北楯大堰
From Wikipedia, the free encyclopedia
1612年(慶長17年)に[2]、最上義光の重臣で狩川城主の北楯利長が10年にわたる新田開発調査を経て[3]、立谷沢川からの灌漑を促進する為に建設した。
1日あたり7400人の作業員などの動員でわずか4ヶ月で約10キロの水路を完成させたと伝わり[3]、その後、延長工事を行い、総延長32kmとなった[4]。この開削をきっかけに約5,000haの新田が開発され、88の村が開村した[5]。
新田は米どころ庄内の礎となり、水路は今日も庄内平野の水田を潤している。また水路開削に尽力した北楯利長は、その功績を讃えられ、狩川駅から徒歩10分の地に水神として北舘神社に祀られ[6]、水路は北楯大堰と名付けられた。
2018年8月14日、農林水産省は北楯大堰が国際かんがい排水委員会によって、歴史的価値のある農業用水利施設を登録する「かんがい施設遺産」に選出されたと発表した。県内では初の選出となる[7]。
- 生息する蟹を祀る社
- 開削利水記念碑
- 水田から住宅地を流れる
- 狩川駅近くの街中を流れる
所在地
- 疎水始点(山形県東田川郡庄内町肝煎、北緯38度46分44.0秒 東経140度01分11.5秒) - 肝煎を始点に清川、狩川を流れる。
- 庄内町肝煎 - 地理院地図
- 庄内町肝煎 - Google マップ

