豊牛駅

From Wikipedia, the free encyclopedia

所在地 北海道枝幸郡浜頓別町字豊寒別
北緯45度6分0.16秒 東経142度25分51.33秒 / 北緯45.1000444度 東経142.4309250度 / 45.1000444; 142.4309250
所属路線 興浜北線
キロ程 7.0 km(浜頓別起点)
豊牛駅
豊牛駅跡(2020年)
とようし
Toyoushi
頓別仮乗降場 (4.3 km)
(3.3 km) 豊浜仮乗降場
所在地 北海道枝幸郡浜頓別町字豊寒別
北緯45度6分0.16秒 東経142度25分51.33秒 / 北緯45.1000444度 東経142.4309250度 / 45.1000444; 142.4309250
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 興浜北線
キロ程 7.0 km(浜頓別起点)
電報略号 ヨウ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1936年昭和11年)7月10日[1]
廃止年月日 1985年昭和60年)7月1日[1]
備考 興浜北線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
1977年の豊牛駅と周囲約500m範囲。右下が北見枝幸方面。ホームが駅舎より北見枝幸側にずれて設置されている。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成

豊牛駅(とようしえき)は、北海道宗谷支庁枝幸郡浜頓別町字豊寒別にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)興浜北線廃駅)である。電報略号ヨウ事務管理コードは▲122001[2]

駅名の由来

開業時の当地の地名は「浜頓別村字プタウス[3]」であったが、「豊牛」と命名された経緯について鉄道省・国鉄により以下の2説が示されている。

  • 鉄道省札幌鉄道局が発行した『駅名の起源』1939年(昭和14年)版では「附近に放牧多き為斯く名づけた[11]」として、和名であるとしている[11]
  • 国鉄北海道総局が1973年(昭和48年)に『駅名の起源』の後継として発行した『北海道 駅名の起源』では、当地が「豊寒別」と「プイタウシ」の中間にあり、「牛が豊かになるようにとの地元の要望[4]」から「豊寒別」から「豊」、「プイタウシ」から「ウシ」すなわち「牛」をとり、命名したとしている[4]

なお、『北海道 駅名の起源』において、「豊寒別」「プイタウシ」はそれぞれアイヌ語の「トイカムペッ(toy-kamu-pet)」(土・かぶさる・川)、「プイタウシ(pui-ta-usi)」(エゾノリュウキンカの根を・掘る・所)の意とされている[4][12]。しかし、このうち豊寒別についてアイヌ語研究者の山田秀三は「語義は分からない[13]」として、前述の説について「相当苦心をしてこの言葉を当てたものらしい[13]」としている。

駅構造

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(北見枝幸方面に向かって左手側)に存在した[10]分岐器を持たない棒線駅となっていた。

無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は改築され、斜内駅と同型[14]マスプロ設計の小型駅舎となっていた[15]。1983年(昭和58年)時点では、屋根の配色は青であった[10]。駅舎内にトイレを有していた[15]。駅舎は構内の北東側に位置し、ホームから少し離れていた。

利用状況

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1951年(昭和26年) 73 [16]
1961年(昭和36年) 89
1965年(昭和40年) 111
1971年(昭和46年) 60
1978年(昭和53年) 22 [17]
1981年(昭和56年) 5 [16]
1985年(昭和60年) 1 同年7月に興浜北線廃止

駅周辺

小さな漁村がある。海岸までは約0.2km[10]。駅裏は原野になっている[10]

駅跡

2010年(平成22年)時点では駅舎が残存しており、物置として利用されている[15]。以前は駅舎の内部にも入ることができたが、2012年(平成24年)時点では扉は開けることができず、ガラス越しにしか内部を確認することはできなくなっている。旧駅舎の周囲は、畑になっている[14]

隣の駅

脚注

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI