呉班

From Wikipedia, the free encyclopedia

出生 生年不詳
兗州陳留郡
拼音 wú bān
元雄
主君 劉備劉禅
呉班
蜀漢
驃騎将軍・仮節・綿竹侯
出生 生年不詳
兗州陳留郡
拼音 wú bān
元雄
主君 劉備劉禅
テンプレートを表示

呉 班(ご はん)は、中国三国時代蜀漢の武将。元雄本貫兗州陳留郡。父は呉匡

族兄の呉懿(呉壹)は劉焉に随行して益州に入り[1]、後に蜀漢の重臣に上った。呉班は豪侠[2]で知られ、常に呉懿に次ぐ官位にあったとされるが、呉懿と異なり劉備に仕えるまでの前半生は定かではない。劉備の時代に領軍となった。

章武元年(221年)から翌年(222年)にかけ、蜀漢の侵攻に従軍。その諸戦では馮習と共に、李異らの敵軍を撃ち破った[3]。また劉備の命で囮として敵を挑発する役目も担ったが、これは陸遜に看破され、失敗に終わっている[4]夷陵の戦い)。

建興9年(231年)、諸葛亮の第4次北伐に従軍。司馬懿が諸葛亮に攻撃をかけてきた際に魏延高翔らと共に出撃して司馬懿らを大いに撃退し、多くの首級や戦利品を獲得する戦果を挙げた[5]祁山の戦い)。また同年、食糧輸送に失敗した李厳が免職となるが、この際に諸葛亮が出した弾劾状に呉班は督後部・後将軍・安楽亭侯として名を連ねている[6]

最終的には劉禅の時代を通じて、驃騎将軍・仮節・綿竹侯に上ったという。

三国志演義

出典

脚注

Related Articles

Wikiwand AI