吉良州司

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生年月日 (1958-03-16) 1958年3月16日(68歳)
出身校 東京大学法学部第3類卒業
前職 日商岩井(現・双日)社員
吉良 州司
きら しゅうじ
内閣広報室より公表された肖像
2012年 撮影)
生年月日 (1958-03-16) 1958年3月16日(68歳)
出生地 日本の旗 日本 大分県玖珠郡玖珠町
出身校 東京大学法学部第3類卒業
前職 日商岩井(現・双日)社員
所属政党無所属→)
民主党→)
民進党長島G)→)
希望の党→)
旧国民民主党→)
無所属[注 1]
称号 法学士(東京大学・1980年
配偶者
子女 3人(3女)
公式サイト 吉良州司
選挙区大分1区→)
比例九州ブロック→)
大分1区
当選回数 7回
在任期間 2003年11月10日 - 2012年11月16日
2014年12月17日[1] - 2026年1月23日
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吉良 州司(きら しゅうじ、1958年昭和33年〉3月16日 - )は、日本政治家

衆議院議員(7期)、外務副大臣野田第3次改造内閣)、外務大臣政務官鳩山由紀夫内閣菅直人内閣)、衆議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長院内会派有志の会」代表、院内会派「有志・改革の会」代表等を務めた。

吉良は警察官である吉良市雄の子供として大分県玖珠郡玖珠町に生まれた(現在は大分市青葉台に在住[2][3]大分県立大分舞鶴高等学校東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。大学卒業後、日商岩井(現:双日)に入社。在職中、ブラジルのジュイス・デ・フォーラ連邦大学に留学する。その後ニューヨーク本社インフラ・プロジェクト部長を経て、2002年に退職。日商岩井在職中の1989年から1991年には大分県に出向し、企画総室地域振興課、農政部流通園芸課、商工労働観光部産業振興課での業務を経験した。

2003年4月平松守彦の引退に伴う大分県知事選挙に無所属で出馬。平松の事実上の後継者であった広瀬勝貞を猛追し、有効投票数の44.8%にあたる295,886票を獲得したが、広瀬に2万6千票及ばず、惜敗した。同年11月、第43回衆議院議員総選挙大分1区から無所属で出馬し、自由民主党衛藤晟一を破り初当選(衛藤も比例復活)。なお民主党は吉良を推薦していたが、吉良、衛藤は共に思想的に保守色が強く、日本社会党の元内閣総理大臣村山富市地盤でもある大分1区での保守同士の対決は従来の大分1区の選挙の構図を一変させた。当選後、院内会派「民主党・無所属クラブ」を経て2004年11月に民主党に入党し、党大分県第1区総支部長、大分県連特別代表に就任した。

2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では吉良の他、郵政民営化法案に反対票を投じたため自民党の公認を得られなかった衛藤、自民党の公認を受けた佐藤錬らが出馬し、自民票の分裂も相俟って吉良が再選した(次点の衛藤は落選、3位の佐藤は比例復活)。

2009年8月第45回衆議院議員総選挙では、1期限りで引退する佐藤に代わり、元ジョイフル社長の穴見陽一が自民党公認で大分1区から出馬したが、民主党の公認に加え、連合大分の推薦も受けた吉良が穴見を大差で下し、3選した。選挙後に発足した鳩山由紀夫内閣外務大臣政務官に任命され、菅直人内閣まで務める。

2012年衆議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長に就任。同年10月、野田第3次改造内閣外務副大臣に任命された。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では大分1区から民主党公認で出馬したが、自民党公認で再び出馬した穴見陽一に10,258票差で敗れる。惜敗率は87.9%で、比例九州ブロックでは名簿順位1位の重複立候補者中惜敗率3位の高木義明に0.7ポイント及ばず、次点で落選した。吉良の落選により、民主党は大分1区において、村山が引退した第42回衆議院議員総選挙以来4期連続で守っていた議席を失った。

2014年12月、第47回衆議院議員総選挙に民主党公認で出馬。大分1区で前回敗れた自民党前職の穴見陽一を破って当選し、2年ぶりに国政に復帰した(穴見も比例復活)[4]

2017年10月、第48回衆議院議員総選挙に民進党の実質的解体により希望の党から出馬。大分1区で再び穴見との選挙戦になったが希望の党の失速などもあり穴見に小選挙区で敗れ、比例復活で5期目の当選を果たした[5]

2018年5月7日民進党と希望の党の合流により結党された国民民主党に参加[6]5月8日、国民民主党の幹事長代理に就任した[7]

2020年9月の国民民主党立憲民主党の再編に際しては、新たに設立される国民民主党立憲民主党のどちらにも参加せず、次期衆議院選挙にも無所属で立候補する意向を表明した[8]

2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙に無所属で立候補。穴見の後継として自民党が擁立した元時事通信社記者の高橋舞子、日本共産党県書記長の山下魁ら4候補を破り、6期目の当選を果たした。自民党は比例九州ブロックで8議席を獲得するが、高橋は9番目の惜敗率(78.186%)により比例復活もかなわず落選した[9][10]。11月4日、衆院選で当選した他の無所属議員4人と共に衆院会派有志の会」を結成した[11]

2024年10月27日の第50回衆議院議員総選挙でも無所属で出馬し、自民党の新人衛藤博昭に比例復活を許さず7選[12]。同年11月11日に行われた内閣総理大臣指名選挙では、衆議院での会派所属議員からの4票に加え、参議院で平山佐知子による1票を獲得した[13]

2025年10月6日、日本維新の会を離党した議員によって結成された院内会派「改革の会」と有志の会が合流して院内会派「有志・改革の会」を結成した際には代表に就任したが[14]、10月20日に同会派が解散したたため再び「有志の会」を結成して代表となった[15]。同年10月21日に行われた内閣総理大臣指名選挙では、衆議院での会派所属議員4人のうち3人からの投票を獲得した[16]

2026年2月8日の第51回衆議院議員総選挙でも無所属で立候補したが、衛藤博昭に敗れて落選し、引退を表明した[17]

政策・主張

人物

  • 三兄弟の次男として生まれ、厳格な父の元、小学校時代は腹筋を1日300回していた。小学校では腕白のため、バケツを持って立たされたり、廊下に座らされたりしていた[28]
  • 大分舞鶴高校時代は生徒会に所属。「日本のあるべき姿」や「これからの世界」について語り合ったという。大学受験を控えた3年の秋、中間試験の前日に友達3人と霊山に登って一夜消息を経ち、捜索隊120人が出る大騒ぎとなった[28]
  • ニューヨーク駐在やブラジル留学、欧米、中南米アジア諸国40カ国を商談、旅行等で訪問、海外出張は実に150回を超え、移動距離は地球約80周分に相当[29]。1995年から2000年まで、日商岩井ニューヨーク本社に出向していた[30]
  • 家族は妻と3人の娘[29]
  • 趣味はほとんど全てのスポーツ、山岳、旅行、読書(特に歴史小説)。大学時代は山岳会「東大法学部山の会」リーダー[29]
  • 商社マン時代は、コロンビア軍に護衛されながら麻薬組織の出没する地域の会社を訪問したり、アルゼンチンでは不当に警察に通報されたために拘束を逃れて急いで出国したり「フィクションのような体験ばかり」だったという[18]
  • 2015年7月、東京・白金に借りているワンルームマンションに「いなむらてつや」なる偽名を用いてデリヘル嬢を呼び、その後言い争いになったことからパトカーが出動する騒動になったと報道された。売春防止法に触れる違法行為を疑われたが、双方の言い分を聞いた警察は、お互いを指導してその件を終わらせたが、後日、30万円を女性に支払うことで、示談を成立させていたと報じられた[23]

選挙歴

脚注

外部リンク

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