吉田尚正
日本の警察官僚
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吉田 尚正(よしだ なおまさ、1960年10月26日- [1] )は、日本の警察官僚。第2代皇嗣職大夫[4][3][12]。第94代警視総監を務めた[5][13][14][15][16][17]。
| 吉田 尚正 よしだ なおまさ | |
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内閣総理大臣秘書官の際に撮影 | |
| 生年月日 | 1960年10月26日(65歳)[1] |
| 出生地 |
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| 出身校 |
灘高等学校[2] 東京大学法学部[1][2] |
| 在任期間 | 2024年2月1日[3][4] - 現職 |
| 在任期間 | 2017年9月15日[5] - 2018年9月14日[6][7] |
| 在任期間 | 2016年8月10日[8] - 2017年9月15日[5] |
| 在任期間 | 2015年1月23日[9][10] - 2016年8月10日[8] |
| 在任期間 | 2014年1月28日[11] - 2015年1月23日[9][10] |
来歴
広島県広島市出身[14][2]。灘高等学校を経て[2]、東京大学法学部を卒業後、1983年 (昭和58年)、警察庁に入庁[1][2][18]。
入庁後、北海道警察本部刑事部捜査第二課長、警察庁警備局外事第一課課長補佐、警察庁警務局人事課課長補佐、在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官、警視庁公安部公安総務課長、警察庁長官官房総務課企画官、警察庁刑事局組織犯罪対策部暴力団対策課長などを歴任[1][18]。北海道警察刑事部捜査第二課長時代には、保守系の国会議員を選挙違反で検挙し[19]、在アメリカ日本国大使館一等書記官の際には、テロ対策を担当した[19]。警察庁刑事局組織犯罪対策部暴力団対策課長の際には、暴力団の資金源を断つため、国土交通省や国税庁、自治体などと横の連携を深め、公共工事からの暴力団排除や、課税通報などにも力を入れ[20]、福岡県警察北九州地区暴力団総合対策現地本部の発足にも立ち会った[10]。
2006年4月6日、宮崎県警察本部長に就任[19][21][22][23]。約1年4か月の在任中、当時の知事を巡る官製談合事件の捜査で検察トップである検事正と協議を重ね、前知事逮捕への道筋をつけた[24]。また、県内のすべての駐在所を訪問するなどして第一線の警察官と積極的に交流した[25]。
その後、警察庁刑事局捜査第一課長、内閣総理大臣秘書官 (鳩山由紀夫内閣総理大臣)、警察庁警備局警備企画課長、警視庁刑事部長などを歴任[1][18]。
内閣総理大臣秘書官の際には、災害・テロ対策などの危機管理やインテリジェンス、治安、防衛、司法、皇室、憲法問題など国の基本にかかわる事務や地方行政、障碍者対策、男女共同参画など省庁横断的な施策を担当し、鳩山由紀夫内閣を支えた[18]。また、警察庁警備局警備企画課長の際には、警視庁の内部資料とみられる国際テロの捜査情報がインターネット上に流出した事件を受け、国際テロ捜査などに当たる全国警察の警備部門における情報管理を徹底するためのプロジェクトチームのトップを務めた[26]。さらに、警視庁刑事部長の際には、約17年間逃亡していたオウム真理教の特別手配犯の足取りが判明し、「捕まえるのは今しかない」と、防犯カメラの映像や似顔絵、筆跡などを次々に公開したことによって1700件以上の情報を集めて逮捕につなげた[13][14][16]ほか、捜査支援分析センターに、事件の発生現場に直接最新のハイテク機材などを持ち込んで捜査を行う分析捜査班を発足させた[27]。
2015年1月23日、福岡県警察本部長に就任[9][10][28]。約1年7か月の在任中、暴力団組織を支える上納金に着目し、これを所得とみなすため検察や国税当局と膝詰めで協議を重ねて説得し、全国で初めて脱税事件として⽴件するなどした[24][29]ほか、組員の離脱促進と受け皿作りにも注力し[29][30]、離脱者を雇⽤した企業に最⼤で1⼈あたり年間72万円を⽀払う給付⾦制度の創設などに尽⼒することで[29]、指定暴力団工藤会による事件の捜査指揮や暴力団排除活動を進めた[16][31]。また、特殊詐欺の被害が深刻化しているのを受け、自身がトップを務め、警務部・総務部・交通部・警備部を含む全部長で構成する特殊詐欺総合対策委員会と、捜査第2課や生活安全総務課に加え、捜査1課特殊事件係や暴力団対策部の各課、サイバー犯罪対策課、鉄道警察隊など26部署の幅広い部門の警察官で構成し、検挙対策班と抑止対策班からなる特殊詐欺グループの壊滅の実務部隊である特殊詐欺総合対策プロジェクトチームを発足させた[32][33]。さらに、北九州市内で開かれるエネルギー大臣会合の警備任務に当たる37人体制の警備対策室を発足させた[34]。
2016年8月10日、第32代警察庁刑事局長に就任[8][35]。約1年1か月の在任中、取り調べの録音・録画の原則義務化に向けた態勢整備などに取り組んだ[15]。
2017年9月15日、第94代警視総監に就任[5][13][14][15][16][17]。約1年の在任中、神奈川県座間市の9人切断遺体事件の陣頭指揮を執ったほか、アメリカのトランプ大統領の来日に際し、テロ対策を進めた[6]。また、サイバー捜査体制を強化するため、生活安全部サイバー犯罪対策課や公安部サイバー攻撃対策センターなど警視庁の各部署に東京都警察情報通信部を加えた計6部署500人を新庁舎に集約したほか、単独部署では対応が難しい事件の初動捜査に当たる「事態対処チーム」、約50人体制で重要事件発生時に捜査本部へ投入され高い技能を生かして解決を目指す「サイバー犯罪捜査官チーム」、事件の証拠となる膨大なデジタルデータを迅速に解析する「解析支援チーム」など、必要に応じて招集する部門横断型チームも新設した[36]。2018年9月14日、勇退[6][7][37][38]。
2022年7月、秋篠宮家担当の宮内庁御用掛に就任[4][3]。
2024年2月1日、第2代皇嗣職大夫に就任[4][3][12]。就任後最初の記者会見で、「より一層、しっかりお支えするように職員と力を合わせながら全力で務めてまいりたい」と抱負を述べるとともに、「意思疎通を密接にして、齟齬のない情報発信ができるよう、務めてまいりたい」と述べた[39]。2025年9月6日に行われた悠仁親王の成年式では、先導を務めた[40]。
略歴
- 1983年4月- 警察庁入庁[1][2][18]
- 1986年8月- 警察庁交通局交通企画課課長補佐[1]
- 1987年7月- ドイツ・フライブルク大学留学[18]
- 1989年9月- 北海道警察本部刑事部捜査第二課長
- 1990年12月- 警察庁警備局外事第一課課長補佐[1][18]
- 1992年8月- 警察庁警務局人事課課長補佐・理事官[1][18]
- 1995年2月- 在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官[1][18]
- 1998年3月- 警察庁長官官房総務課理事官[1][18]
- 2000年8月- 警視庁公安部公安総務課長[41]
- 2002年8月- 警察庁長官官房総務課企画官[1][18]
- 2004年8月- 警察庁刑事局組織犯罪対策部暴力団対策課長[42]
- 2006年4月- 宮崎県警察本部長[19][21][22][23]
- 2007年8月- 警察庁警備局警備課長[43][44][45]
- 2008年7月- 警察庁刑事局捜査第一課長[46][47]
- 2009年9月- 内閣総理大臣秘書官 (鳩山由紀夫内閣総理大臣)[48][49]
- 2010年6月- 警察庁警備局警備企画課長[50][51]
- 2011年10月- 警視庁刑事部長[52][53][注釈 1]
- 2014年
- 2015年1月- 福岡県警察本部長[9][10][28]
- 2016年
- 2017年
- 2018年9月- 勇退[6][7][37][38]
- 2019年
- 1月- トヨタ自動車株式会社顧問[60]
- 6月- 公益財団法人アジア刑政財団理事[61]
- 2020年
- 2021年
- 2022年7月- 宮内庁御用掛[4][3]
- 2024年2月- 皇嗣職大夫 (第2代)[4][3][12]