Wikiwand AI

北神圭朗

日本の政治家 (1967-) From Wikipedia, the free encyclopedia

北神 圭朗(きたがみ けいろう、1967年〈昭和42年〉2月1日 - )は、日本の政治家、大蔵・財務官僚。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、自由民主党情報調査局長。

生年月日 (1967-02-01) 1967年2月1日(59歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都
出身校 京都大学法学部卒業
概要 生年月日, 出生地 ...
北神 圭朗
きたがみ けいろう
内閣広報室より公表された肖像
生年月日 (1967-02-01) 1967年2月1日(59歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都
出身校 京都大学法学部卒業
前職 国家公務員(大蔵省・財務省)
所属政党 (民主党→)
(民進党(前原G・国軸の会)→)
(希望の党→)
(無所属[注 1]→)
自由民主党(麻生派)
称号 法学士(京都大学)
公式サイト 北神圭朗公式サイト
日本の旗 内閣総理大臣補佐官
(重要政策に関する省庁間調整等担当)
内閣 野田第3次改造内閣
在任期間 2012年10月2日 - 2012年12月26日
選挙区 (比例近畿ブロック→)
(京都府第4区→)
(比例近畿ブロック→)
京都府第4区
当選回数 6回
在任期間 2005年9月12日 - 2012年11月16日
2016年4月21日[1] - 2017年9月28日
2021年11月2日[2] - 現職
テンプレートを表示
閉じる

経済産業大臣政務官(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、内閣府大臣政務官(野田第2次改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(野田第3次改造内閣)等を歴任した。

来歴

東京都出身。両親の仕事の都合により生後9ヶ月から18年間アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスで過ごし[3]、週末は小学校1年から高等学校3年までの全課程、地元日本語補習授業校あさひ学園に通った。京都大学法学部(香西茂ゼミ)卒業。京大卒業後、大蔵省(現:財務省)に入省。大臣官房調査企画課[4]。本省主税局総務課調査主任・総務第一係長を経て[5]、1998年6月に内閣官房内閣内政審議室勤務となり、総理大臣秘書官だった細川興一の下で総理大臣秘書官補となる。1999年7月に金融企画局総務課長補佐(文書・調整)[6]。その後は岩手県庁農林水産部企画課への出向。2002年に財務省を退官した[7][8]。

2003年11月の第43回衆議院議員総選挙に、民主党公認で京都4区から出馬。同年9月に引退した野中広務の地盤を継承した自由民主党公認の田中英夫[9][10]に敗れた。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、田中が郵政民営化法案の衆議院本会議における採決で反対票を投じたために自民党の公認を得られず無所属で出馬[10]し、自民党は元八木町長の中川泰宏を擁立[10]。北神の得票数は中川、田中に次ぐ3位だったが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、初当選した。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、前回同様中川は自民党公認、田中は無所属で出馬。北神が中川に比例復活を許さない大差をつけて破り、再選された。

2011年9月、野田内閣で経済産業大臣政務官に任命され、2012年7月より内閣府大臣政務官を兼務する。同年10月、野田第3次改造内閣で内閣総理大臣補佐官(重要政策に関する省庁間調整等担当)に任命された。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、京都4区で自民党新人の田中英之に敗れ、比例復活も叶わず落選した[11]。

2013年4月6日、同年夏の第23回参議院議員通常選挙に京都府選挙区(定数2)から民主党公認で立候補を表明[12]し、立候補したが、日本共産党新人の倉林明子に1万8千票の僅差で及ばず、次点で落選。落選後、政界からの引退を示唆した[13]。2014年、第47回衆議院議員総選挙に民主党公認で京都4区から出馬したが、再び自民党前職の田中英之に敗れ、重複立候補していた比例近畿ブロックでも次点で落選した[14]。

2016年2月12日、不倫が問題になっていた自民党の衆議院議員の宮崎謙介が議員辞職の意思を表明し16日に辞職が認められた。これに伴い京都府第3区の補欠選挙が4月24日に行われることになり、これに前回の総選挙で民主党から立候補し京都府第3区で落選し比例近畿ブロックで復活当選していた衆議院議員の泉健太[15]が民進党から立候補した。これによって泉健太は衆議院議員を自動失職し、前回総選挙において比例近畿ブロックで民主党の名簿の次点だった北神が4月20日に繰り上げ当選し衆議院議員となった[16]。また、補欠選挙では泉健太が当選し衆議院議員となった。

2017年10月3日に希望の党に公認申請し、3区前職の泉健太、6区前職の山井和則と共に府内の申請者が全て公認された。そのため、京都府内の民進党出身者の中では枝野幸男議員を代表とする新党「立憲民主党」に参加する前議員はいなかった[17]。同月の第48回衆議院議員総選挙では、再び自民党前職の田中英之に敗れ、比例復活も叶わず落選した[18]。その後希望の党が民進党と再合流した際は新党の国民民主党に参加せず無所属となった[19]。

2021年10月の第49回衆議院議員総選挙に向け、政治団体の参政党(政党要件を満たすのは翌年)から同年10月8日に18万6千円の寄付を受け[20]、かつ推薦も受けた[21]。無所属で立候補し、連合京都と臨済宗妙心寺派からも推薦を受けた[22]。現職の田中英之、日本共産党新人の2候補を破り、4期目の当選を果たした。11月4日、衆院選で当選した他の無所属議員4人と共に衆院会派「有志の会」を結成した[23]。

2024年10月の第50回衆議院議員総選挙では、無所属で出馬し5選[24]。

2025年10月6日、有志の会と改革の会が合流して結成された新衆院会派「有志・改革の会」に参加したが[25]、10月20日に同会派が解散したたため再び「有志の会」所属となった[26]。翌21日の首班指名選挙では、有志の会所属の4人のうち3人が会派代表の吉良州司に投票する中で、自民党の高市早苗総裁に投票した[27]。高市に投票した理由については「政治の安定がないと物価高対策や外交防衛政策ができない。外国人の土地取得規制などで方向性が合う」と説明した[28]。

2026年1月に、第51回衆議院議員総選挙には自民党から立候補する方向で調整が進められている事が報じられた[29]。同月21日には会派「有志の会」を退会し[30]、翌22日には京都4区での自民党公認を受けた[31]。2月8日の投開票の結果、6選[32]。選挙後、麻生派に入会した[33]。

政策・主張

選挙歴

さらに見る 当落, 選挙 ...
当落選挙執行日年齢選挙区政党得票数得票率定数得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
落 第43回衆議院議員総選挙 2003年11月 9日 36 京都府第4区 民主党 7万2665票 33.35% 1 2/3 18/11
比当 第44回衆議院議員総選挙 2005年 9月11日 38 京都府第4区 民主党 7万3550票 28.34% 1 3/4 3/9
当 第45回衆議院議員総選挙 2009年 8月30日 42 京都府第4区 民主党 10万9865票 41.24% 1 1/5  
落 第46回衆議院議員総選挙 2012年12月16日 45 京都府第4区 民主党 4万8934票 22.17% 1 2/8 8/3
落 第23回参議院議員通常選挙 2013年 7月21日 46 京都府選挙区 民主党 20万1297票 19.04% 2 3/7  
繰当 第47回衆議院議員総選挙 2014年12月14日 47 京都府第4区 民主党 5万8692票 30.33% 1 2/4 5/4
落 第48回衆議院議員総選挙 2017年10月22日 50 京都府第4区 希望の党 7万1068票 36.23% 1 2/4 5/3
当 第49回衆議院議員総選挙 2021年10月31日 54 京都府第4区 無所属 9万6172票 44.21% 1 1/3  
当 第50回衆議院議員総選挙 2024年10月27日 57 京都府第4区 無所属 10万2063票 51.25% 1 1/3  
当 第51回衆議院議員総選挙 2026年 2月 8日 59 京都府第4区 自由民主党 14万2149票 73.71% 1 1/2  
閉じる

所属団体・議員連盟

政治資金

2024年9月19日、北神が2021年の衆院選の際、当時政治団体だった参政党から18万6千円の寄付を受けていたにもかからわず、選挙運動費用収支報告書に記載していなかったことが報じられた。北神は参政党から寄付の申し出を受けた際に普段使用していない口座を誤って伝えたため、報告書を作成する際に見落としたと釈明。収支報告書を修正し、「今後は気を付けたい」と述べた[42]。

旧統一教会との関係

2021年4月、国立京都国際会館で統一教会系のイベント『新型コロナ終息を願う京都1万人祈りの集い』というイベントが開催される予定であった。実行委員長は統一教会の京都教区長で、『天の父母様聖会・世界平和統一家庭連合』や教団系列組織『京都府平和大使協議会』などが共催している。その『呼びかけ人』を国家公安委員長である二之湯智が務め、北神や繁本護、木村弥生、田中英之らが世話人に名を連ねた[43][44]。

脚注

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks