京春上
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父は文学者の石濱恒夫[1]。母は東京・銀座のバーのママで、織田作之助の最期を看取ったという人物[2]。妹はエッセイスト、挿絵画家の石浜紅子[5]。春上の名の名付け親は、古くから両親が親しかった川端康成で[2]、『源氏物語』から採ったという[2]。小学生の頃から芝居は好きだったが、小学校の卒業文集には「将来は小説家になりたい」と書いたという[2]。演劇を始めたのは中学3年生の時に演劇部に入ってからだった[2]。1968年の川端康成のノーベル文学賞受賞時には、自身も劇作家の北條誠の娘の北條元子と一緒にストックホルムへ同行した[1][2]。高校3年生の時、1969年の正月にその川端の元に年始の挨拶に行った時にはその席で「私、女優なりたいんです」と告白したことがある[1]。
トキワ松学園高等学校卒業後は洋裁学校に進んだが[2]、演劇をやりたい気持ちが抑えられず、母親に相談したところ、母は川端康成にその旨の相談を持ちかけ、京都南座で行われた川端原作の演劇公演『雪国』に出演させてもらえることになった[2]。実質、何の演劇の訓練も積まないまま、初舞台に立ったということになった[2]。その『雪国』の公演で葉子役を演じていた女優の河村有紀の付き人になり[2]、その後、舞台で共演した天知茂に誘われて、『剣豪「武蔵に勝った強い奴」』(1970年、NET)で主演の天知の恋人役で出演し、テレビドラマデビューを果たした[2]。
27~28歳の頃には一旦女優業から遠ざかっていたが、この間は、この当時入院していた母のバーの手伝いをしていた[2]。
芸名の名付け親は、春上の名の名付け親と同じく川端康成[1]。
2022年から一般社団法人 映像コンテンツ権利処理機構(aRma)の二次使用許諾手続きの為、行方を捜している[6]