京都寺社等同時放火事件
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事件の概要
1993年4月24日午後10時頃、霞会館京都支所と太秦警察署梅津警察官派出所で、時限式発火装置が発火、爆発とともに霞会館の窓ガラスや派出所の裏口のアルミ製ドアが破損する被害が出た[7][8]。
事件当時、霞会館には宿泊客や管理人がいたが無事だった[8]。派出所では警察官2人が勤務していたが、爆発現場の反対側で受付をしていたため、怪我はなかった[8]。
そして翌日4月25日午前3時35分には、京都市内の青蓮院、仁和寺、三千院、田中神社が相次いで放火された[9][10]。このテロにより、青蓮院の茶室「好文亭」と田中神社拝殿が全焼し、仁和寺[注 1]と三千院[注 2]の建築物の一部が焼失した[9]。
京都府警察の現場検証で各寺社から乾電池とリード線、時限式発火装置の残骸が発見された[10]。後の捜査で消火器爆弾より威力の弱い合成樹脂爆弾が使用されていることが判明した[11]。
今回被害にあった霞会館は、「皇室の藩屏」とされた旧華族の親睦会の会館で、また青蓮院、仁和寺、三千院は門跡寺院として有名であるなどいずれも皇室に縁のある施設であった[9]。
1993年4月30日、中核派は「革命軍軍報」を各マスコミに郵送した[12]。そこには「(この事件は)日帝権力を震撼させ、訪沖中の天皇の度肝を抜いた」とし、天皇にまつわる諸施設は徹底的に破壊されて当然と主張した。