転じ、1949年(昭和24年)に定年退官するまでコンクリート工学、鉄筋コンクリート工学の講義を担当した[2]。この間、イリノイ大学に留学し、アーサー・ニューウェル・タルボット英語版に師事し、コンクリートの実験的研究に従事して研鑽を積んだ[2]

帰朝後は、日本のコンクリート技術の双肩を担い、佐久間ダムなど数多くの土木事業におけるコンクリート施行を指導した[2]。ほか、土木学会第37代会長を務め、同会のコンクリート委員会では委員長として示方書制定に尽瘁した[3]日本学士院会員[1][3]。没後その功績を記念して「土木学会吉田賞」が設立された[3]。墓所は新宿区月桂寺

栄典

親族

脚注

参考文献

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