出花 (仙台市)
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| 出花 | |
|---|---|
| 町丁 | |
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出花の航空写真 (2019年4月23日) | |
北緯38度16分46秒 東経140度59分22秒 / 北緯38.279488度 東経140.989456度座標: 北緯38度16分46秒 東経140度59分22秒 / 北緯38.279488度 東経140.989456度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 行政区 |
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| 地区 | 高砂地区 |
| 人口情報(2025年4月1日現在[1]) | |
| 人口 | 2,617 人 |
| 世帯数 | 1,411 世帯 |
| 設置日 |
1987年(昭和62年) 4月15日 |
| 郵便番号 | 983-0012 |
| 市外局番 | 022 |
| ナンバープレート | 仙台 |
| 町字ID[2] |
0009001(一丁目) 0009002(二丁目) 0009003(三丁目) |
| 運輸局住所コード[3] | 04002-0024 |
出花(いでか)は、宮城県仙台市宮城野区の町丁。郵便番号は983-0012[4]。住民基本台帳に基づく人口は2,617人、世帯数は1,411世帯(2025年4月1日現在)[1]。現行行政地名は出花一丁目から出花三丁目。住居表示は全域で未実施である[5]。旧仙台市出花。
仙台市中心部の東方約10km、宮城野区の高砂地区に位置する[6]。仙台港の背後地にあたり、周囲を中野に囲まれている。南側の中野との境界を宮城県道23号仙台塩釜線と仙台東部道路が、北側には国道45号が通っている。付近には請願駅として開業した中野栄駅や仙台港北インターチェンジがある。
歴史

出花の地名については、天保10年頃の「仙臺郡村小名調」に宮城郡中野村の字名として既に存在している[7]。1889年(明治22年)の町村制施行後、中野村は宮城郡高砂村大字中野となり、1941年(昭和16年)に仙台市に編入され仙台市中野となった。
この地域は1905年(明治38年)頃に行われた耕地整理事業によって生産性の高い農地として整備され、地区の大半は農地であった。しかし、仙台市が新産業都市に指定されたことによる開発の高まりや、1978年(昭和53年)に仙石線の陸前高砂 - 多賀城間に新駅を誘致することが話題となったことで急速な市街化の動向が高まり、無秩序な開発の防止と計画的街づくりを行うため土地区画整理が行われることとなった[8]。
出花一丁目と出花二丁目は「仙台市出花土地区画整理事業」により開発が進み、1987年(昭和62年)に換地処分が行われ誕生した[9][10][11]。その後の2007年(平成19年)には、「仙台市出花東土地区画整理」によって出花三丁目が誕生した[9][11]。出花一丁目については、「仙塩広域都市計画事業 仙台港背後地土地区画整理事業」によって町界が改められ、2016年(平成28年)に中野の一部が出花一丁目に編入された[11][12][13]。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では、出花町内も16時前に1mから2mの津波が到達し、大きな被害を受けたものの、町内での人命被害はなかった。翌3月12日早朝より出花集会所に臨時避難所が開設され、3月18日まで炊き出しが実施された[14]。
年表
- 1978年(昭和53年)11月23日 - 土地区画整理組合の設立準備委員会が結成される[10]。
- 1981年(昭和56年)
- 1986年(昭和61年)2月3日 - 町名変更についての協議が行われる[10]。
- 1987年(昭和62年)
- 1989年(平成元年)4月1日 - 仙台市が政令指定都市に移行し、宮城野区が誕生。仙台市宮城野区出花となる。
- 2005年(平成17年)1月7日 - 宮城県が仙台市出花土地区画整理事業を認可し、事業に着手する[9]。
- 2007年(平成19年)
- 2011年(平成23年)
- 2016年(平成13年)
町名の由来
出花が成立する以前の字名である中野字出花より[7]。
世帯数と人口
2025年(令和7年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 丁目 | 世帯 | 人口 |
|---|---|---|
| 出花一丁目 | 694世帯 | 1,226人 |
| 出花二丁目 | 422世帯 | 763人 |
| 出花三丁目 | 295世帯 | 628人 |
| 計 | 1,411世帯 | 2,617人 |
世帯数と人口の推移
国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数と人口の推移は以下の通りである。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[15] | 1,620 |
| 2000年(平成12年)[16] | 1,865 |
| 2005年(平成17年)[17] | 1,787 |
| 2010年(平成22年)[18] | 2,431 |
| 2015年(平成27年)[19] | 2,556 |
| 2020年(令和2年)[20] | 2,608 |
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[15] | 676 |
| 2000年(平成12年)[16] | 801 |
| 2005年(平成17年)[17] | 795 |
| 2010年(平成22年)[18] | 1,084 |
| 2015年(平成27年)[19] | 1,192 |
| 2020年(令和2年)[20] | 1,303 |
