入砂島
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歴史
東恩納寛惇の『南島風土記』には「てそな」、『正保国絵図』に「戸無島(渡名喜島)之内出砂しま」、『琉球国由来記』には「離レ出砂」と記載されている[3]。また国土地理院発行の2万5千分の1の地図では「入砂島」と表記されているが、20万分の1では「出砂島」となっている[5]。
貝塚時代からグスク時代にかけての遺跡が残存し、その時代における土器やカムィヤキ、15世紀頃の青磁が出土している。入砂島頂上部に位置する4つの御嶽は渡名喜住民の聖地として崇められている。また初穂の麦を供物として捧げる麦穂祭で「イベの火神」へ祭祀を行った根神3人を祀っている。戦前の1933年に入砂島の農地開墾が始まり、渡名喜村民により耕作された[1][2]。
1945年4月に米軍により入砂島全域が接収され、1954年10月に射爆撃場に指定された。管理はアメリカ空軍が行っているが、海軍や海兵隊、日本復帰後の1975年には航空自衛隊も共同訓練に参加している。入砂島の周辺海域は、アオサノリの収穫場であるため、訓練が実施されない日曜日に入砂島の上陸が許可される[6][7]。
→「出砂島射爆撃場」も参照
- 渡名喜島(奥)と入砂島(手前)
- 入砂島内で訓練を行う兵士
- 入砂島内で訓練を行う兵士
