会津三方道路

From Wikipedia, the free encyclopedia

会津三方道路の位置(福島県内)
会津若松城
会津若松城
田島
田島
新発田
新発田
米沢
米沢
大峠
大峠
束松峠
束松峠
山王峠
山王峠
惣座峠
惣座峠
会津三方道路 (福島県)

会津三方道路(あいづさんぽうどうろ)は、明治時代福島県令三島通庸によって主導された土木事業の通称。また、それによって生み出された道路のことを言う。

会津三方道路とは、会津若松から南の栃木県日光市田島・今市方面(会津西街道)と、西の新潟県東蒲原郡阿賀町津川・新潟方面(越後街道)、および北の山形県米沢市方面(米沢街道)への三方へ向かう道路の総称である[1]

会津三方道路は、1882年に福島県令に就任した三島通庸の指示により1884年に竣工した。強行に進められた土木事業であり、自由民権運動が盛んに盛り上がっていたこともあって1883年11月には福島事件(喜多方事件)を引き起こす一因となった[1]

この土木事業によって整備された道路は、現在の福島県会津若松市の大町札の辻から西(新潟側)、北(米沢側)、 南(日光側)にそれぞれ整備され、一部は現在の交通路に踏襲され整備されている。また、当事業の完成の翌年、菊池新学による写真と高橋由一による風景画が作られた[2]。さらに次の年には、大町札の辻に会津新道碑が建てられた。銅製のこの碑は第二次世界大戦時に供出されたため、石の台座のみが七日町駅前に残されている[3]

経路

出典

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI