保戸野金砂町
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歴史
久保田城下で小禄・扶持方家臣の侍町だった(旧)保戸野金砂町を前身とする。正保期(1645 - 1648年)の絵図である「出羽国秋田郡久保田城画図」ではまだ町が存在せず、宝永7年(1710年)の金砂神社移転から町割が開始されたものと考えられている[3]。享保期(1716 - 1735年)以降の絵図では北東部に「御厩御小人」屋敷があり、「お厩町」とも呼ばれていた[4]。隣接する泉馬場(旧泉字馬場)の地名の由来も、厩に属する馬場があったことによる[4]。
沿革
- 1710年(宝永7年) - 金砂神社と別当の東清寺が寺町から移転してくる[3]。
- 1824年(文政7年) - 嬥桜神社が寺町から金砂神社境内へ移転してくる[4]。
- 明治期
- 1904年(明治37年)5月 - 秋田工業学校(現在の秋田県立秋田工業高等学校)が開校する[5]。
- 1956年(昭和31年) - 金砂神社が焼失する[4]。
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 住居表示実施に伴い、(新)保戸野金砂町が成立する。
町名の変遷
以下はすべて住居表示実施に伴う変更。
| 実施前 | 実施年月日 | 実施後(各町ともその一部) |
|---|---|---|
| (旧)保戸野金砂町 | 昭和41年4月1日 | (新)保戸野金砂町 ほどのかなさまち |
| 保戸野八丁 ほどのはっちょう |
| 実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町・字ともその一部) |
|---|---|---|
| (新)保戸野金砂町 | 昭和41年4月1日 | 泉字新堰 いずみ あざにいぜき |
| 泉字馬場 いずみ あざばば | ||
| (旧)保戸野金砂町 ほどのかなさまち |
世帯数と人口
交通
施設
- 秋田県立秋田工業高等学校
- 金砂神社
- 秋田工業高等学校