中山篤親
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権大納言・正親町実豊の三男として生まれ[1]、当初は正親町 熈季(おおぎまち ひろすえ)と名乗った[2]。寛文6年(1666年)叙爵すると同時に元服し、右京権大夫に任ぜられる[2]。寛文10年(1670年)権大納言・中山英親の養子となり、中山 篤親(なかやま あつちか)と改名[2]。
侍従、左近衛少将、左近衛中将、蔵人頭を歴任し、貞享元年(1684年)年参議に任ぜられ、公卿に列する[2]。同2年(1685年)従三位、同4年(1687年)権中納言、元禄元年(1688年)正三位、同9年(1696年)従二位・権大納言と昇進[2]。同11年(1698年)賀茂伝奏となり、同16年官職を辞す[2]。宝永2年(1705年)正二位、享保元年(1716年)従一位に任ぜられ、同日薨去[2]。享年61[2]。