楊守敬は、歴史の流派の分類については劉知幾『史通』がすでに行っており、『史略』はその範囲を出ない上に、急いで作られたもので誤りが多く、同じ著者による『子略』『緯略』に遠く及ばないと批判している[4]。
一方、内藤湖南は「支那目録学」の中で、『史略』が鄭樵の影響を受けながら書物の内容に注意し、多くの人が書いたものを並べることで自分の説を立てようとしたものであると評した。また逸書について類書の記載をもとに考えたことは王応麟や考証学の先駆をなすものであると非常に高く評価し、楊守敬の批判を不当なものとする[5]。