吉村午良
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新潟県長岡市生まれ。長野市立鍋屋田尋常小学校(現:長野市立鍋屋田小学校)、旧制長野中学校(現:長野県長野高等学校)、東京大学法学部を卒業後、自治省(現:総務省)へ入省。1948年(昭和23年)に長野県厚生課に出向し、児童課、林政課、振興課、厚生課の各課長を経て、1957年(同32年)宮城県庁に転じ、1961年(同36年)自治省会計課長補佐、1962年(同37年)総理府統計局経済課長となり、1965年(同40年)自治大臣官房調査官から、長野県総務部長に再出向した。
1970年(同45年)県公営企業管理者、1971年(同46年)副知事を経て、1980年(同55年)に西沢権一郎の脳溢血による病気辞任(辞任後に死去)を受けて、知事選挙に出馬し初当選。
長野県知事時代
1998年(平成10年)冬季の長野オリンピック招致では、コクドグループと共に積極的に推進した。
長野オリンピックでは組織委員会の副会長を務めたが、複数の失言で報道された。1997年(平成9年)1月6日の知事の定例会見中、競技種目であるスピードスケートについて「水すましのようで、見ていてつまらないね。」と発言し、批判を受けて1月9日に日本スケート連盟に謝罪[1]、オリンピック開催期間中には、スキージャンプ・ノーマルヒル競技で警備の都合で厳しい交通規制が引かれた結果、多くの観客が開始時間に間に合わずに遅れてしまう事態になったにもかかわらず、組織委員会の非を認めず「ジャンプは遠くからでも見える」と発言したため、観客から民事裁判で訴えられた結果、組織委員会は敗訴、判決が確定している。
2000年(平成12年)10月25日に5期20年の任期を終えて知事を退任。知事の在任期間が長期に渡っていたため、退職金は退任時に1億8400万円、総額で2億3692万円となり、金額ベースでは日本の都道府県知事が受け取った退職金総額で歴代1位であった。
1991年(平成3年)4月に開局した、長野朝日放送の開局にも尽力した。
知事の他、県道路公社、林業公社、観光開発公社、中小企業振興公社、社会福祉事業団の各理事長や各種団体の会長等を兼任した。