当年及び近年のシーズン成績
| 年 |
成績 |
リーグ |
勝 |
敗 |
分 |
率 |
平均得点 |
平均失点 |
開幕時監督 |
| 1984 |
レギュラー敗退 | 3位 | 67 | 54 | 9 | .554 | 4.90 | 3.98 | 王貞治 |
|
| 1983 |
日本シリーズ敗退 | 優勝 | 72 | 50 | 8 | .590 | 4.78 | 4.17 | 藤田元司 |
| 1982 |
レギュラー敗退 | 2位 | 66 | 50 | 14 | .569 | 3.93 | 3.38 | 藤田元司 |
| 1981 |
日本一 | 優勝 | 73 | 48 | 9 | .603 | 3.98 | 3.22 | 藤田元司 |
| 1980 |
レギュラー敗退 | 3位 | 61 | 60 | 9 | .504 | 3.90 | 3.46 | 長嶋茂雄 |
| 1979 |
レギュラー敗退 | 5位 | 58 | 62 | 10 | .483 | 4.26 | 4.22 | 長嶋茂雄 |
| 1978 |
レギュラー敗退 | 2位 | 65 | 49 | 16 | .570 | 4.66 | 3.91 | 長嶋茂雄 |
| 1977 |
日本シリーズ敗退 | 優勝 | 80 | 46 | 4 | .635 | 4.98 | 3.88 | 長嶋茂雄 |
| 1976 |
日本シリーズ敗退 | 優勝 | 76 | 45 | 9 | .628 | 5.08 | 3.88 | 長嶋茂雄 |
| 1975 |
レギュラー敗退 | 6位 | 47 | 76 | 7 | .382 | 3.64 | 3.92 | 長嶋茂雄 |
| 1974 |
レギュラー敗退 | 2位 | 71 | 50 | 9 | .587 | | | |
球団創設50周年を迎えたこの年、前任の藤田元司のもとで助監督を務めた王監督が就任。チームはエクスポズからウォーレン・クロマティを獲得し開幕前の下馬評では優勝の本命とされていた。しかし開幕10試合で1勝しかできず、ファンの期待を裏切る形となった。結局4月は5勝10敗5分と苦戦。5月に5連勝、6月に7連勝するなど巻き返し、8月下旬から10連勝で自力優勝の可能性を残したものの9月15日と16日の広島戦で長嶋清幸に2試合連続サヨナラ本塁打を浴びて自力優勝が消滅。9月23日から5連勝するも時すでに遅く、優勝の広島と8.5ゲーム差の3位でシーズンを終えた。投手陣は先発3本柱の江川卓、西本聖、定岡正二が前年に続いてローテを守ったものの定岡は前年の腰痛の影響で2桁敗戦を喫して9月からはローテから外れ、前年新人王の槙原寛己も負け越した。リリーフも角三男・鹿取義隆のダブルストッパーに加えて後半から斎藤雅樹が台頭し、チーム防御率は広島に次ぐリーグ2位の3.66を記録した。打撃陣では篠塚利夫が初の首位打者に輝き、不振の原辰徳に代わり途中から4番に入った中畑清も自身最多の31本塁打を記録、新外国人のクロマティも期待通りの活躍を見せ、中日に次いでリーグ2位の186本塁打を記録した。チームは優勝の広島に12勝12敗2分と健闘したが、敵地・広島で苦手にし続けた。2位の中日には2戦目から同一カード14連敗を喫するなど8勝17敗1分と苦戦し、中日躍進の引き立て役になった。