佐藤洋

From Wikipedia, the free encyclopedia

国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1962-06-09) 1962年6月9日
没年月日 (2025-11-27) 2025年11月27日(63歳没)
佐藤 洋
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県石巻市[1]
生年月日 (1962-06-09) 1962年6月9日
没年月日 (2025-11-27) 2025年11月27日(63歳没)
身長
体重
182 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1984年 ドラフト4位
初出場 1987年4月14日
最終出場 1992年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導者歴
  • 東北高等学校

佐藤 洋(さとう ひろし、1962年6月9日 - 2025年11月27日)は、宮城県出身のプロ野球選手内野手)、高校野球指導者。

東北高校では、同期のエース中条善伸らと甲子園に4回出場。2年生時の1979年春の選抜には三塁手として出場。1回戦で下関商に敗れる[2]。同年夏の選手権も1回戦で済々黌高に大敗[3]

1980年春の選抜では二塁手に回り、2回戦(初戦)で松江商を降したが、準々決勝で丸亀商に惜敗[2]。同年夏の選手権は再び三塁手に戻り、1回戦で瓊浦高のエース本西厚博を打ち崩し勝利。2回戦では後関昌彦のいた習志野高を完封で降すが、3回戦で浜松商に逆転負け[3]。中条以外の高校同期に一塁手安部理がいた。

卒業後は電電東北に入社。強肩を活かし捕手に転向する。

1983年都市対抗に出場、1回戦で九州産交を降す。2回戦では東芝川端順から適時三塁打を放つが、投手陣が打ち込まれ敗退した[4]

1984年のドラフト4位で読売ジャイアンツに指名され入団、内野手に転向した[1]

1987年に一軍初出場。

1991年に13試合、翌年には7試合に二塁手三塁手として先発出場を果たす。投手、捕手を除く全てのポジションをこなした。

1994年を最後に引退した[1]

その後、臨時コーチ等でアマチュア野球の指導に関わる。マスターズリーグ東京ドリームスの選手としてプレーした。モルツ球団の試合にもサポート参加していた(登録ポジションは捕手で、試合ではブルペン捕手の役割を担っていたと思われる)。 埼玉県で少年野球教室を開いていた。

2022年8月1日付で、母校東北高校の野球部監督に就任[5]。丸刈りにしなくてもいい、練習中にユニフォームを着なくてもいい、練習中に音楽を流してもいい、など、高校野球らしからぬ指導方針をとった。就任1年目にして秋季東北地区高校野球宮城県大会で優勝し、同校12年振りとなる選抜高校野球大会出場を決めた。

2025年8月4日に東北高校は8月1日付で同校元監督の我妻敏が監督に復帰(7年ぶり3度目)し、佐藤の監督退任(任期満了)を発表した[6]。同年11月27日、急性大動脈解離のため、埼玉県さいたま市内の病院で死去した。63歳没[7]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1987 巨人 2110000000000000010.000.000.000.000
1988 2717143100010100020150.071.235.071.307
1989 3220000000000000010.000.000.000.000
1990 1440000000000000000.000.000.000.000
1991 3056529172112441010211111.327.364.462.825
1992 3452454122001421030311103.267.327.311.638
通算:6年 9713211816304113963040723284.254.313.331.643

記録

背番号

  • 40 (1985年 - 1994年)

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI