園山勇
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松江藩出身。儒臣の園山家を継ぎ、18歳で江戸に出て、安井息軒の門下に入った。帰郷後、松江藩校修道館で皇漢学の助教を命じられた[2]。
1874年(明治7年)、板垣退助・後藤象二郎らが民撰議院設立建白書を提出すると、これに呼応して自由民権運動に参加した。島根県の製糸業の先覚者とされ、1886年(明治19年)、長野県で機械製糸の状況を視察し、1887年(明治20年)、島根蚕業社を設立した[3]。
島根県会議員を経て、1894年(明治27年)の第3回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第4回・第5回総選挙でも再選された。
1898年(明治31年)7月、第1次大隈内閣のもとで長野県知事に就任。教育、森林行政などに尽力[3]。翌年8月、宮崎県知事に転じた。郡制施行について尽力[4]。1902年(明治35年)2月、知事を休職となった[5]。政党に関係していることが理由であったという[2]。同年の第7回衆議院議員総選挙に当選し、議会に復帰した。その後、第10回衆議院議員総選挙でも再選された。
