動機づけられた推論
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動機づけられた推論(どうきづけられたすいろん、英: Motivated reasoning )とは、願望、目標、あるいは感情が、推論に影響を与えるとする理論概念。もしくは、「人間は自分が到達したいと望む結論に到達しやすい」という現象を指す心理学用語である[1]。この語における「推論」には、情報の取捨選択、解釈、信念の形成といった認知プロセス全般が含まれる[2]。
推論に影響を与える動機づけは、客観的に(第三者が見ても)正確な結論に到達しようとする「正確性目標」と、個人にとって望ましい結論に到達しようとする「方向性目標」の二種に大別される[3]。人々は正確性目標と方向性目標を同時にかつ異なる程度で追求しうるが[4]、政治的争点のように、感情的に強い関与を伴う領域では方向性目標が優勢となりやすく、強く正確さを求められた場合でさえ自分の先入観を制御できないことが多い[5]。
動機づけられた推論は、心理学、政治学、マスコミュニケーション研究といった各分野を横断する中核的な理論概念である[6]。
正確性目標
動機づけられた推論の理論は、情報の選択と評価、記憶の符号化、信念形成、判断といった、推論における認知プロセスが、動機ないし目標から影響を受けることを示す [6]。推論に影響を与える動機は、それが達成しようとする最終目標によって二つの主要なカテゴリーに分類される。すなわち、客観的に正確な結論を求める「正確性目標」と、個人にとって望ましい特定の結論を求める「方向性目標」である[3]。
正確性目標(せいかくせいもくひょう、英: accuracy goals)とは、客観的に正しい結論や最善の判断に到達しようとする動機である[2]。人々が正確でありたいと動機づけられている場合、争点に関連する推論により多くの認知的努力を費やし、関連情報をより注意深く精査し、より複雑な論理規則を用いて情報を処理する傾向がある[7]。 こうした正確性目標の特性は、認知プロセスから第一印象の影響(初頭効果)やステレオタイプの使用といった特定の認知バイアスを低減または排除することにつながる場合がある[8]。しかし、正確性目標が常に推論の質を向上させるとは限らず、誤った推論方略を「適切である」と誤信している場合には、かえってバイアスを強める可能性もある。正確性目標がバイアスを低減するためには、被験者が適切な推論手続きを保有し、それらを他の方略より優れていると見なし、それを自由に使用できることが条件となる[9]。
正確性目標がバイアスを低減する条件が満たされた実例として、内部監査人の詐欺リスク判断に関する研究がある。オイレーリッヒらは、資産横領シナリオにおいて、容疑者の身体的魅力(身体的魅力のステレオタイプ)が詐欺リスク判断に与える効果(ハロー効果)の度合いを、193名の内部監査人と240名の統制群(監査経験のない大学生)で比較した[10]。実験の結果、専門的な経験や客観性への動機づけを持たない統制群は、魅力の低い容疑者に対して不正の責任を帰属させるという明確なバイアスを示した一方で、内部監査人のグループは、容疑者の魅力の程度によって判断を変えることはなかった [11] 。この結果は、内部監査人が専門的経験と客観性への高い動機づけを通じて、身体的魅力ステレオタイプによるバイアスを修正したことを示しており、正確性目標の条件が整った場合にステレオタイプ・バイアスが効果的に排除されうることを実証するものである[12]。ただし、この知見は容疑者との対面的相互作用を伴わない場面に限定されており、対面場面ではハロー効果の影響がさらに増大する可能性があることが著者らによって指摘されている[13]。
方向性目標
方向性目標(ほうこうせいもくひょう、英: directional goals)とは、望ましいと見なされた特定の結論に到達しようとする動機である[14][15]。方向性目標に動機づけられた個人は、自分の望む結論を支持するような記憶や信念を選択的に検索・構成しようとするため、認知プロセスの選択的利用(偏り)が促進される[16]。 ただし、こうした方向付けは無制約に行われるものではない。社会心理学者のジヴァ・クンダは「目標の偏向的役割は、望ましい結論に対する正当化を構築する能力によって制約される」[16]と指摘する。人々は自身の持つ「客観性幻想」を維持しようと努めるのであり、第三者を説得できるほどの正当化を構築できない場合には、たとえ自身にとって望ましくない結論であっても受け入れることが多い[16]。
「望ましい結論」として志向される内容例としては、自己肯定感の維持や自己利益の促進が挙げられる。クンダらの行った実験では、「人間の外向的特性は有益である」と聞かされた被験者は、その特性に合致する自伝的記憶をより多く、かつ迅速に想起し、「自分は外向的特性を多く持つ」という方向へと自己認識を改めた。「人間の内向的特性は有益である」と聞かされた被験者には、逆の現象が生じた。ただし、こうした自己概念の変化は先行する自己知識に制約されており、もともと外向的であった被験者が自分を内向的であると都合よく思い込むことはなかった[17]。
また、方向性目標は自分にとって「望ましくない結論」の解釈にも作用する。クラインとクンダによるチーム戦形式の歴史クイズの実験では、「敵」となる相手が満点を取った場合、問題の難易度や運などの原因によって対象の能力を低く見積もる非対称的バイアスが確認されている[18]。社会心理学者のピーター・ディットーとデビッド・ロペスは、人々が自分の好ましい結論に対しては緩い基準でその正当性を受け入れる一方、好ましくない結論に対してはより多くの情報と厳格な精査を要求する傾向があることを明らかにした[19]。この傾向は「動機づけられた懐疑主義」として知られている[20][21]。提示された情報が自分の選好と矛盾する時、人々はその情報をより批判的に精査し、代替的な(望ましい)説明を探索・形成する動機づけられた推論が作動する[22]。
方向性のある動機づけが生じるトリガーの一つとして、心理的な不快感、特に「認知的不協和」がある[23]。自分の保持する態度が、目にした情報や現在の行動との間で矛盾している場合、人間の内部には不快な覚醒状態が生じる[24]。この不快な覚醒状態を解消しようとする動機が、推論過程に作用する[25]。人々は自分の態度と反する現実に直面した場合、心理的な不快感を低減させるために、自覚せずに事実の解釈を歪めたり信念を変容させたりする動機づけられた処理を行うとされる[23][26]。
特にアイデンティティに関わる信念が脅威にさらされる状況は、その動機づけの影響がより強くなる[27]。チャールズ・ロードらによる、死刑制度に対して強い賛成または反対の意見を持つスタンフォード大学の学部学生48名を対象とした実験では[28]、死刑の抑止効果に関する賛否二つの研究結果が被験者に提示された。被験者は、自身の既存態度を支持する研究をより説得的で方法論的に優れたものと評価し、既存態度に反する研究をより説得力に欠け方法論的に劣ったものと評価した[29]。その結果、同一の証拠に接した(同じ内容の資料を目にした)にもかかわらず、賛成派と反対派の双方で、態度がさらに分極化することが示された[30]。守られる既存態度や世界観が自己概念にとって中心的であるほど、それに反する情報が動機づけられた推論を引き起こしやすい事実は、後続の複数の研究によって繰り返し示唆されている[27][31]。
このトリガーは神経科学の観点からも裏付けられている。人間の脳は、自身の態度に反する情報に接した際、感情処理に関与する神経領域が活性化する。そして、好ましくない情報を退けて感情的に望ましい結論に到達した際には、脳の報酬関連活動の増加が観測されている[32]。また、深く保持された(アイデンティティに結びついた)信念への反証を評価する際に島皮質や扁桃体が活性化することから、こうした信念への脅威が身体的(物理的)安全への脅威と類似した形で処理されている可能性も示唆されている[33](詳細は、#神経科学節を参照)。
両目標の関係
人々は正確性目標と方向性目標を同時に、かつ異なる程度で追求しうる[4]。方向性目標が同時に駆動される場合、人々は事実情報の評価や自身の推論を、先行する特定の結論を擁護する目標に対して合致させる[4]。結果として、意識的であるか無意識的であるかにかかわらず、方向性目標の特性は情報の検索、解釈、評価におけるバイアスとして現れる[4][34]。 政治学者のチャールズ・S・テイバーとミルトン・ロッジは、方向付けられた目標とそれに続く選択的情報処理は、自意識に関わらず自動的に生じる感情プロセスによって駆動されるとし、客観的な正確性の制約と自身の信念固持との間の緊張はあるゆる人間の推論の基底にあると主張した[5]。
マイサイドバイアス
特に、自身の感情と結びついた信念に対し、有利な方向に偏った認知プロセスを形成する人間の情報処理傾向を「マイサイドバイアス」という[35]。これは動機づけられた推論を基盤とするバイアスである[36]。このバイアスの独自性は、他のほぼ全ての認知バイアスと異なり、認知能力(知能)や思考傾向(積極的開放思考、認知欲求など)と、バイアスの強さとの間で、ほとんど相関が見られないという点にある[37]。これは、知能の高さや教育によってはこの処理傾向を抑制できない可能性を示唆している[38]。
このバイアスのもう一つの顕著な特徴として、内容依存性が強いという点が挙げられる。ある対象へ向けるマイサイドバイアスの強さは、他の対象と関連せず、個人が各対象に持っている意見の強さ(態度強度)に個別に依存する[39]。つまり、あくまで論点ごとの意見の強さに左右されるのであり、個人の方向性(例えばリベラル/保守といったイデオロギーなど)からはバイアスの強さを予測することはできない[40]。
バイアスを生成するメカニズム
方向性目標が推論にバイアスをもたらす原因については、認知プロセスに焦点を当てたメカニズムが提唱されている。
クンダは、方向性目標が「記憶検索」や「信念構築」といった認知プロセス自体を偏向させるという観点からモデル化を行った[16]。人々が自身の持つ「客観性幻想」を維持しつつ、望ましい結論を論理的に支持できるよう試みるとき、自身の記憶の中から望ましい結論と整合する事実や経験を選択的に検索する「偏向された記憶検索」が行われる。そこでアクセスした知識を組み合わせて、人々は望ましい結論の根拠たり得る新たな信念や理論を構築するとされる[16]。脳内の仮説検証においては、「自分の望ましい結論は真か?」という仮説の信ぴょう性を問う方向性のある問いが立てられると、脳がその仮説を支持する証拠を記憶から探そうとする傾向がある。この傾向は仮説確証バイアス(hypothesis confirming bias)とも呼ばれる[41]。その結果として、他の結論より多くの証拠が検出(構築)された、自分の望ましい結論こそが客観的に正しいものとして確証されやすくなる[42]。
テイバーとロッジは、バイアスの駆動力として感情の自動的活性化を強調した[5]。この理論によれば、社会的情報は自動的に肯定・否定の感情を喚起し、その感情が後続の情報処理における三つのバイアス生成メカニズムを作動する。第一に、自身の先行態度と合致する主張を説得力があると評価する「先行態度効果」。第二に、自身の態度と対立する主張に対し有効な反論行うために、むしろ多くの時間と認知資源を費やす「反証バイアス」。第三に、自身の態度を支持する情報源ばかりを選択的に探索し、対立する情報を避ける「確証バイアス」である[21]。テイバーとロッジの研究では、これら三つのメカニズムが支持的な証拠を記憶に蓄積する方向にそれぞれ作用した結果、賛否両論の均衡した議論で態度がより極端になる現象「態度の分極化」が生じることが示された[43]。
神経科学
fMRIを用いた神経科学的研究により、動機づけられた推論を行う際の脳活動が明らかになった。これらの研究は動機づけられた推論が、客観的な「冷たい推論」とは質的に異なる、感情回路の主導する「ホット」な脳プロセスであることを示唆している。既存の信念や選好と矛盾する情報に直面した際、人々は認知的な不協和を解消し、否定的な感情を最小化するために特定の神経回路を動員することが確認されている。
感情的反応と報酬系
2004年アメリカ合衆国大統領選挙期間中に行われたfMRI研究では、強い党派的立場を持つ被験者30名を対象として、自党の候補者・対立候補者・中立的人物という三者に関する矛盾情報を処理する際の脳活動が測定された。その内、自身の支持する候補者に関する脅威的情報(矛盾情報)に接した際には、腹内側前頭前皮質(VMPFC)、前帯状皮質(ACC)、島皮質、後帯状皮質などの感情処理関連領域が活性化した一方、論理的な思考や意識的な感情抑制に関連する背外側前頭前皮質(DLPFC)の活性化は認められなかった[44]。
さらに、矛盾する情報を処理して自身の信念に沿った結論(正当化)に到達すると、報酬や安堵感に関連する腹側線条体の顕著な活性化が確認された。このことは、動機づけられた推論が、否定的な感情の回避と、肯定的な感情の獲得という「二重の強化」によって維持されている可能性を示唆しており、信念の修正が困難である理由の神経学的な裏付けとなっている[45]。
自己同一性と防衛反応
強固な信念が反証に直面した際の神経基盤を調べたfMRI研究では、被験者の政治的信念と非政治的信念に矛盾する議論を提示し、fMRIで脳活動を計測した。そこでは自身の政治的信念への反証に対して、自己表現や外界からの離脱(内面への没入)に関連するデフォルトモードネットワーク(DMN)、特に楔前部や後帯状皮質の活動増大が伴うことが示された。これはアイデンティティに結びついた信念が脅かされた際、信念を守るために外的証拠からの離脱と内的な反論生成を行うという解釈を支持する[46]。
また、反証に直面しても信念を変えにくい個人ほど、扁桃体と島皮質の活動が高い傾向にあることが報告されている。扁桃体は脅威への反応に、島皮質は情動的な感覚の統合に重要な役割を果たしており、これらの領域の活動は、信念への挑戦が物理的な脅威と同様に処理されている可能性を示唆している。つまり、信念への反証は身体的安全への脅威と類似した神経的脅威信号を惹起し、感情的な防衛反応が信念維持を駆動することを示している[47]。
認知的洗練性と陰謀論
動機づけられた推論は「誰が陰謀論を信じているのか」を検討する学術研究で頻繁に登場する重要なメカニズムである。そこでは、特定の政党を強く支持していたり、極端なイデオロギー的立場であるほど、動機づけられた推論が働きやすい相関関係があることがわかっている[48]。動機づけられた推論の枠組みにおける陰謀論の支持は、単なる情報の欠如や精神的な病理ではなく、心理的利得やアイデンティティ防衛認知の観点から能動的かつ合理的な情報処理プロセスとして理解されている[49][50]。
高い政治的知識や政治的洗練性は、必ずしも陰謀論への抵抗力を高めないことがわかっている。むしろ、知識は自身の既存の信念(先有傾向)と合致する情報を正当化し、反証情報を棄却するための認知資源として機能する[51]。テイバーとロッジの研究では、政治的な議論が盛んな問題に対し、知識が洗練されている個人ほど、「先行態度効果」「反証バイアス」「確証バイアス」がそれぞれ強く作用し、態度の分極化を強める結果が出た。つまり、政治的知識が豊富なほど、自分の態度を肯定する議論を簡単に擁護し、態度に反する議論は時間をかけて大量に反論し、態度を肯定する議論を集める一方、反する議論を避ける傾向があった[43]。
ミラーらの研究でも、政治的知識が豊富な個人ほど、自身の支持政党やイデオロギーにとって都合の良い(相手陣営を攻撃する)陰謀論を支持する傾向が強まることが示された[52]。具体的には、政治的知識が高く、かつ他者一般や政治的・社会的制度への信頼が低い個人は、イデオロギー的に動機づけられた陰謀論に対して最も脆弱であることが確認されている[53]。しかし、どんな陰謀論にも脆弱であるわけではなく、自身のイデオロギーに合致しない(自陣営にとって不都合な)陰謀論を棄却する能力に関しては、むしろ高いことも示されている[54]。
知識だけでなく、分析的・熟慮的な思考能力についても同様であった。心理学者のダン・カハンは全米の成人1750人を対象とし、認知反射テスト(CRT)の成績とイデオロギー的動機づけ推論の関連を、観察的手法と実験的手法の双方から分析した[55]。実験では、被験者にまずCRTを受けさせたうえで、その結果についての架空の研究知見を提示した。ある条件では「気候変動の証拠を受け入れる人のほうがCRTの正答率が高かった」と伝え、別の条件では「気候変動の証拠を拒否する人のほうがCRTの正答率が高かった」と伝えた。実験の結果、リベラル派と保守派の双方が、自陣営に都合のよい結果が提示された条件下ではCRTの妥当性を高く評価し、不都合な結果が提示された条件ではその妥当性を低く評価するという、対称的な動機づけられた推論を示した[56]。特に、CRTの得点が高い被験者ほど、このイデオロギー的分極が拡大する結果となった。この結果は、直感的・省力的な思考(システム1)への過度な依存が分極化の主因であるとする「限定合理性仮説」の予測に反するものであった[57]。カハンは、分析的・熟慮的な情報処理に長けた個人は、内集団に有利な証拠評価をより精緻に行うことができるため、動機づけられた推論がかえって増幅したものと分析した[58]。ただし、フェイクニュースの文脈で、CRTの得点が高いほど党派的偏向がなかった(党派性のあるフェイクニュースと本物のニュースとを見分けられた)ことを明らかにした研究もあり[59]、カハンの知見の適用領域に限界がある可能性が示唆されている。
こうした人間の情報処理属性は、「道具的合理性」(目標達成において最良の手段であるか)や「表現的合理性」(自己及び他者に発されるシグナルとして機能的であるか)の観点から、個人単位において規範的に適切である[60]。問題は、各個人にとっては合理的であるにもかかわらず、全員がこの傾向を同時に採用した場合、社会全体での科学的知見に基づく政策への収斂が阻害されるという点にある。カハンはこの状況を「科学コミュニケーションにおけるコモンズの悲劇」と呼んだ[61]。各々が方向性目標に動機づけられた推論を行った総体として、真実に収束できない社会が想定されるのである[62]。
