問牧駅

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所在地 北海道枝幸郡枝幸町字問牧
北緯44度59分43.2秒 東経142度32分9.75秒 / 北緯44.995333度 東経142.5360417度 / 44.995333; 142.5360417
所属路線 興浜北線
キロ程 23.1 km(浜頓別起点)
問牧駅
といまき
Toimaki
山臼仮乗降場 (3.3 km)
(7.3 km) 北見枝幸
所在地 北海道枝幸郡枝幸町字問牧
北緯44度59分43.2秒 東経142度32分9.75秒 / 北緯44.995333度 東経142.5360417度 / 44.995333; 142.5360417
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 興浜北線
キロ程 23.1 km(浜頓別起点)
電報略号 マキ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1936年昭和11年)7月10日[1]
廃止年月日 1985年昭和60年)7月1日[1]
備考 興浜北線廃線に伴い廃駅
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1977年の問牧駅と周囲約500m範囲。下が北見枝幸方面。ホームが枝幸側にずれている。駅の右上側の国道は、まだ旧ルートのまま。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

問牧駅(といまきえき)は、北海道宗谷支庁枝幸郡枝幸町字問牧にあった日本国有鉄道(国鉄)興浜北線廃駅)である。電報略号マキ事務管理コードは▲122004[2]

駅名の由来

開業時の所在地名より[3]。地名はアイヌ語由来とされるがはっきりせず、一説には「トゥイパケ(tuy-pake)」(崩れた・出崎)から、とされる[11][10][12]

駅構造

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(北見枝幸方面に向かって左手側)に存在した[13]分岐器を持たない棒線駅となっていた。

無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は改築され、豊牛駅、斜内駅と同型のプレハブ駅舎となっていた。駅舎は構内の東側に位置しホームに接していた。内部は事務室部分はカーテンが引かれ物置となっていた[13]

利用状況

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1945年(昭和20年) 4,080 (11.1) [14] 12月5日から営業再開
1946年(昭和21年) 15,884 (43.5)
1947年(昭和22年) 22,362 (61.1) [15]
1948年(昭和23年) 26,123 (71.6)
1949年(昭和24年) 28,702 (77.1)
1950年(昭和25年) 26,129 (71.6)
1951年(昭和26年) 28,160 (76.9)
1952年(昭和27年) 27,163 (74.4)
1953年(昭和28年) 16,259 (44.5)
1954年(昭和29年) 18,177 (49.8)
1955年(昭和30年) 19,421 (53.1)
1956年(昭和31年) 25,162 (68.9)
1957年(昭和32年) 21,813 (59.8)
1961年(昭和36年) 20,099 (54.9)
1962年(昭和37年) 18,133 (49.7)
1963年(昭和38年) 17,421 (47.6)
1964年(昭和39年) 15,110 (41.4)
1966年(昭和41年) 15,625 (42.8)
1967年(昭和42年) 19,249 (52.6)
1978年(昭和53年) 15 [16]

駅周辺

駅跡

2000年(平成12年)時点で「問牧コミュニティセンター」となっており[18]2010年(平成22年)時点でも同様であった[19]

隣の駅

脚注

関連項目

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