直房以来、親族からの養子による継承を重ねてきた今川家だったが、以後は幕末の範叙まで範主の男系子孫によって継承されることになる。一方、長男と次男を今川家の継嗣に送り出した品川家は、三男の範増の夭折によって一旦断絶することになる。
範主に正室はいないが、側室は少なくとも2人いた。身分が低いなどの理由で正室に立てられなかったものと推測されている[3]。
3男2女がおり、長男範彦が家督を継いだ。次男松平勝文は旗本松平勝秀(500石)の養子となっている。長女は大番士赤井林幸(550石)に嫁いだが、のちに離婚した。三男義泰は範彦の養子として家督を継ぐ。次女は御小姓稲垣正庸(600石)の妻となった。