中山峠 (国道230号)
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| 中山峠 | |
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中山峠から望む羊蹄山(2005年12月) | |
| 所在地 | 札幌市南区・虻田郡喜茂別町 |
| 座標 | 北緯42度51分26秒 東経141度05分52秒 / 北緯42.85722度 東経141.09778度座標: 北緯42度51分26秒 東経141度05分52秒 / 北緯42.85722度 東経141.09778度 |
| 標高 | 835 m |
| 通過路 | 国道230号 |
中山峠(なかやまとうげ)は、北海道札幌市南区と虻田郡喜茂別町の境にある国道230号の峠。標高は835m。道央と道南を結ぶ幹線道路であり、支笏洞爺国立公園を通る観光道路にもなっている[1]。峠の頂上は国道230号の最高地点でもある。
年表
中山峠が道なき道であった時代を経て初めて整備されたのは、東本願寺による1871年(明治4年)の本願寺道路(本願寺街道)の開削からである[2][3]。街道は千歳廻りの札幌本道の完成で一度廃れたが、1886年(明治19年)以降再度整備が行われ、1894年(明治27年)には峠に駅逓所も設置され人の往来や物資輸送に役割を果たす道となる[4][5]。
戦後に自動車の往来が増えると改修や拡幅工事も行われたが、道幅も狭く見通しも悪いことによる転落事故が相次ぎ、札幌側の薄別から中山峠までの8kmの区間に128カ所のカーブと最大12%の勾配があった峠道は「魔の山道」と呼ばれるほどであった[6]。そこで、中山峠を含む国道230号の全面改修工事が1957年(昭和32年)から行われ、定山渓から中山峠までの区間は地形が複雑で地質も悪かったため、1963年(昭和38年)から工事開始となった[7]。
定山渓から中山峠にかけてのルート選定は、当初予定していた豊平峡経由の案は豊平峡ダムの建設により困難となり、旧道を改良する案では元々険しい道路を改良するには多数の橋梁とトンネルを作る必要があり、工事費用が高くなるので却下され、最終的に現在の薄別川から無意根大橋を経由する「薄別峡ルート」に決定した[5]。この区間は国立公園内を通過することから木を切ることを最小限に抑え、トンネルや覆道などの構造物にも景観へ配慮した設計のものが採用された。これらは、初代札幌開発建設部長・高橋敏五郎の「道路は公園と同じで、通ることによって心がなごむようにつくられ、維持されなければならない」という道路哲学を心がけたことによる[8][5]。 峠の喜茂別側は1963年(昭和38年)に新ルートが完成し、定山渓側では7年の歳月と58億4千万円の工事費をかけ、1969年(昭和44年)10月3日に峠区間の全線が完成した[9]。
- 1702年(元禄15年)頃、 木材商の飛騨屋久兵衛が峠越えをする[10]。
- 1807年(文化4年)、近藤重蔵が峠越えをする[3]。
- 1858年(安政5年)、松浦武四郎が峠越えをする[11][3]。
- 1871年(明治4年)、現如上人(大谷光瑩)らによる東本願寺道路の開削[2][3]。
- 1885年(明治18年)、中山峠と命名される。
- 1887年(明治20年)、薄別経由の道路(馬車道)を北海道が拓殖費で施工[5]。
- 1894年(明治27年)、中山峠に駅逓所を設置[5]。
- 1920年(大正9年)、準地方費道札幌倶知安線に認定。
- 1935年(昭和10年)、地方費道札幌室蘭線に認定。
- 1953年(昭和28年)5月8日、二級国道230号線に認定。
- 1963年(昭和38年)、喜茂別側13.7kmの現ルートが完成[9]。
- 1965年(昭和40年)、一般国道230号となる。
- 1969年(昭和44年)10月3日、現ルートが全面開通し、冬季の通行が可能となる[9][5]。
- 2012年(平成24年)5月、大規模な土砂崩れが発生[12]。
- 2013年(平成25年)4月、再び土砂崩れが発生[13]。
構造物
通行規制
周辺
峠の頂上に道の駅望羊中山があり、羊蹄山(蝦夷富士)を眺望ポイントともなっており利用者も多い[18][19][20]。かつては隣接して中山峠写真の森美術館があったが[注 1]、2017年に閉館している[21]。 道の駅駐車場の喜茂別側には「本願寺街道」開削を指揮した現如上人像や、喜茂別町が日本で初めてアスパラガスの本格的な生産が始まったことをなど記念したモニュメントなど、複数の石碑類がある[22][23]。 道の駅から国道を挟んで向かい側には「峠の茶屋」があり[24][25]、中山峠の石碑がある。峠の喜茂別側には中山峠スキー場があり、早いシーズンインと春スキーが楽しめる(厳冬期は閉鎖)[26]。
