中山忠尹 From Wikipedia, the free encyclopedia 中山 忠尹(なかやま ただまさ、宝暦6年9月25日(1756年10月8日) - 文化6年10月20日(1809年11月27日))は、江戸時代後期の公卿。中山家22代当主。官位は正二位、権大納言。 天明元年(1781年)、参議に昇り公卿に列する。天明5年(1785年)に権中納言、寛政3年(1791年)に権大納言に任命される。寛政6年(1794年)より賀茂伝奏を兼務、寛政8年(1796年)に辞する。寛政10年(1798年)に権大納言を辞して散位となる。文化6年(1809年)、54歳で死去[1]。 系譜 父:中山愛親 母:今城定種の娘 妻:三条実顕の娘 男子:中山忠頼 男子:園基茂 女子:尹子 - 大炊御門経久室 妻:花山院常雅の娘 脚注 ↑ 『公卿補任』 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。表示編集 表話編歴中山家22代当主 忠親 - 兼宗 - 忠定 - 基雅 - 家親 - 定宗 - 親雅 - 満親 - 定親 - 親通 - 宣親 - 康親 - 孝親 - 親綱 - 慶親 - 元親 - 英親 - 篤親 - 兼親 - 栄親 - 愛親 - 忠尹 - 忠頼 - 忠能 - 忠愛 - 孝麿 - 輔親 - 忠敬 - Related Articles