中臣国足
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中臣 国足(なかとみ の くにたり)は、飛鳥時代の豪族、高官。姓は朝臣[1]。中臣国子の子[1][2]で、意美麻呂の父[3]。藤原鎌足(中臣鎌足)の従弟にあたる。『延喜本系』などによれば7世紀半ばに大錦上前事奏官兼祭官であったとされるが、『日本書紀』や『中臣氏系図』には国足についての言及はなく、その実在に疑問をもつ研究者もいる[4]。
国足が、前事奏官と祭官を兼ねていたのは、孝徳天皇から天智天皇の時代にかけてであったと考えられている[4]。
『延喜本系』によれば、684年(天武天皇13年)に、朝臣賜姓に浴したとされる[5]
『尊卑分脈』によれば、国足は、大和国添上郡に「法光寺」という寺を創建し、この寺は「中臣寺」、「中臣之寺」とも称されたというが、寺は現存していない[6]。奈良市横井町にある横井廃寺跡は、この寺の跡であるとする説がある[7]。