永井環
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越前国足羽郡福井豊島中町(現福井県福井市豊島)出身[2]。福井藩士・永井清也の長男として生まれ、永井熊之助の養子となる[4]。1890年7月、帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年8月、判事試補に任官し千葉始審裁判所詰となる[1][4]。
以後、千葉区裁判所判事、横浜地方裁判所判事、東京地方裁判所判事を歴任。1894年12月、内務省に転じ長野県参事官に就任。以後、同県内務部第二課長・第三課長兼務、同内務部第一課長兼第二課長、群馬県警部長、群馬県書記官、北海道庁事務官・財務部長、同兼土木部長、同植民部長、静岡県書記官、兵庫県書記官、同事務官・第一部長、兵庫県立蚕業学校長事務取扱などを歴任[1]。
1906年7月、宮崎県知事に就任。県下の馬車の統一を図り、県営・日州馬車会社を設立し県下の馬車五百台を買収したが、馬丁の反対により9ヶ月で会社は解散した。1908年3月、知事を休職[5]。同年7月、門司市長に就任し、1918年8月に退任した。1919年3月、東京市助役となり、1920年11月まで在任。1922年1月、八幡市長に就任した[1]。
1926年、福井市長に就任し、1930年まで在任。小学校増設、連合教育会・連合青年団・連合少年団の結成、図書館の充実などに尽力した[2]。
