今川基氏
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『寛政重修諸家譜』の基氏に関する項目には元亨3年4月8日卒去、年63、法号・後国光寺殿傑信存英[注釈 2]ということ以外に記述がほとんど無い。しかし、父親である国氏については同譜の記述及びその元となったと考えられる『今川記』の記述において、国氏自身の事績とされる弘安年中の安達泰盛の乱(霜月騒動)の際の戦功が存在する。これについて、実は霜月騒動が弘安8年(1285年)の出来事で、国氏死去の弘安5年(1282年)の後に起きていることから、国氏の戦功記述は誤りとされている[注釈 3]。すなわち、年代を考えれば霜月騒動終結後にこの戦功の恩賞として惟康親王(第7代鎌倉将軍の源惟康)より遠江国引間荘(静岡県浜松市)を与えられたのは基氏であったと推定される。
そして、この基氏の子ども達の代から遠江国を拠点とした今川氏一族の活躍と発展が顕著となる。例えば建武2年(1335年)中先代の乱に基氏の5人の男子のうち長男頼国は遠州小夜中山の戦いで敵将を討ち取る高名をしたが、この頼国を含め兄弟3名までが武蔵国小手指原(埼玉県所沢市小手指付近)の戦いや相模川の戦い等で戦死した。頼国の嫡男今川頼貞は丹後・但馬・因幡の守護に任命されている。