十六合村

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廃止日 1954年12月1日
廃止理由 新設合併
余目町、大和村十六合村常万村栄村八栄里村余目町
現在の自治体 庄内町
日本の旗 日本
いざあいむら
十六合村
廃止日 1954年12月1日
廃止理由 新設合併
余目町、大和村十六合村常万村栄村八栄里村余目町
現在の自治体 庄内町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 山形県
東田川郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 9.35 km2.
総人口 3,125
国勢調査、1950年)
隣接自治体 藤島町立川町、大和村、八栄里村、長沼村八栄島村東栄村
十六合村役場
所在地 山形県東田川郡十六合村いざあいむら大字前田野目字前割37番地[1]
座標 北緯38度48分01秒 東経139度56分07秒 / 北緯38.80033度 東経139.93528度 / 38.80033; 139.93528座標: 北緯38度48分01秒 東経139度56分07秒 / 北緯38.80033度 東経139.93528度 / 38.80033; 139.93528
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十六合村(いざあいむら)は山形県東田川郡にあった。現在の庄内町中心部の南方、旧余目町の南端[2]、京田川右岸、羽越本線西袋駅の東方一帯にあたる。

隣接していた自治体

安土桃山時代までは広大な原野であったが、慶長17年(1612年)に作られた北楯大堰によって、多くの村が開発された[3]最上川上流から肥沃な土壌が堆積しており、大正以降に化学肥料が使われるまでは、農地に適した地質であった[4]

  • 河川:京田川

藤島町立川町(1954年9月30日まで狩川町)、大和村八栄里村長沼村八栄島村東栄村

歴史

村名の由来

16村が合併して成立し、それぞれの和合を願って名付けられた[5]

昭和の大合併

昭和の大合併では、一部地域が立川町への合併を望んでおり、余目町合併後に分町の協議をすることが検討されていた[6]

1955年2月11日、山形県は大字千本杉・桑田・京島・返吉・大真木の住民を対象に、世論調査を実施した[7]。立川町への編入希望が有効投票数の3分の2を超えた大字千本杉・桑田が編入の議論対象となった。

1955年2月11日の世論調査[8](単位:票)
大字 立川町に
合併したい。
余目町に
そのまま止りたい。
白紙・
無効票
千本杉 104 2 1
桑田 95 31 0
京島 58 38 1
返吉 53 54 0
大真木 27 43 1

7月には、千本杉・桑田の小・中学生68人が立川町への編入を求めて同盟休校を実施した[9]

9月12日には、山形県からの分町勧告に基づき、余目町議会で臨時会が開かれた[10]。議論の結果、世論調査から時間が経ち意思の変化があることを理由に、分町を否決した[10]。余目町が勧告を拒否したため、10月3日、山形県から余目町選挙管理委員会に、合併促進法に基づく住民投票を請求した[11]。10月25日、大字千本杉・桑田にて住民投票が実施され、千本杉・桑田は賛成多数となった[11]

1955年10月25日の住民投票[11](単位:票)
大字 賛成 反対 白紙・無効票
千本杉 92 13 1
桑田 90 36 2

1956年(昭和31年)1月1日、大字千本杉・桑田は余目町から立川町へ移管された[12]庄内町に合併された現在も、桑田・千本杉は立川地区に分類されている[13]

年表

  • 慶長16年(1611年) - 桑田村が開村する[14]
  • 元和年間 - 南野村が開発される[15]
  • 元和元年(1615年) - 返町村・千本杉村が開村する[14]
  • 元和2年(1616年) - 中島村・小真木村が開村する[14]
  • 元和3年(1617年) - 吉田村が開村する[14]
  • 元和6年(1620年) - 福島村が開村する[14]
  • 元和8年(1622年) - 新田目あらため村・本小野方もとおのかた村・舞田野目村が開村する[16]
  • 元和9年(1623年) - 吉方村・西袋村が開村する[14]
  • 寛永年間 - 中野村・南興野みなみこうや村・境興屋村が開村する[14]
  • 寛永3年(1626年) - 三ツ口村が開村する[14]
  • 寛永13年(1636年) - 主殿新田村が開村する[14]
  • 正保3年(1646年) - 南野村から南野新田村が独立する[14]
  • 寛文年間 - 舞田野目村が前田野目村に改称する[17][注 1]
  • 1876年明治9年)
    • 4月17日 - 中島村が京島村に、小真木村が大真木村に改称する[19][20]
    • 12月11日 - 返町村と吉田村が合併し、返吉そりよし村となる[20]
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、主殿新田とのもしんでん村、南野新田村、福島村、大真木村、桑田村、千本杉村、京島村、返吉そりよし村、前田野目村、新田目あらため村、本小野方もとおのかた村、吉方村、中野村、南興野みなみこうや村、境興野さかいこうや村、西袋村の区域をもって十六合村いざあいむらが発足[21]
  • 1894年(明治27年)10月22日 - 庄内地震により、村内6人死亡、30戸が全壊[22]
  • 1911年(明治44年)11月 - 大字桑田と狩川村大字狩川との境界を変更[23]
  • 1950年昭和25年)3月15日 - 羽越本線西袋駅開業[24]
  • 1953年(昭和28年)5月1日 - 大和村・八栄里村・狩川町との境界を変更[25]
  • 1954年(昭和29年)12月1日 - 余目町・大和村常万村栄村八栄里村と合併し、改めて余目町が発足。同日十六合村いざあいむら廃止。[26]
  • 1956年(昭和31年)1月1日 - 余目町大字桑田・千本杉が立川町へ編入[12]

地名

特記なき場合、小字の出典は『十六合史』80-81頁による。

大字前田野目

地名の由来は、鶴が舞い遊んでいたことから「舞田野目」と呼ばれ、のちに「前田野目」となった[18]

小字:三拾間[注 2]・堰中[27]・芹田[注 2]・鈴木割[注 2]・余慶[注 3]・東前割・西前割・辰割・中割・坊主割・下割・前割・田割・北浦地・横沼

大字福島

小字:中大坪[28]ふけ・東大坪・西大坪・西田・前田・北窅・向田・大さび[注 4]

大字大真木

前身となる大真木村は、1876年4月17日に、鶴岡近辺の同名の村との区別を理由に、小真木村から改称した[19][29]

小字:北奥[注 5]・北田・中屋敷・南フケ・西フケ・畑田・古関境・南割・前割

大字吉方

小字:南窅・道上・南堅田・主計田・稗田・堂前・西野・四十間・小綱[注 6]・東野・北窅・中割・大縄

大字境興野

小字:上額・ふけ[注 7]・西割・前割

大字西袋

字駅前には西袋駅敷地を含む[30]

小字:蔵前・西廿枚・東廿枚・五十枚・佐渡向・さび[注 8]・大東・樋田・窅・大南・南・村立・村西・横道・橋之脇[31]・駅前[30]

大字南興屋

小字:前通割・大割・谷地田

大字中野

小字:大割[注 9]・沖割[注 9]・前割・下割・外割とわり・北割・西割・前割[注 10]

大字南野新田

小字:工縄・前割・中割・西割・外割とわり

大字主殿新田

小字:赤渕・北浦・前割・中割・外割

大字返吉

小字:イカリ・大上・大東・大西・堰中・相見・角崎・屋敷田・高口・前割

大字桑田

小字:大西・小割目・相見・高口・殿田・道下・南・六十間

大字千本杉

小字:本村割[注 9]・上川端・中川端・下川端・佐渡端・東割・中割・北割・深田割

大字京島

前身となる京島村は、1876年に、周辺地域の同名の村との区別を理由に、中島村から改称した[20]。1876年の改称当時は「みやこじま」と呼んでいたが、現在は「きょうじま」と呼んでいる[32]

小字:奥西・海道端・上諸竹・下諸竹・京田・小麦畑・西中割[注 11]・中割・深割・前割・西浦・屋敷中

大字新田目

小字:外深[注 9]・内深[注 9]・東割[注 9]・イカリ・西割・北割・小割・浦割[注 12]・前割・堰向・堰中[注 13]

大字本小野方

小字:西割・南割・東割・前割・内割・中割[注 14]

人口

1950年国勢調査による[33]

  • 世帯数:474戸
  • 人口:3,125人
  • 人口密度:334人/km2
  • 男女比:女性100人に対し男性97.3人

行政

村長

歴代村長[34]
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 渡部長右衛門 1889年(明治22年)6月21日 1889年(明治22年)7月18日 疾病により退任[35]
2-3 阿部徳治 1889年(明治22年)7月22日 1897年(明治30年)7月20日
4 国井藤右衛門 1897年(明治30年)8月2日 1899年(明治32年)7月1日
5-9 小松重房 1899年(明治32年)7月28日 1922年(大正11年)1月11日 在任中に死去
10-11 工藤多右衛門 1922年(大正11年)2月27日 1926年(大正15年)5月30日 在任中に死去
12 石川長右衛門 1926年(大正15年)6月28日 1930年(昭和5年)6月28日
13 渡部利右衛門 1930年(昭和5年)6月29日 1934年(昭和9年)6月28日
14 佐藤彌惣次 1934年(昭和9年)10月16日 1938年(昭和13年)10月15日
15-16 上林清治 1939年(昭和14年)1月6日 1945年(昭和20年)8月8日
17 斎藤平吉 1945年(昭和20年)9月5日 1947年(昭和22年)1月31日
18 高梨四郎 1947年(昭和22年)4月7日 1951年(昭和26年)4月5日
19 上林由右衛門 1951年(昭和26年)4月24日 1954年(昭和29年)11月30日 十六合村いざあいむら廃止

水道事業

この項目の出典:[36]

村営で水道を設置していた。水源は湧水。給水人口は1954年時点で235人。

医療

十六合村いざあいむらを含む藤島町外六ヶ村伝染病院組合による病院を藤島町大字古郡に設置していたが[37]、余目町合併時に組合を脱退した[38]

産業

農業戸数は1953年時点で416戸、うち専業農家は270戸であった[39]の年間収穫高は1939年で687,810円であった[40]

施設

  • 十六合いざあい村立十六合いざあい小学校[41] - 1953年時点の学級数は11組、児童数は422人[42]
  • 十六合村いざあいむら、大和村組合立和合中学校 - 1953年4月1日に両村境に設置[43]。同年の学級数は12組、生徒数は484人[42]

交通

出身著名人

脚注

参考文献

関連項目

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