1984年の読売ジャイアンツ

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1984年の読売ジャイアンツ
成績
セントラル・リーグ3位
67勝54敗9分 勝率.554[1]
本拠地
都市 東京都文京区
球場 後楽園球場
球団組織
オーナー 正力亨
経営母体 読売新聞社
監督 王貞治
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1984年の読売ジャイアンツ(1984ねんのよみうりジャイアンツ)では、1984年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。

この年の読売ジャイアンツは、王貞治監督の1年目のシーズンである。

当年及び近年のシーズン成績
成績 リーグ 平均得点 平均失点 開幕時監督
1984 レギュラー敗退3位67549.5544.903.98王貞治
1983 日本シリーズ敗退優勝72508.5904.784.17藤田元司
1982 レギュラー敗退2位665014.5693.933.38藤田元司
1981 日本一優勝73489.6033.983.22藤田元司
1980 レギュラー敗退3位61609.5043.903.46長嶋茂雄
1979 レギュラー敗退5位586210.4834.264.22長嶋茂雄
1978 レギュラー敗退2位654916.5704.663.91長嶋茂雄
1977 日本シリーズ敗退優勝80464.6354.983.88長嶋茂雄
1976 日本シリーズ敗退優勝76459.6285.083.88長嶋茂雄
1975 レギュラー敗退6位47767.3823.643.92長嶋茂雄
1974 レギュラー敗退2位71509.587

球団創設50周年を迎えたこの年、前任の藤田元司のもとで助監督を務めた王監督が就任。チームはエクスポズからウォーレン・クロマティを獲得し開幕前の下馬評では優勝の本命とされていた。しかし開幕10試合で1勝しかできず、ファンの期待を裏切る形となった。結局4月は5勝10敗5分と苦戦。5月に5連勝、6月に7連勝するなど巻き返し、8月下旬から10連勝で自力優勝の可能性を残したものの9月15日と16日の広島戦で長嶋清幸に2試合連続サヨナラ本塁打を浴びて自力優勝が消滅。9月23日から5連勝するも時すでに遅く、優勝の広島と8.5ゲーム差の3位でシーズンを終えた。投手陣は先発3本柱の江川卓西本聖定岡正二が前年に続いてローテを守ったものの定岡は前年の腰痛の影響で2桁敗戦を喫して9月からはローテから外れ、前年新人王の槙原寛己も負け越した。リリーフも角三男鹿取義隆のダブルストッパーに加えて後半から斎藤雅樹が台頭し、チーム防御率は広島に次ぐリーグ2位の3.66を記録した。打撃陣では篠塚利夫が初の首位打者に輝き、不振の原辰徳に代わり途中から4番に入った中畑清も自身最多の31本塁打を記録、新外国人のクロマティも期待通りの活躍を見せ、中日に次いでリーグ2位の186本塁打を記録した。チームは優勝の広島に12勝12敗2分と健闘したが、敵地・広島で苦手にし続けた。2位の中日には2戦目から同一カード14連敗を喫するなど8勝17敗1分と苦戦し、中日躍進の引き立て役になった。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 松本匡史
2 河埜和正
3 篠塚利夫
4 原辰徳
5 スミス
6 クロマティ
7 中畑清
8 山倉和博
9 江川卓
1984年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 広島-- 広島-- 広島-- 中日-- 中日-- 広島--
2位 中日5.0 中日0.5 中日0.5 広島1.0 広島1.0 中日3.0
3位 阪神6.0 阪神5.5 巨人9.5 巨人9.0 巨人9.5 巨人8.5
4位 大洋7.5 大洋8.0 阪神10.5 阪神11.0 阪神18.5 阪神23.0
5位 巨人8.5 巨人8.0 大洋14.5 大洋20.0 ヤクルト21.5 ヤクルト25.0
6位 ヤクルト9.0 ヤクルト14.0 ヤクルト19.0 ヤクルト22.0 大洋24.5 大洋30.5
1984年セントラル・リーグ成績
順位球団勝率
優勝広島東洋カープ754510.625--
2位中日ドラゴンズ73498.5983.0
3位読売ジャイアンツ67549.5548.5
4位阪神タイガース53698.43423.0
5位ヤクルトスワローズ51718.41825.0
6位横浜大洋ホエールズ46777.37430.5

オールスターゲーム1984

できごと

選手・スタッフ

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表彰選手

ドラフト

出典

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