会津三方道路
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会津三方道路は、1882年に福島県令に就任した三島通庸の指示により1884年に竣工した。強行に進められた土木事業であり、自由民権運動が盛んに盛り上がっていたこともあって1883年11月には福島事件(喜多方事件)を引き起こす一因となった[1]。
この土木事業によって整備された道路は、現在の福島県会津若松市の大町札の辻から西(新潟側)、北(米沢側)、 南(日光側)にそれぞれ整備され、一部は現在の交通路に踏襲され整備されている。また、当事業の完成の翌年、菊池新学による写真と高橋由一による風景画が作られた[2]。さらに次の年には、大町札の辻に会津新道碑が建てられた。銅製のこの碑は第二次世界大戦時に供出されたため、石の台座のみが七日町駅前に残されている[3]。