北沢 (世田谷区)
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| 北沢 | |
|---|---|
| 町丁 | |
![]() | |
| 北緯35度39分52秒 東経139度40分09秒 / 北緯35.664361度 東経139.669086度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 特別区 |
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| 地域 | 北沢地域 |
| 人口情報(2025年(令和7年)1月1日現在[1]) | |
| 人口 | 18,447 人 |
| 世帯数 | 11,940 世帯 |
| 面積([1]) | |
| 0.979 km² | |
| 人口密度 | 18842.7 人/km² |
| 郵便番号 | 155-0031[2] |
| 市外局番 | 03(東京MA)[3] |
| ナンバープレート | 世田谷 |
北沢(きたざわ)は、東京都世田谷区にある町名。現行行政地名は北沢一丁目から北沢五丁目。住居表示実施済区域。北沢地域に属する。
河川
世田谷区の北東端に位置する。下北沢駅を中心に広がる繁華街は「下北沢」「下北」等の通称で広く知られ、その大部分が当町、特に二丁目の域内に位置する。それ以外の地域は住宅地となっている。
北から時計回りに、渋谷区笹塚、渋谷区幡ヶ谷、渋谷区大山町、渋谷区上原、目黒区駒場、世田谷区代沢、世田谷区代田、世田谷区大原と接する。南東部が一丁目、南西部が二丁目であり、一丁目、二丁目の北に、南から北に向かって順に三丁目、四丁目、五丁目がある。
2025年時点では町内を通る河川は無い[4]。かつては北沢川の支流が2本あったが (佐藤 1986, p. 8 - 10)、いずれも2025年現在では埋め立てられている。
河川ではないが玉川上水が五丁目を通っている。殆どは暗渠であるが、渋谷区笹塚との境界となる笹塚橋付近のみ開渠となっている。かつては玉川上水の支流である三田用水が五丁目から一丁目にかけて流れていた[5]が、1974年に廃止された。
歴史
16世紀にはこの地は北条氏家臣の吉良氏の所領であった。1590年に北条氏が滅亡した後、吉良氏の遺臣であった膳場(是庭)将監によって下北沢村が開墾されたと言われている (三田 1984, p. 188)。1639年以降旗本斉藤氏の知行であったが、1709年に所替となり以降幕末まで天領であった (世田谷区民俗調査団 1988, p. 5)。
下北沢村の中心である本村は現在の代沢三丁目にあり、名主であった阿川家の屋敷の門が2025年現在も残されている。
沿革
- 1889年(明治22年)5月 町村制施行に伴い、池尻・三宿・太子堂・若林・下北沢・代田・経堂在家・世田ヶ谷の8村が合併して世田ヶ谷村が発足。旧下北沢村の領域は世田ヶ谷村大字下北沢となった (三田 1984, p. 192)。
- 1923年(大正12年)4月 世田ヶ谷町制施行に伴い、世田ヶ谷町大字下北沢となった (三田1984, p. 193)。
- 1932年(昭和7年)10月 東京市域拡張により荏原郡世田ヶ谷町・駒沢町・玉川村・松沢村が東京市世田谷区となる。これに伴い世田ヶ谷町大字下北沢は世田谷区北沢となり、一丁目から五丁目が置かれた (三田 1984, p. 193)。この当時の北沢は現在の代沢の一部を含む領域だった (三田 1984, p. 193)。
- 1964年(昭和39年)2月 住居表示実施に伴い、北沢の南部が分離、下代田町と共に代沢となる。残った地域には新たに一丁目から五丁目が割り当てられ、現在に至る。
町名の変遷
| 実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
|---|---|---|
| 北沢一丁目 | 1964年2月 | 北沢四丁目 |
| 北沢二丁目 | 北沢三丁目 | |
| 北沢三丁目 | 北沢三丁目、北沢四丁目 | |
| 北沢四丁目 | 北沢三丁目、北沢五丁目 | |
| 北沢五丁目 | 北沢五丁目 |
世帯数と人口

2025年(令和7年)1月1日現在(世田谷区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 丁目 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 北沢一丁目 | 3,325世帯 | 5,272人 |
| 北沢二丁目 | 1,704世帯 | 2,372人 |
| 北沢三丁目 | 2,127世帯 | 3,201人 |
| 北沢四丁目 | 2,109世帯 | 3,438人 |
| 北沢五丁目 | 2,675世帯 | 4,164人 |
| 計 | 11,940世帯 | 18,447人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[6] | 18,707 |
| 2000年(平成12年)[7] | 18,749 |
| 2005年(平成17年)[8] | 18,746 |
| 2010年(平成22年)[9] | 19,024 |
| 2015年(平成27年)[10] | 18,483 |
| 2020年(令和2年)[11] | 19,187 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[6] | 10,030 |
| 2000年(平成12年)[7] | 10,801 |
| 2005年(平成17年)[8] | 11,140 |
| 2010年(平成22年)[9] | 11,521 |
| 2015年(平成27年)[10] | 11,301 |
| 2020年(令和2年)[11] | 11,935 |
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2024年8月現在)[12]。
| 丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 北沢一丁目 | 全域 | 世田谷区立池之上小学校 | 世田谷区立富士中学校 |
| 北沢二丁目 | 5 - 8番 | ||
| 22 - 40番 | 世田谷区立下北沢小学校 | 世田谷区立北沢中学校 | |
| 1 - 4番 9〜21番 | 世田谷区立代沢小学校 | 世田谷区立富士中学校 | |
| 北沢三丁目 | 全域 | 世田谷区立下北沢小学校 | 世田谷区立北沢中学校 |
| 北沢四丁目 | 全域 | ||
| 北沢五丁目 | 全域 |
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[13]。
| 丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
|---|---|---|
| 北沢一丁目 | 143事業所 | 976人 |
| 北沢二丁目 | 877事業所 | 7,175人 |
| 北沢三丁目 | 183事業所 | 772人 |
| 北沢四丁目 | 64事業所 | 343人 |
| 北沢五丁目 | 55事業所 | 439人 |
| 計 | 1,322事業所 | 9,705人 |
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
| 年 | 事業者数 |
|---|---|
| 2016年(平成28年)[14] | 1,376 |
| 2021年(令和3年)[13] | 1,322 |
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
| 年 | 従業員数 |
|---|---|
| 2016年(平成28年)[14] | 9,079 |
| 2021年(令和3年)[13] | 9,705 |
商業
町内の下北沢駅周辺には繁華街である下北沢がある他、下記の商店街が形成されている。[15]
- 池ノ上北口商店会 : 一丁目。池ノ上駅前から北上する道路沿い
- 三角橋通り商和会 : 一丁目。池ノ上駅前と三角橋交差点の間の通り沿い
- 東北沢商和会 : 一・三・四丁目及び渋谷区大山町。東北沢駅前及び、補助第26号線東北沢駅 - 大山交差点間
交通
鉄道
| 街区内の駅(世田谷区北沢) |
|---|
|
一丁目の南部は京王井の頭線池ノ上駅(世田谷区代沢)が、五丁目は京王線笹塚駅(渋谷区笹塚)が最寄となる。
路線バス
道路
- 東京都道413号赤坂杉並線(井ノ頭通り)
- 茶沢通り
- 東京都都市計画道路補助第26号線(東京都道420号鮫洲大山線): 2025年現在、大山交差点 - 三角橋交差点間で拡幅工事を行っている(2026年3月に完成予定)[16]
計画中の道路
街づくり
下北沢駅周辺の街づくりについては、下北沢#下北沢駅周辺地区街づくりを参照。

北沢三・四丁目地区
下北沢駅周辺地区 地区計画の区域と隣接する。狭い道路が入り組み、木造住宅が建て並ぶ地域であり、財団法人東京都防災・建築まちづくりセンターが「震災復興まちづくり模擬訓練」を実施するなど、防災・防犯上の対策が特に求められている状況にある。
世田谷区が1992年1月に策定し、平成29年6月22日に改訂された地区計画では「土地利用の適正化、道路の整備、建築物の不燃化の促進、オープンスペースの確保等、修復型まちづくりを進めながら、快適な居住環境の形成、災害に強い市街地への誘導を図る。」とされている[19]。
2025年現在、茶沢通りの拡幅が行われている[20]他、不燃化特区制度に基づく各種助成の対象となっている[21]。
北沢五丁目・大原一丁目地区
北沢五丁目と大原一丁目の各地内が範囲とされている。上記北沢三・四丁目地区 地区計画の区域と隣接する。区域内には中小規模の戸建住宅や共同住宅が多いが、一部に近隣商業地なども見られる。詳細は、大原 (世田谷区) を参照されたい。
北沢5丁目・大原1丁目地区は、関東大震災以降急激な市街化による密集住宅地域であり、災害が起きた場合は、狭あい道路が多く、大きな被害が想定されている。そのため、2000年(平成12年)に北沢5丁目・大原1丁目地区防災街区整備地区計画が策定された。同計画書によれば「「住みよく災害に強いまち」の実現を目標に、適正な土地利用の実現、道路の整備、建築物の不燃化や密集化の防止、公園等のオープンスペースの充実及び緑の維持・創出などを図り、修復型街づくりを前提に、快適な居住環境の形成及び災害に強い市街地への誘導を図る」とされている[22]。
北沢三・四丁目地区と同様、不燃化特区制度に基づく各種助成の対象となっている[21]
