ナイーブ・リアリズム

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社会心理学におけるナイーブ・リアリズム: Naïve realism)とは、自分は対峙する物事を偏見なく客観的に「あるがまま」にとらえていると信じる、人間の認知的傾向である[1][2]

人間の認知判断は、自己スキーマ自己高揚動機に影響を受けて主観的に構築されるものである[注 1]が、その一方で、人々はそうした自分自身の主観的経験を客観的事実の直接的な反映であるとみなす傾向がある[3][4]。個人が自分の見方を客観的事実と同一視している場合、それと相反する他者の見解は客観的事実に基づいていないと判断される[3]。その結果、対立する見解を持つ相手を無知非合理的、あるいは何らかの偏向を反映している人物とみなし、相手の性格や気質を原因として過重視する「根本的な帰属の誤り」が助長される[5]。ナイーブ・リアリズムは社会的対立やメディア不信、他者への偏見を生み出す要因として機能することが実証研究を通じて示されている[6][7]

Naïve realismは日本語で「素朴実在論」とも訳される[8]が、心理学の文脈で使用される際は「ナイーブ・リアリズム」とカタカナで表記されることが多い[1][2][4][9]

社会心理学者のリー・ロス英語版アンドリュー・ワードは、人々が自身と他者の認識について抱くナイーブ・リアリズムの構造を3つの信念として定式化した[10]。これらは、意識的に吟味されることのないまま認知前提として機能する暗黙の確信である[11][12]。彼らは、この確信がもつ主観的性格を捉えるために、あえて一人称の形式で記述している[11][13]


第1の信念

私は、対象や出来事を、客観的事実に基づいてありのままに受けとめている。私の態度、信念、好み、優先順位などは、私の個人的な感情や偏見に基づくものではなく、手元にある情報や証拠をありのまま「直接」捉えた結果として生じたものである[11]


第2の信念

合理的な他者は、私の見解を生み出した情報に同じように触れ、それを思慮深く公正な姿勢で処理すれば、概ね私と同じ反応、行動、意見を共有するはずである[14]


第3の信念

ある個人や集団が、私の見解を共有しないとすれば、その原因は三つのうちのどれかである。

(a)相手は、私とは異なる情報に接している。この場合、相手に自分と同じ情報を提供すれば同じ見解に至るはずである。

(b)相手は、怠惰であるか非合理的であるか、あるいは客観的証拠から妥当な結論を導出する能力もしくは意志を欠いている。

(c)相手は、イデオロギー利己心、あるいはその他の個人的要因の影響によって、解釈や結論の導出に偏りが生じている[14]


これら3つの信念は相互に独立したものではなく、第1の信念を起点とする連鎖的な構造をなしている[3]。自分の認知が客観的事実の直接的反映と確信していること(第1の信念)が前提となり、合理的な他者も同一の結論に達するはずだという期待(第2の信念)が生じる。そして、その期待に反して他者が異なる見解を示した場合に、不一致の原因が相手側の情報不足、能力不足、感情的要因、偏向などに帰属される(第3の信念)。客観的事実はただ一つであるという前提に立てば、異なる見方は客観的事実の反映ではありえないという推論が成立するためである[3]

第1の信念の実証

ナイーブ・リアリズムの3つの信念のうち、第1の信念は「自分は偏りなく客観的に物事を捉えている」という確信である[11]。ロスらがこの理論を提唱した時点では、第1の信念そのものを直接的に検証した実証データはなく、偽の合意効果などの既知の現象から間接的に推論されたものであった[15]。その後の研究は、人が自己の客観性を過信している様子を複数の角度から実証している。

客観性幻想

「自分は他者より客観的である」と思い込んだ状態は、客観性幻想: illusion of objectivity)と呼ばれる現象として実証されている。社会心理学者のデイヴィッド・アーマーは大学生を対象とする5つの研究において、自分自身の客観性と、同校における一般的な学生の客観性を比較評定させた。たとえば、ある研究では「自分のスキルや能力を客観的に判断している」「他者の個人的資質を公平に評価している」といった客観性を表す12の項目について、自分自身と平均的学生にどの程度当てはまるかを尋ねた。その結果、約90%の参加者が平均的な学生よりも自分自身に高い評価を与えた[16]。アーマーが実施した他の4つの研究でも同様の傾向が見られ、5つの研究全体で一貫して85%前後の参加者が、自分は一般的な学生よりも客観的であると評定した[17]。同様の傾向は、ウルマンとコーエンによる他の複数の実験でも確認されており、「意見を形成する際、入手可能な事実をすべて客観的に検討しようとしている」「自分の意思決定は合理的かつ客観的である」といった項目について、参加者の約88%が自分は平均より上であると評定した[18]。「大多数の人間が一般(平均)より客観的である」という現象は統計上成立し得ない。これらの結果は、人が自らの認知の客観性に対して体系的な過信を抱いていることを示唆している[16]

内観の錯覚

自分は客観的であるという自認が維持されるメカニズムは内観の錯覚: Introspection illusion)として説明されている[19]。人は自分の客観性を評価する際に、内観(自分の思考、感情、意図といった内面的な意識のプロセスの探索)に頼り、自分の思考過程の中にバイアスの痕跡を探す。しかし、認知バイアスの多くは自動的に機能し、無意識的な情報処理過程で生じているため、どれほど深く自分の内面を探索してもバイアスの痕跡(証拠)を見つけ出すことはできない[20]。その結果、バイアスの証拠の不在がバイアスそのものの不在の証拠として誤って解釈され、個人の客観性に対する確信を維持し、場合によってはむしろ強める[21]

この現象の理論的基盤は、1977年のリチャード・ニスベット英語版ティモシー・ウィルソン英語版による内観報告に関する実証研究に遡る。彼らはある大学講師のインタビュー映像を使用し、対人評価におけるハロー効果が内観によって検出可能かを検証した[22]。実験では、同一の講師が「温かく好意的な態度」で振る舞う映像と、「冷たく非好意的な態度」で振る舞う映像の2種類が用意され、参加者はいずれか一方のみを視聴した。その後、参加者は講師の「外見」「訛り」「(身振り)」といった客観的な特徴について評価を行った。その結果、好意的な態度の映像を見たグループはそれらの特徴を魅力的であると高く評価し、非好意的な態度の映像を見たグループは同じ特徴を不快であると低く評価した[23][24]。講師の外見や訛りといった物理的特徴は全く同一であった。この実験デザインにより、実験的に操作された「態度の違い」が各特徴の評価を系統的に歪める因果関係が証明された。しかし、事後インタビューにおいて参加者は、講師の操作された態度が自分の評価に影響を与えたことを明確に否定した。参加者は、外見や訛りといった特徴「そのもの」が客観的に魅力的(または不快)であったからそのように評価したのだと報告した。この結果は、判断に影響を及ぼした真の要因が内観によっては検出されないことを示している[25][26]

評価における情報源の非対称性

なぜ人が、「他者より」客観的であると感じるかの原因については、内観の錯覚を起点とする自己と他者の非対称な認知構造が指摘されている[27]。人は自己を評価する際には意図動機といった内省に基づく情報に依拠する一方、他者を評価する際には目に見える行動に基づく情報に依拠するという非対称な方略を用いる[28][29]

この自己評価と他者評価における情報源の相違は、エミリー・プロニン英語版マシュー・クーグラの2007年の一連の実験によって検証された。彼らのある研究では、行為者役となる参加者に4つの性格特性について自分は同じ大学の平均的な学生と比べてどうかを評定させた(平均以上効果英語版を誘発)。同時に、評定における思考過程も他の紙に書き出させた。その後、行為者自身と、行為者の評定結果を渡された参加者(観察者)が、行為者の評定にはバイアスが含まれていたかを判定した。このとき、観察者の半数には、評定結果だけでなく、行為者の思考過程の記録も提供された[30]。この研究において、行為者はバイアスの痕跡を内観(思考過程)からは見つけられなかったため、バイアスの影響を受けていないと自己評価した。一方、観察者は評定結果(行動)を見て、「明らかにバイアスの影響を受けている」と判断した。この観察者の判断は、「思考過程の記録」を読んだ場合とそうでない場合で全く変わりがなかった。観察者は、行為者の「ありのままの内面情報(思考過程)」を知るアクセス権を与えられても、それをバイアスを判断する証拠としては扱わなかったのである。両研究において、行為者によるバイアスの自己評定は行為者の実際の評定に含まれるバイアスの程度と相関しなかった一方、観察者の評定は実際のバイアスの程度と相関した[31]

こうした非対称的な認知構造は、バイアスのみならず、他者への同調に対する認知[32]将来の作業完了時間の予測[33]、自身の道徳的向社会的行動の予測[34]など広範な領域で観測されている。いずれの領域においても、自己評定は内観によって把握された意図や動機に基づいて行われ、行動的情報や基準率情報が軽視される一方、他者評定では行動的情報が重視されるという共通の構造が確認された[27]。この認知構造が、見解の不一致に直面した際に自己の認知を再検討するのではなく、相手に不一致の原因を帰属させる要因となる[21]。この帰結は、第2・第3の信念が予測する現象と合致する。

第2の信念の実証

第2の信念は、「理性的な他者が、私と同じ情報に触れれば、私と同じ反応、行動、意見を示すはずである」という期待である[14]。この期待は、自身の認識が客観的現実の直接的な反映であるとする第1の信念から論理的に導き出される[14][35]。ロスとワードは、この信念を支持する実証的根拠として、偽の合意効果に関する研究およびタッピング課題を用いた研究を挙げている。両研究は、認識主体の主観的経験と、刺激の客観的特徴とを区別するのは困難であることを共通して示している[14]

偽の合意効果

偽の合意効果: false consensus effect)とは、自身の意見、信念、行動を相対的に一般的で適切なものであると評価し、他者も自分と同じように考え行動するだろうと推測する人間の認知傾向である[36]。ロスらは1977年の論文において、4つの研究でこの傾向を検証した。

たとえば、ある実験では、スタンフォード大学の学部生に対し、実験者が「Eat at Joe's(ジョーの店で食事を)」または「Repent(悔い改めよ)」と書かれたサンドイッチボード看板を装着してキャンパスを30分間歩くよう依頼した。ただし、被験者にはその依頼を拒否する自由も与えられていた。依頼を拒否した場合でも、授業の単位要件として必要な単位は付与されることが明示された[37]。サンドイッチ看板を身につけることを承諾、あるいは拒否した直後、被験者はまず、自分以外の参加者のうち何割が承諾し、何割が拒否するかを推定するよう求められた。次に、依頼を承諾した人物と拒否した人物という二人の他者について、それぞれの性格特性を推論するよう求められた[38]

合意の推定値と性格特性の推論は、二つのグループ(承諾者と拒否者)の間で大きく異なっていた。看板を身につけることを承諾した被験者は拒否よりも承諾の方が一般的な反応であると推定し、拒否した被験者は正反対の推定を行った。そして、被験者は、自分と異なる選択をした他者のほうが、性格特性の中点から離れると評価した[39]。すなわち、自分と同じ選択をする他者の反応は状況に対する標準的なものとみなす一方、異なる選択をした他者の反応は個人の性質に起因する反応とみなしたのである。この結果は、被験者が自分の承諾(拒否)という反応について個人的な特性を反映していない(客観的である)と推定し、他者も同じ情報と状況に接したならば同じ選択に至ると期待していたことを示唆している[40]

タッピング実験

ニュートンによる1990年の研究は、自分の主観的経験を他者も共有すると想定する傾向を、聴覚的刺激を用いて検証した[41]。参加者であるスタンフォード大学の学部生80名によって、「タッパー(叩く側)」と「リスナー(聴く側)」という役割の組み合わせが40組作られた[42]。タッパーには「オールド・ラング・サイン蛍の光)」などのよく知られた25曲のリストが渡された。その中から3曲を選択させ、その曲を指のタッピングのみで表現するよう指示した。一方、リスナーに曲のリストは渡されず、そのタッピングの音だけを頼りに3曲の題名を当てる課題が与えられた[41]。タッピング伝達を終えた後、タッパーに対して、目の前のリスナーが曲名を正しく当てられる確率を評価させた。タッパーによる同定成功確率の推定値は、10%から95%まで分布し、平均は50%であった。これに対し、リスナーによる実際の同定成功率は、全体で120(40組×3曲)試行したうちの3回、すなわち2.5%であった[41][43]

ニュートンの実験に参加したタッパーたちの多くは、テーブルを叩くタッピング音に合わせて、弦楽器や管楽器、金管楽器、そして歌声までもが豊かに調和した「フルオーケストラ」が聞こえていたと報告している。しかし、リスナーに実際に聞こえるのはただの「不規則な打音の連続」であった[41]。タッパーは自身の主観的経験(旋律を伴った聴覚経験)を刺激の客観的反映とみなしており(第1の信念)、その前提のもとで、同じ刺激に接したリスナーも同じ経験に至るはずだと期待した(第2の信念)のである[44]

第3の信念の実証

ロスとワードは、第3の信念を、自分の見解が共有されないという事実に対する解釈として定式化している[45]。この解釈は順序を辿り、最初に相手はまだ「物事の真の姿を知らない」という無知の想定から始まり、「啓蒙」や「理性的な対話」によって相手は真実に到達すると考える。しかし、この解釈が維持できなかった場合、人は相手を「能力と努力」が足りない、あるいは「偏っている」とみなすようになる[46]。意見の対立という事実に対して、相手側の推論や動機の欠陥に原因があるとみなす現象は、いくつかの研究によって実証されている。

態度の分極化

チャールズ・ロード英語版マーク・レッパー英語版、ロスの1979年の実験では、死刑制度抑止効果を支持し制度を肯定する立場(賛成派24名)と、抑止効果を否定し制度に反対する立場(反対派24名)の学生が対象となった[47]。各参加者に対し、死刑の抑止効果に関する2種類の架空の研究が呈示された。1つは抑止効果を支持する研究、もう1つは抑止効果を否定する研究であった[47]

同一の混合した証拠に曝露された結果、両群の態度は中央値方向に収束せず、彼らは自分の先行する立場に合致する研究を説得力があり適切に実施されていると高く評価し、相反する研究は方法論に欠陥があるとして低く評価した[48]。その結果、最終的な態度は実験開始時よりも先行する立場の方向に離れ、賛成派はより賛成に、反対派はより反対に傾いた[49]。この現象は、態度の分極化: attitude polarization)と命名された[50]。自分の見解と一致しない証拠を方法論的に不適切とみなす認知処理は、見解の不一致を相手側の推論能力の欠如ないし偏向へ帰属させる第3の信念の反映とされている[46]

敵対的メディア認知

ヴァローン、ロス、レッパーの1985年の研究では、1982年9月にレバノンベイルート近郊の難民キャンプで発生した民間人殺害事件に関する、複数の報道社によるテレビ報道が用いられた[51]。参加者のスタンフォード大学の学生144名は、ニュース映像を視聴する前に質問紙で先行態度が測定され、親イスラエル派68名、親アラブ派27名、中立派49名の3群に分類された。事件に対するイスラエルの責任の見積もりは親イスラエル派が平均22%、親アラブ派が平均57%であり、両党派群の先行態度は相違していた[51]。全参加者は同一の映像を視聴した後、報道の公正さを9段階尺度(1: イスラエルに強く不利、5: 公平、9: イスラエルに強く有利)で評定した[52]

実験の結果、同一のニュース映像を見たにもかかわらず、対立する双方の陣営がそれぞれ、メディアは相手側に加担しており、自陣営に不利な方向へ偏向していると評価する現象が生じた[52]。客観的な事実内容の認識も同様であり、親イスラエル派の視聴者は、イスラエルへの言及のうち好意的なものが16%、非好意的なものが57%であったと報告したのに対し、親アラブ派の視聴者は反対に、好意的なものが42%、非好意的なものが26%であったと報告した[53]。この現象は敵対的メディア認知: hostile media phenomenon)と名付けられた[54]

これらの結果は、自分と同じ結論に達しない存在を不合理または偏向しているとみなす第3の信念の働きを裏付けている。自分の見解が事実の客観的反映によって築かれたものと認識している場合、特にその見解が世界を「白か黒か」で捉えている場合、世界が「グレーの色合い」であると主張する第三者もまた、「相手側」に有利なバイアスがかかっている(客観的に事実を把握できていない)と解釈される[46]

3つの信念の直接的検証

ロスとワードが提唱した時点では、3つの信念を同一の枠組みで同時に検証した実証データは存在しなかった[16]。リバーマンらの2012年の研究は、社会政治的争点に関する意見集約課題を用いて、3つの信念の連鎖を検討した[55]。参加者は2人1組のペアとなり、各争点(同性婚を認めるべきか、食用のための動物飼育は非道徳的かなど)について自分の賛否を表明した後、事前に実施されたアンケートでは全体のうち何%の学生が「賛成」と答えたかを推定した。次に、ペアの相手の賛否と推定値を知ったうえで、自分の推定値を修正する機会が与えられた[56]

結果は3つの信念に対応する指標を同時に示している。第1に、参加者は自分の推定値を、相手の推定値より客観的でバイアスの影響を受けていないと評定した[57]。第2に、自分が争点に対し「賛成」と答えた参加者は、被験者全体の賛成率を「反対」と答えた参加者より高く推定する偽の合意効果が再現された[58]。第3に、参加者は相手の推定値よりも自分の推定値に強く依拠した。もし参加者が自分と相手の推定値を同等に扱えば、両者の中間点まで推定値を修正するはずであるが、実際には中間点までの距離の30%程度しか移動しなかった。さらに、争点について賛否が一致するペアと一致しないペアを比較すると、不一致のペアでは相手の推定値への重み付けがさらに低下した[57]。 この結果は、自己の客観性への信念(第1の信念)を基盤として、他者への合意の期待(第2の信念)と、不一致の原因を相手側に帰属する認知(第3の信念)が連鎖的に生起するというナイーブ・リアリズム理論の構造を裏付けている[16]

社会的影響

ナイーブ・リアリズムは、対人葛藤の激化、メディア報道への不信、他者への偏見および差別などを生み出す要因として機能することが実証研究を通じて示されている[5][35]

対人葛藤の激化

ケネディとプロニンの2008年の研究は、態度の分極化が認知に留まらず、行動レベルにまで波及することを示している。彼らの実験において意見の不一致に直面した参加者は、対立する見解を相手の性質に帰属させる程度が強いほど、相手に対して競争的・敵対的な行動を選択する確率が上昇した[59][60]

メディア報道への不信

敵対的メディア認知で生じる相互的な不信は、自己の見解を偏りのないありのままの事実の反映とみなす(第1の信念)前提から出発し、それに一致しない見解は相手に問題がある(偏向している)とする第3の信念が作動した帰結として説明される[46]

他者への偏見および差別

ウルマンとコーエンの2007年の研究は、自己の客観性の感覚が採用判断に及ぼす影響を検討した。自己の客観性への自覚を強化する操作(「意見を形成する際、入手可能な事実をすべて客観的に検討しようとしているか」などの質問をする)を行った参加者(採用担当者)は、同一の資格要件で記述された男性求職者を女性求職者より高く評価する傾向を示した。この効果は、性別ステレオタイプ的信念を強く保持する参加者において特に観測された。この結果から、自分は客観的であるという確信が、かえって自らの判断過程に無意識に混入する偏見やステレオタイプを警戒し、自発的に修正しようとする動機を低下させるメカニズムとして機能していることが実証されている[61]

脚注

参考文献

関連項目

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