伊藤東涯
日本の儒学者
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人物
温厚な性格の長者で父や弟たちを支えて古義学の興隆の基礎を築いた。父仁斎の遺した著書の編集・刊行につとめ、自らも「訓幼字義」などを刊行している。中国語・中国の制度史・儒教の歴史などの基礎的な分野の研究にも力を入れていた。また、新井白石、荻生徂徠らとも親交が深かった。
東涯の号は、自号であり、古義堂が京都の堀川出水下るの、堀川の東岸に在ったことに因むものである。妻は加藤氏、三男をもうけるが、長子と次子は早逝してしまい、三子の善韶(号は東所)が古義堂を継承した。
なお元禄16年(1703年)4月に東涯が並河千左衛門へ送った書状のなかに赤穂事件で赤穂藩から離反した大野知房と伊藤五右衛門の兄弟の消息についての記述がある。よって五右衛門の生家・伊藤家は東涯の親族だった可能性が高い。
主な著書
伝記資料
- 「紹述先生伊藤君墓碣」(藤原常雅)
- 「東涯伊藤先生伝」(板倉勝明)
