国鉄ED74形電気機関車
日本国有鉄道の交流電気機関車
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ED74形は、日本国有鉄道(国鉄)が1962年(昭和37年)から製造した交流電気機関車である。
| 国鉄ED74形電気機関車 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 運用者 | 日本国有鉄道 |
| 製造所 |
三菱電機 新三菱重工業 |
| 製造年 | 1962年 |
| 製造数 | 6両 |
| 引退 | 1978年 |
| 廃車 | 1982年 |
| 主要諸元 | |
| 軸配置 | Bo-Bo |
| 軌間 | 1,067 mm |
| 電気方式 |
単相交流20KV・60Hz (架空電車線方式) |
| 全長 | 14,300 mm |
| 全幅 | 2,805 mm |
| 全高 | 4,260 mm |
| 運転整備重量 | 65.0t |
| 台車 | DT129形 |
| 動力伝達方式 | 一段歯車減速吊り掛け駆動方式 |
| 主電動機 | 直巻電動機 MT52形X4基 |
| 歯車比 | 16:71=1:4.44 |
| 制御方式 | 高圧タップ切換方式・弱め界磁制御 |
| 制動装置 | EL14形自動空気ブレーキ増圧装置 |
| 保安装置 | ATS-S |
| 最高速度 | 100 km/h |
| 定格速度 | 45.6 km/h |
| 定格出力 | 1,900 kW |
| 定格引張力 | 14,100 kg |
概要
構造
EF70形製造開始段階で既に本形式を投入することが既定方針であったため、基本的にはEF70形と同一設計とした。
車体
単機牽引を前提としており、前面は非貫通型である。EF70形の1次型をそのままD形に短縮したような形態であるが、前照灯はシールドビーム2灯を窓上部左右に1灯ずつ配置する埋め込み形で、運転室側窓も切り欠きがないのが特徴である。
主要機器
EF70形と同一設計のため、当時の国鉄新性能電気機関車の標準的主電動機であるMT52形や旅客列車暖房用として電気暖房装置(EG)をはじめ日本のD形交流電気機関車としては初のシリコン整流器を搭載した。制御方式は水銀整流器搭載車と同じ高圧タップ式で、単巻変圧器により電圧調整をして整流主変圧器に供給しており、シリコン整流器式で製造された高圧タップ切替式は本形式とEF70形のみである。ただし粘着性能に余裕がないため、タップ間の中間電圧制御を追加している。
EF70形との相違点は、以下に示す機器類にある。
台車

心皿を使わず車体と連結された台車下部の引張棒で牽引力を伝達する
(画像はED76形500番台装着の物)
本形式の台車に新開発のDT129形を採用したのは以下の理由による。
- 従来のD形機は水銀整流器(イグナイトロンないしはエキサイトロン)を用いていたため、格子位相制御によるタップ間連続制御が可能であったが、シリコン整流器では電気的にこれが不可能で、起動・進段時の粘着力低下や衝動が発生しやすくなり、実質的な性能低下に繋がるものであった。しかし、EF70形はF形機の大出力ゆえに粘着力にも余裕があるため軸重移動対策をも無視することが可能であり、従来の心皿方式台車の装着は可能であるが、D形機である本形式では出力に対する粘着力に余裕がなくなる問題点がある。
- そのため引張力を車体に伝えるにあたり、逆「ハ」の字状のジャックマン装置(引張棒)を用いて車体と台車を直接連結し、レール面上に理論上の粘着点を下げた仮想心皿方式とし、機械的に粘着力を確保するDT129形台車を開発するに至った。
なおDT129形台車は、本形式以後の国鉄交流電気機関車の標準台車となって改良され続け、D形機のみならずEF71形も含む後継開発形式すべてで採用された。
製造
改造
運用
新製後は敦賀第二機関区(現・敦賀地域鉄道部敦賀運転センター車両管理室)に配置され、田村 - 金沢間でED70形と共通運用で客車列車を中心に使用された。しかし、前述のように北陸本線の標準機がEF70形に集約されたことから、牽引力が小さく両数も少ない本形式は運用上不便をきたし、1968年(昭和43年)10月1日のダイヤ改正で北陸本線の列車単位が1,200 tに引き上げられた際、日豊本線の寝台特急列車増発に転用されることになり、全機が大分運転所(現・大分鉄道事業部大分車両センター)に転属となった。
九州地区での客車列車は蒸気暖房を使用していたため、蒸気発生装置(SG)を持たない本形式は門司 - 大分間でSGが不要な20系客車寝台特急「彗星」1往復や貨物列車の牽引に投入された。彗星は1972年(昭和47年)3月改正で2往復になり、その後も増発を重ね、1974年(昭和49年)4月の南宮崎電化完成によるダイヤ改正で5往復までに増発された。
しかし、軸重制限によって大分市にある幸崎以南へ入線できないことから[注 2]、1974年(昭和49年)の南宮崎電化後は運用に制約が発生し、1975年(昭和50年)3月改正以降は彗星はED76形が受け持ったため、以降は門司(操) - 大分間の貨物列車に専念した。貨物列車が削減された1978年(昭和53年)10月のダイヤ改正で運用を離脱して休車となり、高城駅、大在駅構内に長期間留置したのち、1982年(昭和57年)に全車廃車・廃形式になった。
廃車後は全車が解体されており保存車はない。