函館ラーメン
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歴史
発祥については諸説存在し、定かではない。
1884年(明治17年)の函館新聞(1997年1月1日に創刊した函館新聞とは無関係)に、函館船場町(現・函館市末広町)に開店した華僑の経営による洋食店「南京御料理 養和軒 アヨン」4月28日付の広告に「南京そば」が掲載されている[4]。この広告には、「南京そば15銭」の記載があるが、養和軒の南京そばと現在のラーメンとの関連性を正確に示す、レシピなどの資料は発見されておらず、函館がラーメンの発祥とする説は定かではない[5]。
古くからの開港地であった函館港には、集積する昆布などの海産物の買い付けに、多数の華僑が訪れ、当時の函館の人が彼らを「広東さん」と呼称していたことから、華南出身の華僑が多く、函館における支那そば(ラーメン)のまっすぐの麺と澄んだスープの特徴からも、ルーツは広東系の塩味の湯麺(タンメン)であることが推測される[6]。
二次資料出典でなく札幌の製麺所の紹介文であるが、かつて大町の中華会館内で中国料理店「蘭亭」という店があった。初期にあたる明治時代から大正時代は、これらの中国料理店を通じてラーメン文化が築かれていったとされる。よって函館ではラーメン専門店というより中華料理店で提供される一品という雰囲気が強いのも特徴という[7]。
昭和時代になると、ラーメン専門店が営業し始めるようになる。例えば「笑福」というお店があって、当時喫茶店だった隣の「ミス潤」の客にラーメンが提供されたという。「ミス潤」の1932年(昭和7年)当時のメニューに「ラーメン(支那そば)1杯15銭」の文字があった。現在の函館ラーメンと同様、まっすぐな細麺と澄んだ塩味のスープだった[7]。
いくたびかの大火を経て、函館の繁華街は函館駅前の方に移動していったが、第二次世界大戦直後にあたる昭和20年代から30年代にかけて、大門と呼ばれる松風町地区に屋台や、大八車の流し屋台が軒を連ねるようになった。しかし区画整理やバブル時代の土地高騰等により、これらの屋台はほとんど見られなくなった。
昭和時代後期になると観光コンテンツ化が始まる。「函館ラーメン」と呼ぶようにしたきっかけは研究論文など文献等が見つからず信憑性に難があるものの、1971年(昭和46年)におんじき庭本が函館空港に出店する際に、観光客が覚えやすいようにしたとされる[8]。
1996年(平成8年)に日清食品から発売された「日清のラーメン屋さん」で「札幌みそ風味」「旭川しょうゆ風味」と共に「函館しお風味」が商品ラインナップに並んだ。これが「函館 = 塩ラーメン」のイメージ形成に一役買った可能性もある[3]。
2002年(平成14年)に函館市政施行80周年を記念して「第1回函館塩ラーメンサミット」を開催しさらなる観光転換を図っていく。ラーメンサミットの趣旨は福岡県久留米市で行われていた「ラーメンフェスタin久留米」を参考にしていた。函館塩ラーメンをブランド化し、函館のイメージアップでさらなる経済波及効果を狙っていたものと考えられている[9]。
2023年(令和5年)9月1日、製麺所のひとつ丸豆岡田製麺が事業停止をし現場は混乱をした[10]。
年表
- 1884年(明治17年) - 「南京そば」の広告掲載される
- 1927年(昭和2年)- 日の出製麺開業
- 昭和20年代から昭和30年代にかけて函館駅前の繁華街大門の松風町地区に流し屋台が連ねるようになる
- 1946年(昭和21年) - 丸正出口製麺開業
- 1954年(昭和29年) - 丸豆岡田製麺所(のちの丸豆岡田製麺)が総合麺類製造販売になる
- 1971年(昭和46年) - おんじき庭本が函館空港出店の際に観光客に覚えやすいように「函館ラーメン」と名付ける[8]。定着したのは2000年頃とされる[3]
- 1996年(平成8年) - 日清食品「日清のラーメン屋さん」に「函館しお風味」が商品ラインナップに並ぶ
- 2000年(平成12年) - 新横浜ラーメン博物館に出店[12]
- 2002年(平成14年) - 第1回函館塩ラーメンサミット開催。観光転換を図る
- 2021年(令和3年)11月25日 - 株式会社セブンイレブン・ジャパンが、2018年に閉店した函館ラーメンの店である、「星龍軒」監修の塩ラーメンを販売開始。
- 2023年(令和5年)9月1日 - 丸豆岡田製麺が事業停止
特徴的な店舗など
複数のメディアで紹介された老舗店としては、「あじさい」[13]、「滋養軒」[14]、「鳳蘭」[15]などが挙げられる。また、俳優の大泉洋が通う店として「大正庵」が紹介されている[16]。
元祖バスラーメン
元祖バスラーメン(がんそバスラーメン)は、函館市内を中心に営業している移動販売のラーメン店である。創業当初はマイクロバスの車内を店舗に改装した形態で2020年代以降はキッチンカースタイルで営業、50年以上にわたり函館の夜食文化の一端を担っている[17]。
1971年(昭和46年)頃に創業した、函館の名物屋台の一つである[18]。レトロな外観のバス内で、函館ラーメンの主流である塩ラーメンを中心に提供している。かつては函館山ロープウェイ山麓駅付近や五稜郭など市内各所を巡回していたが、現在は湯の川温泉を拠点として営業している[19]。
元祖バスラーメン歴史
- 車両の変遷
- 長年大型バス(4代目まで)を使用して営業を続けてきた。しかし、車両の老朽化が課題となっていた[18][20]。
- 5代目への更新と復活
- 2020年、4代目車両が車検を通すことが困難になったことをきっかけに、5代目としてリニューアルした[21][18][22]。
- 2024年1月、車両の故障が重なり一時閉店を告知したが、継続を望むファンによるボランティアチームの結成や修理費用の寄付などの支援を受け、同年4月25日に営業を再開した[23][24]。
主な営業圏
催事などの出店時は市内近郊に出張することもあるが、主に湯の川温泉街を拠点としている。
- 旅館「笑(えみ)」の駐車場付近を定位置としており、宿泊客の夜食として親しまれている[25]。
ラーメンの特徴
提供されるラーメンは、伝統的な函館塩ラーメンのスタイルを忠実に守っている。豚骨や鶏ガラを用いた透明度の高いスープが特徴である[26]。
ブルートレイン
湯の川温泉電停近くに位置するブルートレイン(1985年創業)は、国鉄の廃車車両(キハ27形気動車)を店舗として利用していることで知られる、函館ラーメンの個性派店舗の一つである[27][28]。
その味わいは地元出身の著名人からも支持されており、オズワルドの畠中悠(旧戸井町出身)やフリーアナウンサーの佐藤麻美(函館市出身)が、「思い出の味」としてメディアで紹介している[29][30]。ベーシックなスープに背脂多めのトッピングが特徴[27][31]。
マメさん
マメさんは、かつて丸豆岡田製麺の岡田芳也により経営されていたラーメン店。函館における「塩ラーメン」の伝統を継承しつつ、新横浜ラーメン博物館への出店を機に「新はこだてラーメン」を提唱したことで知られる。
製麺業者「岡田製麺」の岡田芳也(おかだ よしなり)が、自分が高校生時代に通った屋台『龍鳳』の味に感銘を受け、その味を受け継ぎつつ独自性のあるラーメンを提供する店として創業した[32]。当初は1968年に大門地区で開業し、一度は閉店したものの、2000年の新横浜ラーメン博物館への出店を機に復活。函館ラーメンの代名詞的な存在として親しまれた[33]。
マメさん歴史
- 創業と一時閉業:1968年、岡田芳也が函館市若松町(大門地区)で「マメさん」を創業した。屋号は岡田のニックネームに由来する。当時から人気を博したが、岡田製麺の本業に専念するため、1985年に惜しまれつつ閉店した[33]。
- 新横浜ラーメン博物館への出店:2000年、新横浜ラーメン博物館からのオファーを受け、期間限定の「復活プロジェクト」として同館に出店[34]。これを機に、函館の店舗も場所を変えて再開した[32]。その後も長らく地元客や観光客に親しまれてきたが、後述の事情により閉店した[35][36]。
岡田製麺について
「マメさん」の運営母体であった株式会社岡田製麺は、1920年創業の老舗製麺所であった。函館市内の飲食店やスーパーマーケットに広く麺を供給していたが、原材料費の高騰、さらにコロナ禍による需要減が響き、2023年に事業を停止した[37]。その後自己破産を申請した[38]。
新はこだてラーメン
新横浜ラーメン博物館への出店に際し、岡田は「伝統の継承と進化」を掲げ、「新はこだてラーメン」を開発した[32]。
- スープ:豚骨や鶏ガラをベースにした従来の透明な塩スープに、函館産の昆布やホタテ、さらに「ふのり」などの海産物の旨味を凝縮させた。
- 麺:岡田製麺特製の、スープによく絡むストレート麺を使用。
- 背脂の再解釈:屋台時代の「揚げた背脂(油かす)」をトッピングし、あっさりとした塩味の中にコクと香ばしさを加えたのが最大の特徴である[39]。
コラボレーション展開
その知名度から、サンヨー食品などの食品メーカーより、インスタントラーメン商品とコラボレーションし「函館塩ラーメン マメさん」監修の商品として全国発売され、函館ラーメンの全国的な認知度向上に寄与した[39]。
